「ずいぶんと機嫌が悪いな。」

眉間に痕が残るのではないかというくらいに皺を寄せ、ただならぬ雰囲気を体中から放つ、この船の頭であるユースタス・キッド。1ヶ月ぶりの陸地だというのに、彼の機嫌はすこぶる悪い。それもこれも、あるクルーが原因だ。3年前に腕を見込んで乗せたクルーに段々抱き始めた、自分でも理解できない、制御しきれないありとあらゆる感情がキッドの頭を度々悩ませている。
それがついに堰をきって現れたのが先刻。
昼を街のレストランで済ませ、早々に自分の船に帰ってきたキッドは食堂で2度目の昼を終えたところだったが、あまりにも攻撃的なこの状態にある彼に平気で話しかけることができるのは、長年彼の右腕を務め彼以上に彼を知りうるキラーと、物怖じしないあの彼女くらいしかいなかった。船番として残っている船員達は、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、食堂に近寄ることはおろか目すら合わせない。新入りの中にはあまりの恐ろしさに失神する者もいた。
キラーがコーヒーを啜っていると、ぽつり、とキッドが口を開く。

「気に食わねえ。」
「……そうか?俺はうまかったがな。オムライスが絶品だった。」
「ああ、確かに俺が食べたカレーもまじでうまかった。けどな、キラー。あれっぽっちで腹が膨れるわけ、って、ちげーよ!!!誰がさっき食った昼飯の話してやがる!!!」
「安心しろ。ほんの冗談だ。」
「てめえ、頭ぶち抜くぞ…」
「****ならそのうち帰ってくるだろ。何かあっても腕も確かだ。」

「……あいつが、俺よりあんなクソ野郎を優先したのが気に食わねえんだよ。」

あいつ、とは、昼を食べる前に逢った男のこと。****の古くからの知人のようで、なぜこの街にいるのかは知らないがとにかく****はキッドではなくその男と、久しぶりに逢ったからということで昼を済ませに行った。
男の顔や、ちらりとしか聞いていない口調はどことなく腐れ縁の生意気な外科医に似ていて、それだけでも腹が立つのに嬉しそうに、花が咲いたような見たこともない笑顔を見せていた****にはもっと腹が立った。チッと舌打ちするキッドにキラーは仮面の下で笑みを浮かべる。

「あんまり嫉妬するのは良くないぞ。男の嫉妬は醜いと言うからな。」
「ふざけんな。誰があんな可愛げのない女に嫉妬なんかするかよ。つーか俺が嫉妬なんかするわけ、」
「ちょっとっ誰が可愛げないですって?」
「だから****が、」

聞きなじんだ声に後ろを振り返ると、そこには腕を組んで頬を膨らませている少女、と言うにはが立っている。ストレートの栗色の長い髪は綺麗にウェーブがかけられていて、いつもジーンズばかりな彼女が珍しくワンピースを身にまとって綺麗に化粧をしていることもキッドを落ち着かない気持ちにさせた。****は向かいの椅子に腰掛け、肘をテーブルにつけてキッドの顔を楽しそうに覗き込む。

「まあ、あんたと比べたら月とすっぽん、豚に真珠って言うの?仕方ないわよね、すっぽんが月を羨むのも、豚が真珠を羨むのも?美しいって罪ね〜。可愛い可愛い****ちゃんが他の男といて妬いてるなら、まあディナーくらい付き合ってあげてもよくてよ?キ・ッ・ド?」
「はっ…ばかかおまえ?おまえのどこが月だ、真珠だ?俺に言わせればメスゴリラだな、ばーか。」

キッドのあまりの暴言に目を点にしたまま固まる****が、椅子ごとぐらりと倒れた。やんわり****を椅子ごと起こし、大丈夫か、と声をかけるキラーの声も彼女には聞こえていない。

「キッド。今のうちに謝っておけ。」
「ああ?なんで俺が、」
「また船が大損害をこうむるぞ。」
「………………知るかよ。」

前にキッドが女を連れ込んだ際、たまたま。本当にたまたま、彼に用事があって部屋に入ってきた****がしっかりとキッドと女のアレの最中を見てしまったことがある。あの時の****と言ったらない。大暴れして船を沈めかけた。さすがのキッドも、あの時は死ぬかと思った程だ。後にも先にも、あの程度のことで船を壊されて死にたくないと思ったのは一度きりだろう。

「こいつが知らねえ男と飯なんか食うからだ。」
「****は知ってただろう。」
「俺が、知らねえ。」
「ならばおまえが知っている男ならいいのか?」

淡々としたキラーの口調に、キッドの口元が弧を描く。

「…たとえば誰だよ。」
「そうだな、俺はどうだ?」
「…………………2人っきりか?」
「ああ。」
「……………………キラー、」
「?」

はあ、と溜め息をこぼし、キッドは頭をがしがしとかいてから息をついてキラーを鋭い視線で射抜く。

「お前はいい奴だ。誰よりも信頼できる。お袋を思い出させる節もある。」
「…最後だけあまり嬉しくはない。」
「だからお前にはこんなゴリラはもったいねえ。」
「…………くっくっくっ……」
「なんだよ、」

