アダムとイヴの呪い

 暑さ寒さも彼岸までとはよく言うが、今年の夏はどこか暑さが足りなかった気がする。なんて、そんなこと言ったって嫌でも地球は回るし季節も変わるのだが。

 倉持にガツンと言われて数日経つが、自分の中ではまだ整理と覚悟が出来ないらしい。平日の夕方に一人で新幹線に飛び乗る度胸はあるくせに、変なところはビビリで繊細だったんだなぁ。だけど自虐に浸ってばかりも体に良くないな、そう思って気分転換に家を飛び出してみた休日。

 秋大の予選が終わり、本選まで残すところあと数日。少し遠出して用事を済ませ、買い忘れの品を思い出したところでふらりと立ち寄ったコンビニ。そんな馴染みのない場所で、まさかあの彼と再会するだなんて思ってもみなかった。

「あ!」
「あ、」

 こうしてばったり会うのは数ヶ月ぶりになるのだろうか。最後に見たのはテレビ越しだったあの金髪が、今まさに目の前に立ちはだかっている。しまった、ここは敵のテリトリーだったのか。なんて後悔してももう遅い。
 たった一度しか会ったことがないのに彼、成宮くんはわたしなんかのことをしっかり覚えていたらしく、目が合った瞬間にニンマリ笑われてしまい逃げる機会を失ってしまった。

「今日は一人?」
「うん。久しぶり」
「そっかそっかー、邪魔者はいないわけね!」

 邪魔者って御幸のことだよね、この間はたまたま一緒にいただけでいつもセットってわけじゃないんだけどなぁ。
 そう言う成宮くんも今日は一人なのだろうか、以前一緒にいた原田さんは引退したんだもんな。

 どこのチームも新体制に変わり、次の試合に向けて動き始めている。後ろを振り返らず前に進んでるのは、青道だけじゃない。

「何?どうしたの?」

 その問いかけに、はっと我に返る。やっぱり成宮くんを見ているとどうしてもあの決勝戦が頭をよぎって胸が痛むらしい。勝ち負けが存在する世界なんだから仕方がないことだけど、特別な感情を持つ相手が傷付く場面を見るのはやっぱり心苦しかった。
 あの時のわたしはスタンドからグラウンドをただ呆然と眺めるだけで、泣くのを必死に堪えることしかできなかったから。

 それでも、彼もまた甲子園という夢の舞台で悔し涙を流した一人な訳なのだが、当の成宮くんは立ち直っているのだろうか。

「それよりさぁ、苗字ちゃんだったっけ?ねぇ、今度こそ連絡先教えてよ!」
「えぇ〜…」

 心配して損した、わたしの気遣いを返してくれ。彼はそんなわたしの思いなんぞ露知らず、パーソナルスペースを完全無視してぐいぐい距離を詰めてくる。

「なんで苗字…っていうか、いや、あの」
「いいじゃん別に連絡先ぐらい…あ、もしかしてもう一也と付き合ってんの?」
「くっ…!」

 ただでさえ成宮くんのペースについていけず参っているというのに、痛いところを突かれて鈍器で殴られたような衝撃が走る。
 こちとら今それどころじゃないんですけど!なんて言えるはずもなく、視線を逸らして口を噤む。思えばこの時適当に流せば良かったのだ。なのにバカ正直な反応をしたせいでさらに弱みにつけ込まれてしまうなんて、自業自得もいいところ。

「ふーん、まだなんだ」

 そう言いながら鼻で笑われ、さすがのわたしも口元が引き攣る。何なんだこの人、薄々感じてはいたけどちょっと失礼じゃない?
 メディアが注目するあのプリンス相手に苛立ちが芽生えつつある中どうしたものかと悩んでいると、ものすごい剣幕でこちらに走ってくる男の子をガラス越しに見つけた。

「鳴さん!何やってるんですか!」
「チッ、見つかった…」
「さっきの店の入口で待っててくださいって言いましたよね!?いつも鳴さんは俺の話を聞かない!ちょっとは改めてくださいよ!」
「あーもー年下のくせに生意気!樹うるさい!」

