きみはかわいい好敵手

 4限目が始まる数分前、移動教室のために渡り廊下を歩いていると後輩男子と思しき賑やかなジャージ集団とすれ違う。聞き耳を立てずとも自然と耳に入ってくる情報から次はサッカーという事が分かった。
 体育が始まる前から元気だなぁ、なんて思いながら何気なくそちらに視線を移すと、見覚えのあるくりくりの瞳と目が合った。

「お、姐御じゃないっスか!」
「だからその名前で呼ぶなって!」

 開口一番ツッコミとはわたしもなかなかノリがいい。思わず立ち止まって大きな声を出してしまったばかりに、沢村と一緒にいた子達は先に行ってるぞーとこの場を後にし、それに続いてわたしの友人も先に行ってるね、と席を外していく。いやいや、そんなに話すこともないんだけど。
 双方にいらぬ気遣いをさせてしまったと悔やみつつ、友人に手を振りながら再び沢村に視線を戻す。相変わらずニヤニヤしながらわたしを見つめてくる様子には嫌な予感しかしない。

「聞きましたよ〜決勝戦のあと御幸センパイに抱きついて号泣したらしいじゃないっスか」
「何のことかな」

 鏡を見なくても自分の表情がスンッと真顔になるのが分かる。控えめに言って最悪だ。沢村の耳にまで入っているということはこの間の失態は野球部全体に知れ渡っているのだろうか、なんて今更後悔してみるがもう遅い。
 あぁ、いくら混乱していたとはいえやっぱり試合後に慌てて青心寮に向かったのは間違いだった。1秒でも早く無事の確認を急ぎたいと思ったのが完全に裏目に出たな。御幸の負担になりたくないと思っていた矢先に早速やらかしてしまうなんて本末転倒だ。

「姐御にもそんな可愛らしい一面があったんですねーっていだだだ!」
「うん、忘れようか、今すぐに」

 無表情で忘却の呪文を唱えつつ頬を抓ると涙目になりながらヒデェ!と沢村が騒ぎ出す。先輩をいじった報いだ。ピッチャーだから身体は勘弁してやってるんだぞ、感謝してくれてもいいよ。
 我ながら大人気ない方法で鬱憤を晴らすと、沢村は頬をさすりながら「でも、これで彼女になったんスね!」と相変わらず元気に笑うもんだから呆れて言葉を失った。いつかの教室で御幸が宣言したことを指しているのだろうか。
 今となっては懐かしい記憶が呼び起こされて妙な恥ずかしさが込み上げてくる中、ソウデスネ。と棒読みで返してみるが、沢村の表情はからかうと言うよりも喜んでいるように見えた。

「御幸先輩を幸せにしてやってください!」
「ふっ、何それ」

 相変わらず沢村はこんな調子でバカ丸出しだけど、夏の大会後の練習試合では不調が続き、人知れずベンチで涙を流したと聞いていた。それでもめげず、ひたむきに前を向いて走り続け、自力でイップスを乗り越えたことは素直に尊敬する。
 それどころかストレート一本で勝負してきたというのに、ここへきて変化球という武器を手にしたと言うのだから驚きだ。アイツのクセ球はまだまだ未知数だよ、なんて、あの御幸が目を輝かせて楽しそうに話してたんだから。

「…ほんと、凄いね」
「ん?何すか?」
「いや、こっちの話。それよりさ、そんなに呑気に応援しててもいいの?」
「それは、どういう…?」
「分かってる?君はライバルになるわけよ。わたしが御幸とイチャイチャすればするほど沢村が球を受けてもらえる時間が減るってわけ」
「な、なんだと…!?」

 今が仕返しのチャンスとばかりにそう宣言すると、雷に打たれたような顔でショックを受ける様子が予想以上の好反応。沢村は本当に期待を裏切らないな、御幸と倉持に散々イジられる理由が分かったよ。バカだ、本物のバカだ。そんなわけないじゃん。
 御幸の本命は投手陣で、わたしは二の次三の次で構わない。元よりそのつもりで、彼を支えようと決めていたんだから。

「ははっ!冗談だよ、迷惑かけないから安心して」
「へ?」

 思わず吹き出しながら否定すると目の前の沢村は混乱した様子で顔を歪めていた。知ってたけど、こいつ本当に御幸に球受けて欲しいんだなぁ。「元気が有り余る後輩が俺の球受けろって朝からしつこいのなんの…」新学期が始まった頃、御幸が溢していたあの言葉の意味が今なら手に取るようによく分かる。
 無理もない。彼もまた、御幸に出会って人生が変わった一人なんだ。

「…いつか貰えるといいね、エースの1番」
「へへ、楽しみにしててくだせぇ!」

 この先誰がエースナンバーを背負おうと、御幸は青道の正捕手として全力を尽くすだろう。だけどひょんなことから顔見知りになってしまったこの男に、いつの間にやらうっかり情が湧いてしまったらしい。
 同期の川上くんを応援したい気持ちはもちろんあるが、犬みたいに人懐っこいこの後輩がいつかエースナンバーを背負うところを見てみたい。そう思わずにはいられなかった。


(20210109)

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