ひとっ走り、いつもより長めに走ってきてシャワーを浴びて。出ればタオルと着替えがきっちり用意してあった。さすがだよ、陽菜。こうやってサポートされると陽菜が青道でどんな風にマネをしてたのか見てみたかったなぁなんて思う。

そんなこの子が仕事に向き合ってる姿を見るのは嫌いじゃない、むしろ好きな方。だからリビングのガラステーブルでパソコンを開き仕事をする陽菜の邪魔はせず前に座ってその様子を眺める。
周りの音さえも聞こえないくらい集中している姿はいつも背筋が伸びてて綺麗だ。所作の端々に繊細さが伺えるし長い髪の毛を耳に掛けるとこも、好き。

謹慎生活を一緒にしようって押し切る形で持ってった時、陽菜はなかなか首を縦に振ってくれなかった。少し複雑そうで、仕事の邪魔しないから!、と食い下がる俺に、そうじゃないんだけど…、と苦笑いしながら承諾してくれた今日1日目。


「陽菜って何人兄弟?」


ちなみに俺は姉2人がいる末っ子。
そう続けると陽菜はパソコンのキーボードを何回か叩いてから顔を上げてふわりと微笑みながら仕事中だけ掛けると話していた眼鏡を、そんな感じだね、と外した。ちゃんと俺の声を聞いてくれてるのが嬉しくて頬杖つく俺の顔がへにゃんとなるのが分かる。


「私はひとりっ子。お父さんもお母さんも凄く大事に育ててくれたよ」
「そんな感じだね」
「そう?」


フフッと笑って嬉しそうに。なにそれ可愛いじゃん。つい手が出て陽菜の耳に優しく触れればくすぐったそうに首を窄めるものだから、胸の内がふわふわする。陽菜と一緒にいるとこんなんばっかだよ、俺。どれぐらい伝わってんのかなー本当。


陽菜はパソコンを閉じて、いいの?、と聞く俺に、一段落、と答えて立ち上がりながら口を開く。


「野球部ではね、毎年差し入れを持って挨拶に来てくれる親御さんって有名だったんだ。あ、コーヒー飲む?って、成宮くんのお家のだけど」
「飲む!」
「お砂糖とミルクは?」
「どっちもいらない」
「私と同じ」


あ、またそんな風に笑う。
契約の時にどうせ1人だしそんな大きな部屋はいらないって言ったんだけどそうもいかないらしい俺のこの家。まぁまぁの場所にまぁまぁの広さと綺麗さ。セキュリティは抜群のマンションの一室は陽菜いわく、私の部屋の5倍以上の家賃だよ、らしい。そうは言っても基本的に寝に帰るだけだし、試合などで留守することも多い。ゲストルームだって、連れ帰った女の子とまさか違う部屋で寝るわけもないから使ったことがない。キッチンも、バスルームも、広いテラスも一体なんのためにあるんだ?ってぐらい俺にとってあんまり重要じゃない。そりゃ狭いよりは広い方がいいけどさ。

キッチンに立ち手探りでカップなどを探しコーヒーを淹れてくれる陽菜。そこにあったんだ、とぽつり言った言葉に反応がないから手持ち無沙汰に陽菜の眼鏡を掛けていた手を止めて、え?、と顔を上げる。
じとり、と冷たい眼差しとぱちりかちあって慌てて眼鏡を外した。


「ふうん…」
「え?なに?」
「ううん。そっかぁ、って思っただけ」
「何を?」
「コーヒー。淹れたことないんでしょ?」
「あぁ、うん。だって俺が淹れなくても…、!」


あ…やばい。そういう、こと?

はぁ、と小さい溜息をつく陽菜の背中にマズイと心の中で呟く。まだそのくらいの冷静さが残ってて良かった。


「さて、このコーヒーはどの女の子が置いていったの?」


美味しいよ、と陽菜がカップを手に持ち一飲みしてから俺にも、どうぞ、と置いてくれる。再びパソコンの前に座る陽菜が、ふぅ…、とコーヒーを冷ます吐息の音だけが俺たちの間に響く。


「だから、どうしようって悩んだんだよ」
「へ?」


あ、声裏返った。冷めるよ?と言ってくれたけどなかなか口をつけられないコーヒーの香りが今はちっとも美味しそうじゃない。
陽菜が眉を下げて笑うのは、俺が淹れたことのないコーヒーがなぜあるのか、カップの場所さえ知らない俺の言葉にある事実を知ったからだって分かるから。


「成宮くんはもしかして気付かないかもしれないけど、このお家…女の子の痕跡が結構あるから」
「!…た、例えば?」
「玄関の芳香剤。明らかに成宮くんの好みじゃないでしょ?」
「う、うん」
「洗面所。女物の化粧水とか、タオルとか」
「気付かなかった」
「コーヒーにお砂糖もミルクも要らないって言うのにミルクのポーションがあったから」
「え、どこ?」
「引き出しの中。その様子じゃ、まだまだ知らないことありそうだね」


くたりと笑い首を傾け、ね?と言う陽菜が可愛い…じゃなくて。いや可愛いけど今はそうじゃなくて、顔を緩ませてる場合じゃない!


