俺の家からかなり離れた郊外の静かな住宅街に陽菜の住んでるアパートはあった。
高級住宅街ではなく、高いビルよりも広い庭が目立って歩いていると草と土の匂いを風が運んでくるようなところ。古めかしい赤レンガ調のアパートは3階建てで、セキュリティーは?と眉を顰め見上げながら言う俺に陽菜は門のロックを外しながら、万全です、とにんまりと笑った。


「なんか、陽菜らしいかも」
「そう?」
「高層マンションの最上階とかに住んでてもらしいっちゃらしいけどね、陽菜は」
「なにそれ。どっち?」


くすくすと笑う陽菜は、どうぞ、と開けた門の側に立ち俺を招き入れる。中に入れば薄暗くひやりとしてる。んー。セキュリティーは万全かもしれないけど、心配になるような暗さじゃん。


「言っておきますけど、私みたいなお給料じゃこれぐらいがせいぜいだからね。みんなそう」
「うっそ」
「…ちょっと嘘だけど」
「だよね」
「貯金は堅実にしたいんです」
「いくら?貯金」
「通帳見る?すっごいよ」


そう言って階段を上がりながら勝ち気に笑い俺を見下ろす陽菜にぞくりと背筋に高揚感が走って俺の口角も上がる。
2人とも完オフ。
俺の自主トレを終えてから前から気になってた陽菜の住んでいる家に一緒に足を運んだ。途中、陽菜がよく学生の時に行ったという店でお薦めだというパスタを食べてそこでバイトしてる男がやけに陽菜に馴れ馴れしくてイライラしたり、近所のおばちゃんが最近姿が見えなかったと陽菜を見た瞬間駆け寄ってきて俺を睨んだり。


「あれさ、絶対俺が陽菜をたぶらかしたとか思ってたよね」
「あはは!ね?怖かったー!」
「笑い事じゃないって」


でも、陽菜が嬉しそうだからいいけどね。
口に手を当てくすくすと笑う陽菜は、ここでちゃんと地に足を付けて生きてたんだなってそう思った。
鍵を開けて部屋を入る陽菜の背中に目を細める。
これはなんとなく勝手に俺が陽菜はイメージだけど。青道連中と辛い別れをしたから、ここでの生活は生き辛く前を見れず俺と出会うまで来たんじゃねーかって、勝手に思ってたけど。違うじゃん、全っ然!地に馴染んで歩いてる姿も違和感無いぐらい、陽菜はちゃんとここで生きてたんだ。


「散らかってない…はず」
「おっじゃましまーす!!」
「あ、ちょっと待っ…もう!」


そっと部屋を覗く陽菜を押し退けて入ればカーテンの引かれた部屋は少し薄暗い。でも目が慣れれば部屋を見るに困らないほどの明るさはあって、入ってすぐに大きな窓が広がる角部屋のワンルーム。キッチンの横にバスルームに繋がっていてベッド1つとデスクが1つ、キッチンと衣装ダンスがあればいっぱいになっちゃうような部屋だけど陽菜はカーテンを開けながら、学生には十分!、と窓を背にして笑った。


「この辺りは学生が多いから、こういうアパートが多いよ」
「へぇー…。え?陽菜、学生の頃から此処に住んでんの?」
「うん。3年の時かな、お父さん達が日本で事務所を知り合いと立ち上げることになって帰国したから」
「は!?初耳だけど!…それからずっと1人?」
「ううん、彼氏いた」
「はあ!?」
「ちょ、鳴!声大きい!防音そんなによくないんだから、ボリューム落としてよ…」
「…ハーイ」
「もう…」


いやさ、無理ないじゃん。はぁ、と溜息つかれて、座って、なんてベッドに促されても素直に座ってなんかやりたくないね。そりゃまぁ…彼氏の1人や2人いただろうけど、なんか現実味ないっていうか…信じたくないっていうか。
ムゥ、と陽菜をじとりと見据えても何食わぬ顔で取り合わず、コーヒー淹れるね、と陽菜がコートを脱いでクローゼットからハンガーを2つ出して俺に1つ渡す。ハイハイ、俺のコートも掛けますよーっと。陽菜は面倒見が良い方だとは思うけど、甘やかすように世話を焼いたりはしない。一緒に暮らすようになったら多分、もっとそういうところが見えるんだろう。

それにしても…彼氏ね。別に、気にしねェけど。


「どんな奴?」
「聞きたいの?」
「別に!気にしてねェけど!」
「そ。ならこの話はおしまいね」
「……どんな?」
「大学の同級生。よく気に掛けてくれて、優しい人だったよ」
「ふうん。ちゃんと好きだったんだ?」
「好きじゃない人とは付き合いません」
「なんで別れたの?」
「んー。色々あった積み重ねだけど、1番はこれかな」
「ん?」


これ?
眉を下げて笑った陽菜が俺からコートを掛けたハンガーを受け取りポールハンガーにかけてから衣装ダンスの1番上の引き出しを開けて何かを取り出す。長方形の、それなりのサイズのそれを手にベッドに腰掛ける陽菜にポンポンと隣に座るように促され、ようやく座った俺を確認して蓋を開けた。


「その人はね、私の思い出がいらない人だったんだ」
「!……クソ野郎じゃん」
「あはは!うん、だからお別れしたの」


そっか、なるほど。"これ"ね。
箱の中身は陽菜が見せてくれると話していた青道高校野球部の、陽菜の世代で作ったフォトブックと陽菜が大切に残した思い出の写真たち。
はい、と箱ごと渡され陽菜はキッチンでお湯を沸かしカップを2つ出してコーヒーの支度をしてくれるのを眺めながら俺はフォトブックから手に取ることにした。

古い…のは当たり前か。だって高校を卒業してもう8年経つんだ。白い表紙も幾ばかりか茶焼けているように見える。背表紙には幾度も開き閉じたことが分かる折り目があって、陽菜が何を想いこれを見ていたかは分からないけど重ねた年月と同じぐらいの年季を感じるほどの大切さは十分に、こうして手にしてるだけで伝わってくる。
陽菜の世代、つまり一也が主将の世代なわけだから俺も顔を知ってる奴はたくさんいる。
1枚1枚、陽菜が撮ったのだという写真を見ながら、懐かしい、という感情の代わりに感じるのは陽菜がカメラのファインダー越しに何を思いどんな顔をしてたかってこと。
…多分、すっげー笑ってたんだろうな。
ほら、なにこの写真。めっちゃ笑ってるじゃん。誰だっけ?これ。


「あ、木島たち」
「!…みんな楽しそうだね」
「うん!あ、コーヒーどうぞ」
「ん。ありがとう」
「木島とは同じ大学に行くはずだったんだ」
「あぁ、日本で?」
「うん。亮さんが行ってた大学。木島はね、亮さんを尊敬してたから」


今なにしてるのかなー、と陽菜も俺の隣に座り一緒にフォトブックを眺める。フゥー、と小さくコーヒーを冷ます息の音を横に聞きながら俺もカップを片手にまたフォトブックを捲る。ちらりと横目で陽菜を見れば緩んだ幸せそうな顔。あーなるほど。確かに。こんな顔されればそりゃ面白くもないか。自分の彼女が自分の知らない思い出を巡らせながら自分の知らない顔で笑う。理解はできるよ。

けど、しょうがないじゃん。
これも含めて好きになっちゃったんだし、俺も顔が緩むし。
あのね、と写真を指差し当時の思い出をたくさん話す陽菜の手には俺が贈った指輪があって、時々俺を見て優しく笑ってくれる。それだけでいいじゃん。


「え、なにこの写真。あれじゃん、顔が怖い人」


すっげー焦ってる!
指差す写真は前園が部屋らしい場所で焦り手を広げる写真で、ブハッ!と噴き出す陽菜の手からカップを奪う。ちょ…!危ないって!


「ご、ごめ…っあはは!久し振りに見ると私、すっごい馬鹿だった!」
「はあ?」
「あの、うん。っ……これはね、寮の部屋なんだけど。私がみんなの部屋の秘密を知っちゃったものだからゾノがすごい警戒してるの」
「秘密……え、まさか」
「あー、鳴も心当たりあるの?」
「そりゃあるでしょ男の子だし」
「そっかー。うん…っあはは!もー!おかしい…!」
「てかさ、寮の部屋入るとか危ないじゃん!」
「監督には許可貰ってたよ」
「えー。あの監督さん、すっげー怖そうなのに」
「日頃の行いかなー?」
「うわ、自分で言う?それ」


普段より子供っぽい陽菜がニッと笑い、うそうそ!、と俺からカップを受け取りひと飲みしてから話し出す。あ、俺も。…ん。うまっ。


「監督には私の事情を話してたし…慮ってくれたんだと思う。最後にフォトブック以外の写真の代金もね、先払いしててくれたんだ」
「へー!カッコイイじゃん!」
「でしょ?うちの監督はカッコイイんだから」


それでも馬鹿で盛んな健全男子高校生の部屋に入るのは賛成できねーから陽菜のほっぺたを軽く引っ張っとく。いたっ!と陽菜。軽くだよ、軽く。…多分。


「陽菜、いねーんだけど。野郎ばっか!」
「それはね。自分で撮ってたらなかなか自分は写らないよ。んー…確かこっちに…あ、いた」
「おー!可愛い!子供!」
「あはは!なにそれ!」
「や、大人の陽菜しか見た記憶ねーもん俺」
「そっか。まぁ、そうなるのかな。こっちが夏川唯。こっちは梅本幸子。2人とも可愛い!」
「陽菜が1番可愛いじゃん」


サラッと思ったまんま写真を見ながら言えば陽菜は俺の隣で息を呑んでしばらく何も言わずにコーヒーを呑んだ。照れちゃって、可愛いーの!

ついシシッと笑えばムニッと仕返しとばかりにほっぺたを引っ張られて、でも痛くもないからニィッと笑ってやる。真っ赤な顔で睨んでる。ププッ、可愛い。
まだ幼さが残る顔で写真に切り取られた当時の陽菜の姿。青道の制服、悔しいけど似合ってる。首元の大きなリボンと切り揃えられた髪の毛、ちょっと短い前髪に化粧を知らないあどけなさを見つめながら気付く。


「これ、誰が撮ってんの?」
「え?そういえば…誰だったかな…?」


うーん…って唸られてもね。
見れば自撮りしたような距離感のある写真じゃないよね、これ。明らかに誰かが撮ってる。背景は学校の廊下。

どうにも答えが思い出せないらしい陽菜を隣に肩を竦めフォトブックを見終わり横に置いて今度は写真に手を伸ばす。お、こっちは陽菜が写ってる写真ばっか!あーなるほどね。フォトブックに載せなかった、陽菜だけの思い出か。
一也とか倉持とか、あ!こっちは沢村と春市。片岡監督たちと撮ってる写真もあるし、グラウンドや寮の写真もある。
ここに在るのは確かに陽菜の大切な時間に違いなく、俺が入り込めない心の一部だ。

倉持と誰かがゲームをやってる写真。一也の素振り、川上だっけ?サイドスローの投手。そいつのシャドーや学食で食べてる様子。中でも目を引いたのは倉持と一緒に撮ってる写真だ。ふうん…こうして見れば恋人に見えなくもないのがムカつく!!写真の中で陽菜が紙に書かれた一文字をこっちに見せてんだけど…なに?"ね"?


「あ、これはね。これ…と…」
「前園。…"ま"」
「そう。で…あ、この御幸と撮った写真とを並べて…」
「!…"またね"?」
「うん。これぐらいしか出来なかったんだ」


子供だよねぇ、と小さく笑う陽菜だけどちょっと待ってよ。これ!


「俺、この写真見たことある!!」
「え!?なんで!?」
「一也の手帳の中から見つけて。うわ…」
「手帳って…勝手に?」
「いや今そこ問題じゃねーし!マジ…?これ、陽菜だったんだ…。彼女かと思ってた」


まだ日本でプレイしてる頃、一緒に飯を食った時に一也の置きっぱなしにした手帳を何となく開けば出てきた1枚の写真は確かにこれだ!普段から全く女を寄せ付けないようにしてたから彼女がいるとは思ってたし、写真を見た瞬間仲良さそうに写る様子に湧いた羨望にも似た感情に腹の中が気持ち悪くなったのも覚えてる。
俺にはこんな風に一緒に写る子はいなかったし、写りたいと想える子も当時は考えられなかった。

うわ…、と繰り返し写真を凝視。
同様を隠すように口に手を当ててみるけど、多分大して隠せてない。


「鳴?」
「や、…うん。なんか…やばい。俺、陽菜とこっちで知り合う前に見てたんだと思うと複雑」
「複雑って…」
「上手く言えねェけど、嬉しい…ような。悔しい…ような」
「うん…」
「ありがとう、俺と会ってくれて」
「!」
「俺…陽菜と会えなかったら多分、こんな気持ち知らなかった。知らなくてもいいようなムカつくとか悔しいとか、もどかしいとか…そういうの…自分自身に感じることはあっても女の子にそこまで求めたりしなかった。でも、陽菜は違う。煩わしくて、面倒でもさ…全部欲しい。そう思えるほどちゃんと俺は陽菜を愛してる」


あー何言ってんだろ。こんな、語るようなことでもないけど胸がいっぱいで苦しいからどんどん溢れてくる。写真に写る陽菜と今俺の隣で大人になった陽菜が同じように大きな口を開けて子供みたいに笑うのがこんなに嬉しくて堪らない。
ギュッと陽菜が俺の写真を持つ手を握り視線を引き寄せ、俺にキスをする。俺の見開いた目の下に指を当てて、綺麗、と泣きそうな顔で笑う陽菜が言う。


「鳴。私と会ってくれて、ありがとう。私の辛さや悲しさや寂しさが全部無駄じゃないと思えるぐらい、私も鳴を愛してるよ」




愛し愛しという心
「ところで」
「うん?」
「青道の制服とか、もうないの?」
「え?…えぇっと…どこかにはしまい込んであるかな」
「見たい!」
「は!?やだ!!」
「なんでさ!!着てよ見たい!!」
「な、なんで…」
「ふふーん!男のロマンってやつ!それ着てセック…ブッ!!あ、っぶね!!コーヒー溢れるじゃん!!いきなりクッション投げる!?」
「め、鳴が変態!御幸が言った通り!」
「!…ふうん。じゃあご期待に応えよっかな」
「ちょ、も…ゃ…っ鳴!」
「いったぁー!!」

続く→
2020/09/19

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