突然喉を鳴らして笑い出すキラーに口を尖らせるキッドも、彼にとってはもはや笑いが込み上げてくるものでしかない。その理由にまるで気がつかないこの男に本当に我が子を見守る親のような気持ちすら生まれてくる。これ以上機嫌を損ねられても困るため、キラーは再び、なあキッド、と冷静に口を開いた。

「誰であろうと男と****が2人になるのが嫌なんだろう。」
「…………。」
「早く気付いておかないと失ってからでは遅いぞ。」
「……なんだなんだそりゃ。俺は別に…」

よく意味がわからない、と言った訝しげな表情でキッドはキラーを見る。すると、それまで目を開けたまま気絶していた****が勢い良く立ち上がりぐるりと回り込んできた。臨戦体勢に入ったキッドも、立ち上がって彼女を睨みつける。

「ちょっと!メスゴリラって!メスゴリラってなによ!」

怒鳴りつけながら胸倉を掴んできた****に思わず引き気味になったのは、10p近くのヒールを履いた彼女の顔と自分の顔がいつもよりも距離が近いからだ。それだって、30センチ以上は差があるのに少し縮まったこの距離のせいでキッドの胸が熱くなった。

「な、なんだてめえ、い、今まで目ぇ開けたまま気絶してやがったくせに、いきなり、」
「いっつもいっつも何かとつっかかってきて!それだけでも憎たらしいのに、今日は特別腹立つことばっか口にして!あたしが何したっつーのよ!」
「してるだろうが!!」
「だから何をしてるっつーのよ!」
「そんな格好で男と飯食いに行きやがっただろ!」

頭の先から爪先までじろりと視線を突きつけるキッドから****が手を離す。

「これのどこがいけないのよ!」
「全部だ全部!」
「なによそれ!意味わかんない!」

どんどんヒートアップしていく口論に、キラーが一人、置いてきぼりをくらっているがもう彼がこの場にいることはこの2人の頭にはない。痺れを切らしたように****の頭を鷲掴み、髪をぐちゃぐちゃとかき乱した。

「気合い入れて巻き髪なんざしやがって、化粧も、いつもの倍は濃いし気持ちわりぃ!」
「ちょっとやめてよ!お洒落ぐらいいいじゃない!」
「よくねえ!あの男に見せるためにこんな格好したんだろどうせ!」

キッドの言葉に****の眉間に寄せられていた皺がすっと消えた。一瞬大きく見開かれた瞳はすぐに伏せられる。急にしおらしくなった彼女の頭を、予想外の反応を見せられ戸惑ったキッドはそっと離した。

「…あんたがこういう格好好きだと思ったから。」
「………は?」
「いっつも、キッドが島に着いたら選ぶ女ってこういう感じじゃない。」
「……。」

言われてみれば確かにそうだ。体だけ欲するなら、見た目が派手で綺麗で色気がある女じゃなければ意味がない。だが****は違う。体がほしいと思ったことはない。そんなことよりも、彼女に感じている、嬉しくなったりもやもやしたり腹が立ったりと、目まぐるしく移り変わる気持ちのほうが、キッドにとってはずっと大事で知りたいものだった。

「だから、たまに街に出る時にこういう格好したら、少しはあたしのこと意識してくれるかもしれないと思って…。」

滲む涙に、心臓が音を立て始める。

落ち着け、こんなこと言われたからってなに緊張してんだ。どうせこの後、いつもみたいにまた可愛くねえ反論が返ってくる。

すると再び胸倉をぐい、と掴まれたキッドはまさかこいつ殴る気じゃ、となんとなく反射的に目を瞑ってしまった。

しかし掴まれた胸倉はぐわんと下に引っ張られ少しだけ、前屈みになったとき。



柔らかい感触が唇にあたっている。

恐る恐る目を開ければ間近に****の顔があり、瞳が閉じられていた。

なんだ、なんだこれ。

「………。」
「…………。」

そっと離れていく距離が名残惜しく感じる。が、今起きた出来事はこの赤髪の男の頭を混乱に陥れるのには充分過ぎた。
なんだなにが起きた、と回らない頭でぐるぐると思案していれば、頬を赤らめた彼女が気付きなさいよばか、と捨て台詞を吐いて立ち去っていく。

それまで空気だったキラーが声を出して笑いだしたことで我に返ったキッドは、耳まで真っ赤にしながら己の口元を片手で覆った。

(……やられた。)

まさかこんな形で気がつくなんて―


その恋に落ちる、白旗のご用意を


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