心底に触れた優しさ

「こんなとこにいやがったか!」

 昼休憩を中庭で過ごしていると物騒な声が聞こえて来た。自販機で買った紙パックのカフェオレをずず、と音を立てながら飲み切り、ぼんやり見つめていた雲ひとつない青空から声のする方へ視線を移すと、千葉の元ヤンが怒りモード全開のオラオラ歩きでこちらへ向かってくる。
 今時こんな歩き方する人いるんだなぁ、なんて平和ボケしてみるが周りの生徒は若干引き気味だ。倉持って面倒見がよくて気遣いができるタイプなのに絶対見た目で損してるよなぁ。

「お前らのせいで昼メシのあと増子さんにシメられたんだからな!」
「元はと言えばアンタが悪いんでしょ?!」

 この様子だと御幸から増子先輩へ確実に伝言が伝わり無事に落とし前はつけられたらしい。ざまあみろと心の中で悪態をついていると「まぁ今回は許してやるよ」という謎の上から目線でマウントをとってくるもんだから開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。一体どの口が言ってるんだ、許してやるのはこっちのほうだ。

「噂に聞いたけど御幸のやつ、お前のこと彼女にする宣言したんだってな?」

 倉持はわたしの右隣に腰を下ろして胡座をかきながら口を開いた。新しいおもちゃを与えられた子供さながら、そのはしゃぐ様子に思わず殴りたくなったが、同じ土俵に上がっちゃ負けだと自分に言い聞かせて冷静になる。落ち着け落ち着け、ここでムキになったら相手の思うツボだ。

「いや、あれは口から出まかせっていうか…」
「もし本音だったらどーするよ」

 返事を遮るように畳み掛けてくる。声のトーンが落ちたことに気付いて緊張感が走った。彼を纏う空気が変わり、本気なんだと確信する。
 ちらりと様子を伺うと鋭い視線がわたしの瞳を捉えて離さない。捕食動物の気分ってこんな感じなんだろうか。これは半端な返事じゃ満足してくれなさそうだな。
 賑やかな中庭の一角にしばし沈黙が走る。誠意を見せるためにはどんな返事が正しいのか迷ってしまった。

「…ほんと、どうしようか」

 自分に問いかけるように呟きながら右手のカフェオレに視線を落とすと、中庭の植え込みの木が風に吹かれて揺れた。春の匂いに夏の匂いが混じり、夏の知らせを含んだ風がすぅと鼻に抜けていく。すぐそこに夏が迫ってきたのだと思うと胸が苦しい。
 わたしの答えを急かすように、名前も知らない植え込みの広葉樹の葉が風に揺られてざわざわと鳴った。

「わたし地元に彼氏いるのに、こんなこと考えるのおかしいよね」

 こんな身分で御幸のことが気になるなんてとんだ尻軽女だ。そして遠く離れて過ごす彼にもまた失礼な話である。そんなこと分かってた。だけどこの言いようのない感情に名前を付けるのなら、とっくの昔に答えは出ていたのかもしれない。それに気付かないフリをしてここまでやって来たわけだけれど、そろそろ限界かな。

「…腹、括らないとダメだよね」

 俯いていた顔を上げて泣きそうになりながらへにゃりと笑うと、倉持が驚いた顔をしてわたしを見つめていた。

「お前、もしかしてマジで御幸のこと…」
「あ〜もうこの話終わり!」

 午後の授業始まるから戻ろ。今度はわたしが倉持の言葉を遮って立ち上がった。おう、と控えめな返事を聞いたきり教室に戻るまで倉持は口を開かなかった。
 それ以上踏み込んでこないのは彼の優しさ。それが無性に嬉しくて、また泣きそうになった。


(20201115)

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