結婚してくれとふざけた科白を吐く前に、感謝を伝えろ。
そうカイルに言われ、なんのこと?、と眉を顰めれば溜息混じりに聞かされた。ていうか別にふざけてねーし!
まぁそれはそれとして、今俺が住む場所は陽菜が契約手続きから始まり生活に必要な用品の買い揃えなど一手に担い行ったのだという俺の知らなかった事実。
え…そんなこと、全然知らなかった。そう唖然とする俺の隣で聞いていた陽菜は、言わなくてもいいのに、と上司のカイルを前にして遠慮がちに零した。


「鳴はこだわりがなかったから、逆に難しかったよ」


陽菜がコーヒーを淹れながら俺にそう話したのはカイルに結婚の報告をして帰宅してからのこと。
カイルは俺が陽菜に贈った指輪がすでに陽菜の左手薬指にあるのを見て溜息混じりに頷き、陽菜はそんなカイルに頭を下げた。
おかしいでしょ?結婚すんのは普通おめでたい話じゃん。謝罪を口にしながら頭を下げるなんて、俺たちの結婚が悪いことみてーだけど…俺もちょっとは分かるから口を噤んだ。これは俺にはどうしようもないことで、陽菜の大事にしてる部分だ。
"今まで本当にお世話になりました"
陽菜はそう言ってカイルに野球選手である俺と生きていくから広報の仕事は続けられないと言った。俺は陽菜がそうして俺のために頭を下げるその姿を何回も見たことがあったけど、俺も一緒に頭を下げたのはそれが初めて。
そしてカイルもそんな俺たちを見て初めて、おめでとう、と眉を下げ優しく笑って言ってくれた。


「契約の段階である程度の条件を出すでしょ?」
「あぁ、うん。オフのこととか、飛行機のチケットのこととか?」
「うん。でも鳴ってば、住むところの希望がまったくの白紙なんだから」
「そうだっけ?」
「ほら。忘れてるくらいだし」


ね?、と陽菜がコーヒーカップ片手に俺の前に座り苦笑いを零す。ゆらりと上がる湯気のカップを傾けゆっくりコーヒーをひと飲みした陽菜の言葉を待つ俺もコーヒーを飲む。なんか、すげェいい時間だと思う。こういうの。顔が緩みフッと笑みが勝手に溢れて力なんて身体のどこにも入らない感じ。

今年いっぱいで仕事を引き継ぎ退職する陽菜がいつも俺の隣にいてくれるんだ。やっばい…幸せすぎ。
青道連中と繋がるために始めた広報の仕事を辞めて、俺と生きると言ってくれた意味を俺はちゃんと受け止めなきゃいけないよなって思う。今こうして口に感じる苦味を、多分俺、ずっと忘れない。


「鳴のことは知ってたから」
「なんかそれズリィー。俺も陽菜の制服姿見たかったなー」
「見たことあるでしょ?」
「ちゃんと記憶にねェもん」
「今度写真見る?」
「え、マジ!?見る見る!!」
「じゃあ家から持ってくるね。フォトブックと写真」


ふわりと笑う陽菜が、それでね、と続ける。


「鳴がこっちに挑戦するって内々に聞いて、うちのチームに決まって…頑張れますようにって贈り物の気持ちで家とか家具とかを選んだよ」
「!」
「お風呂にちゃんと浸かれるように、大きめのバスタブで。ゆったり座れるソファーで。ちゃんとご飯食べてほしいからしっかりしたテーブルも用意して。自炊は難しいと思ったけど、すぐに彼女出来て料理するかなって調理器具もちゃんと揃えたけど…」
「まぁしなかったけどね!誰も!」
「みたいだね。フライパン、ピッカピカ。まさか自分で使うことになるなんてね」
「それは運命だったんだよ!」
「運命?」
「全部、俺とこうして結婚するための!」
「…運命。そっか。なら、頑張って良かった。鳴に繋がって良かった」
「!…うん。俺も」


俺がそう言うとカップから顔を上げた陽菜が嬉しそうに笑うのを見てから、さて、とカップを置いて大事な話しを切り出す。


「陽菜、年末の予定とかどうなってんの?」
「鳴の?鳴はオフ入れてるから仕事は日本でちょっとあ…」
「じゃなくて!って、へ?俺、日本であんの?仕事」
「年末のスポーツ選手が呼ばれるトーク番組にね。あれ?一緒に使ってるアカウントでカレンダーに予定入れたけど…見てないの?」
「えーっと…」
「私、いつも確認してって言ってるよね?」
「ちょ、その話しあと!」
「………」


陽菜に仕事モードになってもらっちゃ困る!今からしようとしてる話しはそういうの抜きだから!
ジト…と細めた目で俺を見る陽菜に焦って両手を振って話題変更!