「心配」
「俺?」
「うん。お部屋の変化にも気付けないぐらい野球ばっかりな成宮くんが」 
「!…怒ってない?」 
「あれ?怒られたい?」
「怒ってくれるならごめんが半分、嬉しいがもう半分」
「あはは!正直!」
「俺が陽菜に正直じゃなかったことなんてないよ」
「……うん。ちゃんと分かってるよ。大丈夫」


そう言って目を伏せて一口コーヒーを飲んだ陽菜にふとさっき一也からきたメッセージになんて返信したのか気になって俺はコーヒーカップを脇に避けてジッと陽菜を見つめる。せっかく淹れたのに、と笑う陽菜に、いいの!、と返す。


「俺はやめとけって、一也からの」
「あぁ、さっきの?」
「なんて返した?」
「まだ返してない」
「陽菜ってさ、返信遅い」
「御幸もね」
「それ分かる。アイツ、読んでるはずなのに返して来ねェの!」
「成宮くんがしつこいからって、言ってたことある」
「はあ!?」
「ような、ないような」
「え、どっち!?」
「答えは御幸に」
「そんな"続きはウェブで"って感じに言われてもね…」


呆れる俺にニッと陽菜がいたずらっぽく笑って一気に力が抜ける。仕事として俺に対応する時はあんなに淡々としてるのに、それを離れると時々子供っぽくなんの、陽菜。

諦めに背もたれに深く寄りかかるとくすりと勝ち誇ったように笑っちゃってさ。言っとくけど、俺を言い負かしたりできるのなんて陽菜ぐらいだよ。


「ま、いいや。後で見るし」
「ハイハイ。どうぞ」
「いいの?」
「自分で言ったのに」
「まぁ…そうだけど」
「成宮くんは私に見せれる?」
「……スマホ?」
「うん」
「全部?」
「うん」
「えー…っと…」


ツー…と目線を流す先に俺のスマホ。え、あれの中全部?陽菜に?家の中でさえ"こんな"感じなのにもっと放置してるこの中にどんな爆弾を抱えてるか分かったもんじゃない。
眉間に皺を寄せて、俯いて、かと思えば天井を仰いで。唸る俺をジッと見つめている陽菜に試されてるようで心臓が嫌な音を立てるし冷や汗を掻く。


「嘘だよ」
「…へ?」


声が掠れてしまって、コーヒー飲んだら?、と陽菜が言うからつい手を伸ばしたけど、いやいや!いらない!、と首を振る俺に陽菜が眉を下げて笑う。


「ごめんね、こんなつもりじゃなかったの」
「いや…俺が、ちゃんとしてなかったからだし…」
「ちゃんとしてたでしょ?成宮くんは」
「!」
「成宮くんがちゃんと女の子を大事にしてたのは知ってるよ。見てきたんだから。まぁ付き合ってる期間が短すぎるから周りに勘違いされちゃってたけどね」
「勘違い?」
「種馬って」
「はあ!?撒いてねーし!!ちゃんとゴムつけてたし!!」
「そんな大きな声で…。……うん分かってる。成宮くんのそんな噂を聞いても、馬鹿みたい、って笑えるぐらいの信頼はちゃんとあるよ。ずっと組んできたんだから」
「う…!でも、…っ」
「成宮くんと付き合った子と話して時々話を聞いたけど」
「え"っ……どうせボロクソ言ってたんでしょ?」


もういいや…もう格好がつかないの、さすがに分かる。種馬なんて暴言に思わず立ち上がっちゃったけど座って溜息。さぁ、どっからでもどうぞ。

でも陽菜が俺を責めてるわけじゃないのは分かる。くすりと笑って立ち上がったかと思えば俺の隣の椅子を引いて座った陽菜。ビクッと肩が揺れちゃったの、気付かれてないといい。


「ううん。大事にしてくれたって嬉しそうに言ってた。私が弱いからお別れすることになっちゃったけど、ずっと応援してるって」
「!…嘘でしょ」
「それ、私がこんな嘘つけるほど強いと思われてるってこと?」
「!」
「こっち見て。成宮くん」


柔らかい口調が真剣な響きに変わって、ハッと息を呑み顔を上げれば陽菜が俺を真っ直ぐ見つめてる。どくりと心臓が高鳴って、手を伸ばしそうになったけどそれより先に陽菜が、なんて顔してるの?、と俺の頬に触れた。


「日本で御幸や倉持、御幸の婚約者の莉子さん。マネの後輩に青道の監督や副部長に会ってきて私は1つ、学んだことがあります」
「は、はい」


って、なんで俺まで敬語になっちゃってんの。
なんだか可笑しくてハハッと笑うと陽菜も笑うからちょっと安心。そうしてると陽菜が口を開く前にスマホの通知音。これは俺のじゃなくて、陽菜の。


