白日のもとに

 高校一年の3月、桜の蕾が膨らみ始める季節。その日は、少しずつ春の陽気を感じるようになった何の変哲もない一日だった。

「見ろよコレ、御幸のやつ載ってんぞ」
「さっすが一年の夏からレギュラー様ってか?」
「いつもスカしてるあの感じ、余裕だよなー」

 御幸がスポーツ雑誌に取り上げられたのはもう随分と前の話。なのに春休みを目前に控えたこの時期に、今更そのネタで賑わうクラスメートに嫌気がさした。
 あの雑誌が発売された当初、野球部員だけでなくクラスの人間までもが御幸に対して敵意を剥き出していた気がする。なのに当の御幸ときたら「はっはっは、俺って憎まれてんなー」だなんて高らかに笑い飛ばしてしまう始末。

 いつだってこの男はそうだ。
 自分に向けられる妬みや嫉妬を右から左へと受け流す。それが生意気だの調子乗ってるだの、更なる二次被害を引き起こすと理解していながら。それでも尚、彼はそんな陰口をのらりくらりとかわし、これからも一人で孤独に戦っていくんだろう。

【屋上いるからポカリ買ってきて】

 そんな素っ気のないメールが入ったのは昼休憩が終わる10分前のこと。そういえばさっきから姿が見えないな、そう思いながら画面を確認しケータイを閉じた。
 要望の品を片手に目的地へ向かい、音を立てずにそっと扉を開く。春の陽射しでぬるく温まったコンクリートに足を投げ出して座りながら、一人ぼーっと空を見つめる御幸が視界に映った。

「何だよ、来てたなら声掛けろって」
「絶妙なアングルだから10円ハゲ探してた」
「ははっ、俺にストレスがあるとでも思ってんのか?」

 心配してくれてどーもな。そう言いながらニヒ、と笑う御幸に無言で近寄り先程自販機で購入したポカリを頬に押し付けてやる。
 教室での野次を聞いていたのかどうかは分からないが「冷てぇなオイ」だなんてわざとらしく悪態をつく様子に、また一つ胸が軋む音が聞こえた。
 嫌だな。御幸のそんな顔、もう見たくないんだけど。

「…そういうの本当ムカつく」
「は?何?」
「あんたちゃんと弱音吐いてる?」
「あの〜…いきなり何の話?ごめん、俺全然ついてけねーわ」

 呆気に取られた表情で顔だけ振り向く御幸の背中あたりにしゃがみ込み、カッターシャツの端を控えめに握る。
 俯いた視線の先には無機質なコンクリートのみ。ふわりと吹き抜ける穏やかな風が鼻をくすぐり、冬の湿っぽい匂いに加えて、春の匂いが混じったのが分かる。わずか数秒足らずだが、無言を貫くわたしの態度に何かを感じ取ったらしい御幸は声色を変えて口を開いた。

「弱音って…誰に」
「まぁ、仲良いクラスメートとか…」
「例えば?」
「…えーと」
「はっはっは、お前俺に友達いないと思ってるだろ」
「………」
「うわ、傷つくわー」

 そんな白々しい態度でよく言うよ。そう言ってやりたかったけど、それを言ったところで肝心な話は結局はぐらかされてしまうのだ。それが目に見えているからこそ、次に投げかける言葉を慎重に選ばなくてはいけないと思った。
 この男に纏う鉄壁を壊すには、もっとシンプルな言葉で正面からぶつからないとダメなんだ。わたしはそれを、知ってる。

「何て言うのかな、だから…何でも話せる人を見つけるっていうか」
「ほぉ?何でも」
「気を遣わなくてもいい人?みたいな」
「気を遣わなくていい人ねぇ…」
「別に友達じゃなくてもいいんだよ。心の拠り所っていうか、あんたにとって特別な存在ができれば、多分それだけで…」

 そこまで言って息を呑んだ。ちょっと待て、何を言ってるんだわたしは。一足早い春風に当てられて頭でもやられたか。ぐるぐると回る思考の果ては一体どこへ辿り着くというのだろう。
 これじゃまるで、わたしを頼ってほしいみたいな言い草だ。

「…はは、なんてね」

 そう言って茶化そうとした瞬間、背を向けていた御幸がこちらに向き合う。掴んでいたシャツを思わず離すと、今度は彼が私の腕を掴んでいた。控えめに見えて力強いその圧に息が詰まる。
 そっと俯いていた顔を上げると、御幸の瞳は真っ直ぐにわたしを見つめていた。

「じゃあ、お前が俺の特別になってくれよ」
「みゆ、」
「頼むから」

 らしくない言葉にらしくない態度。その全てに、わたしの中で悲鳴が聞こえた。やめてよ、今更そんな顔しないでよ。
 今まで誰に何を言われても平気な顔してたくせに、なんで今になってそんな事言うの?

「なーんてな」
「御幸あのね、わたしね、」
「お前さぁ」
「…っ、」

 嫌だ、その先は聞きたくない。根拠もないのに何を言われるか分かっていた。
 強がる御幸が嫌い、弱音を吐かない御幸が嫌い。
 ずっとそう思ってたはずなのに、いざこうして面食らうと拒否反応を示すのは何故だろう。矛盾してるって分かってた。だけど本能が拒絶する。
 お前さぁ。その先の言葉を聞きたくないのに御幸はわたしの腕を解放してくれない。
 息をすることもままならず、目も逸らせなかった。

「地元に彼氏いるだろ、野球部の」
「……うん」
「やっぱな」

 どーりでスコア見れるわけだ。そう言って笑う御幸を見て強張っていた全身の力が抜けていく。

「気付いてないとでも思った?野球以外でも意外に観察力あんのよ俺。まぁ…倉持も気付いてたけどな」
「…そっか」

 今にも消えそうなくらい微かな声でそう呟くと、御幸はやっとわたしの腕を解放してくれた。掌から抜け落ちていった自分の腕はコンクリートの上に投げ出される。
 きっと今のわたし、相当間抜けな顔してんだろうな。

「そろそろ5限目始まるし教室戻んねーとな」
「…うん」
「お前先行ってて」

 その声を合図に、御幸の顔を見ないよう無機質なコンクリートから立ち上がり足を進めた。
 別に隠してたわけじゃない。隠そうとしてたわけじゃない。そうする理由もなければそうせざるを得ない理由もない。でも、だったらなんでこんなに息苦しいんだろう。

 知られたくなかった?わたしが、誰に?なんで?そんなの愚問だ。きっと「それ」に気付きたくなかったから。
重く冷たい屋上の扉を開くと、苦虫を噛み潰したような顔をした倉持がいた。立ち聞きなんて悪趣味な野郎め、そう言ってやりたかったけど、そんなこと今の自分に出来るはずがない。ぐっと唇を噛み締めて、思わず階段を駆け抜けた。







「なーに辛気臭い顔してんだよ」
「はっはっは、哀愁漂う俺に見とれてたか?」
「…元気がない理由当ててやろーか」
「や、遠慮しとく」

 授業開始1分前。倉持は不器用なチームメイトに駆け寄り声をかけた。返ってきた返事は陽気なものだったが、いつもと違う声音であることに気付いて眉根を寄せる。
溜息混じりに空を見上げれば、清々しいほどに青空が広がっていた。

「ソレ聞いたら俺、泣くかもしんねーから」
「ったく…らしくねぇんだよ」

 他人のことがこんなにももどかしいと感じたのはこれが初めてだ。
 そんな倉持の葛藤を嘲笑うかのように、屋上に一筋の柔らかい春風が吹き抜ける。

 もうすぐ、彼女が東京へ来て二度目の春がくる。


(20140706)

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