 目で追っていた彼が自動扉を潜り抜けてくるや否や成宮くんと喧嘩を始めてしまい、わたしはあっという間に置いてけぼりにされてしまった。このやりとりを見る限り野球部の後輩ってところだろうか。ということは彼が原田さんの後継者、そしてこの二人が新たなバッテリーか。
 あの成宮くんに食ってかかるとはこの子なかなか手練れだな、なんて感心しつつ、すかさず距離を取ってケータイを開く。このまま無視して逃げることも考えたが、これでも一応御幸の知り合いだ。後で御幸が文句を言われるのも忍びない。
 画面に視線を落として時刻を確認すると正午過ぎ。今日は引退試合があると聞いていたが、この時間なら連絡がつくかもしれない。

「誰に連絡してんの?一也?」
「!」
「あ、ほらまた。君ってすぐ顔に出るよねー」

 そういえば前にも似たようなことがあった気が。わたしそんなに分かりやすいタイプだったっけ?
 そんなことを考えていると手に待っていたケータイをひょいと奪われた。呆気に取られていると開きっぱなしだった電話帳を操作して通話ボタンを押しているではないか。

「ちょっと、返して!」
「そんな怒んないでよ、用が終わったらちゃんと返すって」

 慣れた手付きでケータイを耳に当て、それを取り返そうとするわたしの掌はいとも容易く躱される。離れていても聞こえてくる呼び出し音が数回鳴った後、通話口からどうした?という御幸の声が聞こえてきた。

「やっほー!俺は一体誰でしょーか?」
『……鳴?なんでお前が苗字のケータイ持ってんだよ』
「大正解〜!さっきばったり会っちゃってさー、すごくない?運命じゃない?……っていうかもう秋だよ?何してんのさ」
『はぁ?何のことだよ』
「モタモタしてたら苗字ちゃん俺が奪っちゃうよ?」
『お前なぁ、』
「じゃあね〜」
『ちょ、待っ』

 一方的に喋るだけ喋って反論を許す暇も与えず通話終了ボタンを押す。そんな嫌がらせに近い行動をサラリとやってのけた成宮くんは至極満足そうな表情を浮かべてケータイを閉じた。僅か1分足らずのその悪行に頭がついていけず、ただその行動を見つめるしかなかった。

「はいどーぞ」

 ニコニコと笑いながら差し出すケータイを受け取ろうとするが、成宮くんは握ったそれを離してくれない。これでハッキリした。御幸とはまた違った部類で性格に難ありだ。ぐっと力を込めて奪い取るように引き剥がすと、成宮くんは少し驚いた様子でわたしを見つめていた。

「…成宮くんってわたしに興味ないでしょ」
「そんなことないよ、なんで?」
「あれだけ全国に顔知られててファンも多くてモテるのに、わたしに構うなんて変だよ。どう考えても御幸をからかってるようにしか見えないから」
「ふーん、そう見えるんだ」
「わたしじゃなくて、御幸に相手してもらいたいんじゃないの?」

 その言葉に、目を丸くして固まるのを見逃さなかった。ほら、図星じゃん。声に出さずともそう目で語りかけるように彼を見据えると、成宮くんの表情が僅かに歪む。気に食わないって顔してるね、もしかして自覚してなかったのかな。

「苗字ちゃんさぁ、一也のこと好きなの?」
「…教えない」

 返ってきたのはまさかの変化球だった。肯定するのは癪だけど否定して嘘もつきたくない。だからってこうして黙秘しても、結局は認めてることになるんだよなぁ。
 この質問に関してはわたしの負けだ。でも、これ以上の模範解答をわたしは知らないのだから仕方がない。概ね認めてしまったことに変わりはないが、強気な返事が気に食わなかったのか目の前の彼はすこぶる機嫌が悪くなっていた。隣の後輩くんはハラハラしている。なんだ、わたしにも会心の一撃を食らわすことができたんだな、なんて優越感に浸ってみたり。

「俺に楯突くなんていい度胸してるじゃん」
「どうも」
「…ほんっと生意気、面白いね」

 それ、本気で思ってる?どうもこの人は本心が読み辛くて困る。わたしを見下しながら笑うその顔は、まさに王様そのもの。不動のエースというものは、こうも自己中心的で自信過剰な存在なのか。
 この顔がいいと持て囃すファンが多いのは周知してる。だけど、どうにもわたしは苦手らしい。


(20201223)

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