「今の自分を作ってるのは、今までのすべての人たちなんだって」
「!」
「成功も努力の結果も、全部自分1人だけじゃ成らないものだって。…なんて、半分は御幸の受け売りだけど」


ちょっと悔しそうに肩を竦めた陽菜がスマホを手にしてちょっと操作してから、はい、と俺に画面を向ける。
メッセージアプリのトークルーム。相手は一也。

《みんな心配してんぞ》

…余計なお世話!…とは言い難いかもしれない。

《倉持とか亮さんとか》

亮さん?…あぁ、小湊さんか。あの人も球団でスカウトの方やってんだよね。何度か飯食ったことある。倉持は、ほっとけよ。結婚するんだろ?お前だけには関係ないね。

《報告は?》

一也さ、親になったら絶対娘に嫌われるじゃん!俺が子供だったら絶対に嫌なんだけど!陽菜が返信する前に何件送ってきてんの!?

呆れるってより、もしかしてこれは俺が今まで見たことのない一也の意外な一面を目撃してる?むくむくからかいたくなってくるイタズラ心が育つんだけど!

ゆっくり画面の文字を追って、ぜってー後で一也にスタンプ攻撃してやると決めた俺は一也のメッセージとは反対側にある陽菜の返信をようやく目に入れた。
読むのが怖くて、読んだ?、と陽菜に苦笑いされちゃうぐらい時間がかかった自覚はある。


「これ…」
「ちゃんと本心だよ」


パッと見る陽菜が唇を尖らせて目線を流し恥ずかしそうに言う。
……分かってる。
陽菜がさっきまでそう言ってくれていた言葉を俺も心の中で呟く。
分かる。陽菜は恥ずかしがり屋だと思う。素直な方かっていえばそうじゃないし、本当は寂しいのに寂しいと言えない強がりで寂しがり屋。こんな風に言葉と行動で尽くしてくれることに苦しくなるぐらい胸がいっぱいになる。

《大丈夫。成宮くんは誠実な人だよ》

一也が既読をつけながらもまだ返信をしていない陽菜のその言葉に思わず陽菜に手を伸ばしスマホを持つ手を握り、ごめん、と伝えた。眉を下げ首を傾げる陽菜の髪の毛が流れて目で追った。


「こんなことさせて、ごめん」
「お安い御用だよ。成宮くんの彼女になるにはこのぐらいは覚悟の内」
「そう?俺、あんま束縛する方じゃ……え?」


今、大事なことを聞き流したような。

ぽかんと陽菜を見る俺の顔がおかしかったのかくすくす笑うの可愛い…じゃなくて!

何度か頭の中で反芻した言葉にやっと理解が追いついて、ガッと陽菜の両肩を掴む。パチクリとシャッターを切るように俺を見つめる陽菜の目を真っ直ぐに見つめればいつも通り、綺麗、と陽菜がうっとりするように言った。


「彼女?俺の?」
「うん。よろしくお願いします」
「う、うん!めっちゃよろしく!!すっごく大事にする!先に死なないでよ!俺を看取るのは陽菜だけの特権!」
「いきなり重いとこきた」
「えっと…抱き締めていい?」
「キスは無断でしたのに?」
「うっさいな!なんか緊張すんの!分かんないかな!」
「ううん、分かる。じゃあせっかく淹れたから、コーヒー一口飲んでから」
「ん。いただきます……ブホッ!!」
「あははは!!大成功ー!!」
「ゲホッ!ゴホッ…!あ、甘っ!!砂糖!?ジャリジャリするじゃん!!」
「全部使ったもん」
「はあ!?」
「だから今度は私が買ってきた砂糖、置いていい?」
「!っ……はあぁっ、もう…。そういうこと?」
「うん」
 

前の彼女が買ってきたものだから?
恥ずかしそうにする陽菜のさり気ない嫉妬と独占欲にカァッと顔が赤くなり、甘すぎるコーヒーを飲んだ口もつい緩むから手で覆い隠す。
こんなん、ますますハマるけど大丈夫?陽菜が。


「……やっぱキスしていい?」
「甘そうだから嫌」
「ぜってー舌入れる!!」
「え、ちょ!やだってば!!」
「そんな嫌がる!?じゃあもう、はい!ん!!抱き締めさせて!!」
「なんでそんな偉そうに…」


そう言いながらも両腕広げた俺の胸元にゆっくり、お邪魔します、なんて入ってくる陽菜が可愛すぎてさっきよりも口の中が甘く感じた。



糖分は君だけで十分です
「今度、カップも一緒に買いに行こうよ」
「!……うん」
「ベッドも新調する。陽菜と一緒に寝たい」
「じゃあ今日は我慢だね」
「ゲストルームで一緒に寝る」
「え、狭…」
「寝る。寝るったら寝る。絶対に寝るこれ以上の選択肢はナシはい決定!」
「でも御幸が、」
「は!?一也がなに!?え、スマホ?あ、さっきの返信?なになに…《鳴、変態だぞ?》…アイツ!!」

続く→
2020/08/23

[*prev] [next#]
[TOP]
[しおりを挟む]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -