寸止めドロップアウト

「純さん、ちょっといーっすか」
「何だ?」

 水面下の動きとは、まさにこのことで。

「なんつーか…御幸のことで、ちょっと」
「御幸ィ?」

 舞台裏と言えば舞台裏で。

「正確には、御幸の女の話なんすけど」
「ほーう…話してみろ」

 引退試合の裏側で秘密裏に交わされたやりとりなんて知る由もなく、新たな刺客が送られてくるなんて思ってもみなかった。







「御幸、ちょっと顔貸せよ」

 予定より早まった3年生との引退試合が終わって雑談に華が咲いた頃、俺が呼び出しを食らったのは少し意外な相手だった。

「何ですか?こんなとこまで移動して」

 純さんに連れられてグラウンドから少し歩いた土手の端に腰を下ろす。こんな所までわざわざ距離を取ったということは他の奴に聞かれたくない話があるんだろう。未発表とは言え辞任を決意したという監督について何か他の情報があるのか、それとも新コーチのことか?でも、それなら純さんだけじゃなく哲さんもここにいるはずだよな。じゃあ何だ?
 引退試合を通じてチームで目指す目標は定まった。自分たち、そして監督のための秋大優勝、センバツ確定。やっと新チームとしてまとまりそうな手応えを感じ始めた中で、これから一体何を言われるのか。

「最近気になるクラスメートと上手くいってないらしいじゃねーか」
「…は?」

 当然のように部のことについて話を振られると思ってたのに、蓋を開けてみれば180度違う話である。気になるクラスメート?どういうこと?そうは思いつつも、そんな表現が当てはまるのは苗字しかいない。それから頭に浮かんだのは、ツリ目でお節介なあの男。

「倉持っすね、あいつ余計なことを…」

 なんで純さんに話すんだよ、バカか!しかもこんな大事な時期に!昼間の電話の鳴といい、なんなんだ今日は厄日かよ。次から次へと降って湧いてくる問題に頭を抱えて泣きたくなった。
 しかし一体どういうつもりで純さんは俺をここへ呼んだのか。普通に考えたら浮かれてる場合じゃないと喝を入れられるのが妥当だ、俺だってそう思う。もちろん浮かれるつもりなんてハナからないし、これからもそのつもりだった。

「心配しなくても別に浮ついちゃいませんよ、今はそれどころじゃない、」
「バーカそういう話じゃねぇよ!」

 先手を打たれる前に釘を刺そうと口を開くと、食い気味に遮られたのは否定の言葉。

「いいか?キャプテンになったからって惚れた女を諦めなきゃいけねーなんて誰が言った?」
「…え?」
「甲子園目指しながら彼女の一人や二人作らねーでどうすんだよ、お前それでもチームの要か?」
「純さん、言ってることメチャクチャっす」
「ハッ、それぐらいのプレッシャー乗り越えられねーでキャプテンが務まるかよ」
「いや、それ関係ない気が…しかも一人二人って、それ二股、」
「あぁ!?テメェ先輩の意見に指図する気か!!」
「え〜〜理不尽…」

 いやいやいや、何なんだホント。純さん少女漫画の読みすぎなんじゃねぇの?なんて言えるはずもなく、睨みを効かせた顔でただただ威圧される。
 なんで俺この人と恋バナしてんの?冷静に考えるとおかしくね?

「話聞く限りじゃその女、今時チャラチャラせずに献身的で甲斐甲斐しいやつじゃねーか」
「…まぁ、生意気で可愛くないとこもありますけどね」
「ノロケてんじゃねぇよ!」

 思わず本音を溢すと肩をどつかれた。つーか倉持のやつ苗字のことどんだけ喋ってんだよ。それを考えると俺のことも全て筒抜けになってんじゃねぇかと思ってだんだん不安になってくる。一年の頃から正捕手の座を守ってきたこの俺が、たった一人の女に翻弄されてたとでも思われてんだろうか。色々と恥ずかし過ぎる。

「いや、でも…」
「もし周りに浮かれてるだの調子乗ってるだの言われようもんならプレーで示しゃいいだけの話だろーが。そんなら誰も文句言わねーだろ」

 哲だってそうしてきたんだ、そう続けて鼻を鳴らす様子にこれまでの記憶が蘇る。前主将の哲さんはどちらかと言えば物静かな方で、普段から多くを語らない。だけどどんなに苦しい試合場面でもここぞというときにヒットを打って、その度に俺たち後輩はその背中に憧れてきた。

 俺は思ったことは何でも口にするタイプで、そのせいで今まで作ってきた敵は数を知れない。哲さんみたいな主将にはなれないと思うし、真似をするつもりもない。けど、上手く伝えられない時こそプレーでチームを引っ張ることなら出来るはず。陰の努力なら、誰にだって負けない自信はあった。

「グダグダ悩む暇あったらさっさと告って派手に振られてこい!そしたらスッキリすんだろ」

 黙り込んでしまった俺に掛けられたその言葉に、真っ先に頭に浮かんだのはいつかの夜に見た苗字の顔。俺のヒッティングマーチを聞きながら楽しそうに歌って踊る姿を目撃され、顔を真っ赤にして怒る様子。それは彼女のことが好きで好きでどうしようもないと思った夜で、これ以上俺を夢中にさせてどうすんだとも思った日。

 俺の特別になって欲しいと言ったらきっと傷付けるんだろう、好きだと告げたら困るんだろう。そんなことをずっと考えてきた。それでも、苗字は俺の心の拠り所ってヤツになってしまった。もう、どうしようもなかった。

「…ははっ、それは無理ですね。俺、負けず嫌いなんで」

 派手に振られる、か。そんなこと考えてもみなかった。俺も大概、とんだ自信過剰だな。

「だったらもう腹括れ」
「痛って!」

 立ち上がった純さんから背中に膝蹴りをお見舞いされて、思わず斜面を転がりそうになる。じんじんと痛む背中をさすりながら純さんを見上げると、俺の心を見透かしたように笑っていた。

「ちょ、試合前に勘弁してくださいよ…」
「手加減してんだろ」

 胸につっかえていたものが音を立てずにするりと流れていく。霧が晴れたような感覚だった。まさか純さんに背中を押される日が来るなんてな。
 沈む夕陽と空の青が混じって日が暮れていく。苗字がこれを見たらきっと綺麗だと言うんだろう。

『今はまだ彼女じゃねーけど、いつかそうなる予定だよ』

 いつかの教室でそう宣言したことを思い出す。どうせなら泣かせてやるくらいロマンチックな言葉を選んでやろうか。なんて、そんな柄にもないことを考えていた。


(20201224)

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