聞きしに勝る喜々たる誤算

 6月、梅雨入りまでもうすぐといった初夏の夜。夕方まで降り続いた雨が乾き切らずに露となり、道端の雑草に小さな粒を纏わせていた。

「御幸〜ちょっと顔貸せや」
「いや、もっと他に言い方ねーのかよ」

 急にアイスが食いたくなったという倉持が俺の部屋を訪れたのは夕食後のことで、沢村あたりにパシらせればいいものをわざわざ俺に伝えに来たということは、買い出しがてらに何か二人きりで話したいことがあるのだろう。その見えない意図を汲み取って、こうして二人で近くのコンビニまで足を運ぶことになった。
 日中の寒暖差も和らぎ、陽が沈んでも半袖で外出することが快適になったこの頃。濡れてしっとりとした土の匂いを含んだ風が鼻をくすぐり、夏の訪れを知らせていた。

「今年、苗字応援どーすんだろな」
「ん〜…去年はうちの応援来てもらえたけど、今年はどうかな」

 初夏特有の風の匂いを吸い込みながら夜道を歩いていると倉持は苗字の話を振ってきた。やっぱり目的はそれかよ…と思いながらもとりあえず当たり障りのない返事を返してみる。

「応援来て欲しいよな?」
「…まぁ、来てくれるなら来て欲しいよな」
「ヒャハ!やけに素直じゃねーか」

 変に誤魔化さない方が得策だと思い文字通り素直に答えてみると意地が悪そうに喜んだ。よくもまぁ飽きずにイジってくるもんだ。今更だけどこいつホント俺らのこと大好きだよなぁ、楽しそうで何よりだわ。

 目当てのコンビニが近付くにつれ、そういえば苗字の住んでるマンションもこの辺りだったな、と今年の正月を思い出してみる。地元に帰って会いたいやつに会えたかと問うとそうだね、と言っていた。きっと遠く離れて過ごす彼氏に会って、会えない時間を埋めるように時間を過ごしたんだろう。
 そんなことを考えていると、少し離れた場所に見覚えのある後ろ姿を見つけた。

「…あれ苗字じゃね?」
「おー、なんかノリノリで歌いながら踊ってるな」

 噂をすればなんとやら、俺らの十数メートル先を行く彼女はイヤホンで曲を聴きながら夜道を一人歩いているようだった。連れがいないせいなのかいつもより歩くスピードが遅く、俺らとの距離がどんどん縮まっていく。だが音楽に夢中になっているらしく後ろに迫る俺たちに気付く様子はない。
 普段から明るい性格ではあるが、こんな苗字を見るのは珍しいかもしれない。

「パッとね、ら、い、う、ち〜…っ?!」

 彼女が口ずさむ歌詞とメロディーを聞いて曲の正体に気付いた直後。おそらくサビ部分に差し掛かる箇所。こちらに向かってくるりとターンしたかと思えば、バキュンポーズの苗字と目が合った。

「…………」
「…………」
「や、山本リンダって歳取っても歌唱力すごいよね…?」
「…そ、そうだな」

 一部始終を見ていた俺は必死に冷静を装うが、必死に誤魔化そうとする苗字の対応を見て込み上げてくる笑いを抑えるのは無理だと思った。隣の倉持は小刻みに震えながら腹を抱えてしゃがみ込んでいる。どうやら声も出せないほどツボに入ってウケてるらしい。そりゃ、そうなるわな。

「…いつから見てた?」
「いや、まぁ…ウララ〜のあたり?」
「最初っからじゃん!」

 街灯の灯りでもわかるほど真っ赤になっていく苗字を見てると我慢ならない。だってそうだろ、夏大前のこの時期に、俺のヒッティングマーチを聴きながらノリノリで歌って踊るなんて。そんなの、俺のこと意識してないなんて言う方が無理あるし、それを見せられて何とも思わないなんてのも無理だろ。
 やっぱコイツ最高に面白ぇわ。

「おま、ほんと、俺のこと…はっはっは!」

 我慢の限界を超えて堪えきれずに腹から声を出して笑うと、それを皮切りに倉持も声を出して笑い始めた。腹いてぇ〜!と涙を流す様子に苗字はますます顔を赤くする。

「笑うな!」
「いや、笑ってなんか、くっ…」
「ほら!」

 最悪だ…なんでこんなとこにいるの…と呟く苗字には申し訳ないが、この状況で笑うなというのは無理な注文だ。
 お前どんだけ俺を夢中にさせるつもりなんだよ。何度も諦めようとしたのにこういうことされるの困るんだわ。マジでどんどん好きになってく自分が怖ぇんだけど、本当どうしてくれんのかね。







「なぁ〜そろそろ機嫌直せよ〜」
「嫌だね、御幸と倉持が車に跳ねられて記憶無くすまで許さない」
「大会前に縁起の悪いこと言うなよ…」

 機嫌を損ねた苗字のためにハーゲンダッツを3個も買ってやったのにそれでもまだ足りないらしい。コンビニの帰り道、マンションまで送るために3人並んで夜道を歩いてるわけだが彼女は相変わらずご機嫌斜めの様子である。
 何度謝っても一貫して態度がコレ。お手上げ状態なのでお前意地っ張りだもんな〜と溢せば御幸に言われたくないと言い返されてしまった。え、俺って意地っ張りだったっけ?

「言っとくけど御幸のヒッティングマーチだけじゃなくて全員分入れてるんだからね」
「お!マジで?」
「ほら、倉持のTRAIN-TRAINも入ってるし、結城さんのヤマトに小湊兄弟のキューティーハニーとさくらんぼ、あとは… 」

 苗字はポケットから取り出したiPodを操作して、画面を覗き込む倉持にプレイリストを見せながら説明する。『青道ナインリスト』を完成させるため甲子園応援歌を求めてレンタルショップをあちこち周り、珍しい曲なんかは探すのに苦労したとか。聞けばわざわざ知り合いのブラバン部員にこっそりヒッティングマーチのリストを聞きに行ったらしい。
 そんなことしなくても俺に聞けば話が早かっただろうに、苗字は恥ずかしいからバレたくなかったと言って照れ臭そうにそっぽを向いた。

「俺らって愛されてんな〜」
「そのニヤケ顔やめて」
「元からこういう顔だったろ」

 惚れた女がここまでしてくれてんだ、これがニヤけずにいられるか。自然と緩む頬を必死に抑えていると俺の胸中を察したらしい倉持と目が合って二人してまた笑った。
 それに気付いた苗字が、また笑ってる!と怒りをあらわにする。

「いや、かわいいな〜と思ってな」
「ハイハイありがとね」

 俺の褒め言葉を棒読みで軽くあしらう苗字を横目に見ながらふっと笑う。
 冗談じゃなくてマジなんだけど。そう言ったら苗字は困るんだろうな。


(20201116)

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