コロトコフ音の消失

「とりあえずトスバッティングだと思うんだよなー」
「や、ここは訛った身体をあっためるためにロードワークだろ」
「さっき走ってきたからもういいだろ、ボール使って身体動かしてーし」
「まぁそりゃそーだけど」
「「苗字はどう思う?」」
「何故わたしに聞く」

 新年を迎えて間もないというのに相変わらずの野球馬鹿が目の前に二人。つい先程までコタツでぬくぬくと暖を取り天板の上のミカンに手を伸ばしてたはずなのに、どうしてわたしはクソ寒い冬空の下この馬鹿二人の話に付き合わされなければならないのか。

 東京に帰ってきたらバッティングフォームを見て欲しい、冬休み前の教室で御幸は確かにそう言っていた。だけどどうだ。当の本人に電話で外に呼び出されたかと思えば、倉持を引き連れて我が家のマンションのエントランスに座り込み、自主練メニューについてああだこうだと言い合いが始まってしまう始末。マンションを出入りする他の部屋の住人の視線がチラチラと突き刺さって痛いの何の。
 ここで会議すんな!そう言いたかったが正月早々のオフの日にまで練習に励む姿勢は認めてあげたいのもまた事実。じっとわたしの目を見つめ答えを待つ二人に小さく溜息を吐いて、噤んでいた口を開いた。

「…野球やってないわたしが口挟むのは気が引けるけど、トスバッティングって横からボール投げて打つんでしょ?」

試合のボールってマウンドにいるピッチャーから向かってくるもんだからトスバッティングってあんまり効果的じゃない、なんて記事見たことあったんだけど…
 あくまでも素人目での意見。トスバッティングを提案していた倉持の機嫌を損なわないよう恐る恐るそう告げると、二人の顔は目からうろこといった表情でぱちくりと瞬きを繰り返していた。

「あ、でもよく考えたら試合前なわけじゃないし!感覚取り戻すためならトスバッティングでも別に、」
「よし、ノリに投げてもらうか。他にもピッチャー戻ってるかもしんねぇし」
「だな」
「え、学校行くの?」
「おう。お前も来いよ、どーせ暇なんだし。バッティングフォーム見てくれんだろ?」
「その言い方なんか腹立つ…」

 いや確かに暇ですけど。どうせコタツにミカンで正月太りまっしぐらですけど。御幸の言葉にむっとするも9割方事実なので何も言い返せない。ちくしょうムカつくこのメガネ。無言で後ろ姿を睨みつけていると、わたしの殺気を感じたのか彼はこちらを振り返り「何だよそのブサイクな顔」なんて言うもんだからいよいよ殴ってやろうかと右手を握りしめた。

「あ、もしもしノリ?今からそっち戻んだけど、バッティング練習したいから投げてくんねーか?あー、うん、御幸も一緒、ついでに苗字も連れてくから」

 ついで、って。オイ。確かにそうだけど。わたし部外者だけど。でも自分から行きたいって言ったわけじゃないし行かなくてもいいわけだし、半ば無理矢理連れ出されてる感じなのに倉持までなんだその扱いは。

「え?ゾノと白州も?おー、全然オッケー!」

 握りしめていた右手を緩め、倉持の声に耳を傾ける。電話の向こう、川上くんとのやりとりから着々と自主練メンバーが集まる様子が見て取れた。
 正月休みで練習オフの日なのに着々と寮に戻ってるんだな。さすがは強豪校のスポーツマン、やっぱり身体を動かしていないと落ち着かないんだろう。ていうか予想外に部員が集まりそうな雰囲気なんだけどわたし行ってもいいのかな。
 川上くんと電話で会話する倉持の後ろ姿を見つめながら、今更そんな不安を抱きつつ歩いてると隣の御幸が口を開いた。

「どーだったよ、地元は」
「あー、うん。久々に友達とかイトコとかに会えて楽しかったよ」
「会いたい奴には会えたのか?」
「え?あぁ、そうだね」

 予想外の質問に戸惑い、少し間が空いた。友達とイトコには会えたし、わたし今そう言ったよね?どういう意味だろう、その問いかけに違和感を覚えるも隣の御幸はそれきり口を閉ざしてしまったのでわたしは深く追及することを辞めた。
 こういう時の御幸はそれ以上の質問にきっと答えてくれない、そのことをわたしは知っている。

「御幸は?年越しどうだった?」
「別にフツー。親父と紅白見て年越しそば食って、初詣行って、って感じ」
「ふっ、ベタだね」
「うるせぇ」

 ねぇ、会いたい奴って誰のこと?
 それが聞きたくても聞けないのは、わたしに覚悟がなかったから。
 御幸は大きな歩幅で、だけどわたしは小さな歩幅で、同じように倉持の後ろを無言で歩く。歩幅が違うのに御幸がわたしを置き去りにしないのは、きっと彼がわたしに合わせてくれてるから。
 前を向いて歩く御幸は悪態をついたそれきり、わたしの目を見ようとしない。足元に視線を落としながら俯くと、首に巻いたマフラーの隙間から白い吐息が漏れて冬の空気に溶けていった。

 御幸がわたしに合わせてくれるのはいつまでなんだろう。だけどそれがなんだと言うのだろう。分かったところで、わたしはどうするつもりなのか。こんなくだらないことを考えてしまう自分に嫌気がさす。
 ただ、その答えを出してしまったら。もう、こうして隣を歩けない気がした。


(20140429)

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