「俺の親に会わせたいんだってば!」
「!」
「んで、俺も陽菜のご両親に挨拶に行きたい」
「鳴…」
「SNSが先になっちゃったのをちゃんと謝りたいし、なるべく早くにさ」
「そっか、ありがとう。ちゃんと考えてくれてて」
「そりゃね。奥さんのご両親も大事にしたいじゃん」
「なら一緒に日本に帰る時で大丈夫。どのみち、鳴の仕事には帯同の予定だったから」
「へ?だって陽菜のご両親は…」
「今は日本なの」
「へぇ!あ、どんな仕事してんの?お父さんとお母さん」
「国際弁護士」
「すごっ!」
「そうかな?いたって普通のお父さんとお母さんだよ」
「過保護の?」
「そう。日本に私1人を置いてはいけなかった娘を可愛がりすぎるお父さん」
「…俺、殴られる?」
「大丈夫だよ」
「ん」
「女の子のビンタとかで慣れてるでしょ?」
「大丈夫ってそっち!?慣れてねーし!!え、…やっぱ殴られる?」
「さあ?」


にんまりと笑ってくれちゃってさ。今からすっげー緊張するじゃん。職業聞けばかなり厳格そうなイメージ。最悪結婚を反対されるなんてことも、俺の今までの行いを思えばこそ無い話でもなくてゾッとして思わずテーブルに突っぷす。
時間は巻き戻せねーし、俺と陽菜が会ったのも色々を経たからだっていうのは分かってる。分かってるけど、あーぁ…やっぱもっと早く会いたかった。


「鳴」
「…ん?」


あ、隣から陽菜の声。多分、俺がこんなだから隣に座り直してくれたんだ。優しいよね、陽菜。
陽菜の手が俺の背中を上下に撫でてその温かさに身体の力が抜ける。


「1回ぐらいは覚悟しといた方がいいかも」
「今それ言う!?」
「心の準備は必要かなって」
「っ……しとく」
「私も緊張する…」
「陽菜は問題なし!うちの姉ちゃんたち、絶対に陽菜みてーな子好きだから!」
「そうかな?」
「そ!それに母さんも父さんも孫の顔が早く見たいって言ってたぐらいだしね」
「ま、孫…ですか」
「まぁおいおい」
「うん」


カァッと真っ赤になる陽菜が俯くのを頬杖ついて見つめ、手を伸ばしてその頬に触れれば恥ずかしげに潤む目に見つめられてジリジリと熱が身体の芯に灯る。
可愛い、本当。
誘われるように顔を近付ければギュッと目を瞑る陽菜の、まだ残る女の子の部分をこうして見るたびに堪んない気持ちになる。もっと暴いてみたいような…色っぽく変わる瞬間を味わいたいような。

頬に手を当て、顔を傾けて陽菜にキスをする。触れるだけにしてゆっくり離れれば俺を真っ直ぐ見つめる陽菜の眼差しに熱が篭もるから、ゾクリと背筋に駆け抜ける劣情。これがまた、なかなか厄介でさ…。


「んっ、ふ…ぁ」


なかなか収まってくれない。
陽菜の頭の後ろに手を回してグッと逃げ道を塞ぎ、舌を絡め吸うキスをしていれば次第に力が抜ける陽菜が俺の服を縋るようにして握る。ぴちゃりと厭らしい水音が耳のずっと奥で身体の奥底まで響いたような気がして俺も息が乱れるのをなんとか落ち着かせて、ぺろり陽菜の唇を舐めてから離れる。

連日陽菜を求めちゃうのも、無理させすぎだ。それに結婚という名分で箍が外れやすくなっちゃうだろう。何がって、陽菜の1番奥で俺を受け止めさせたくなっちゃう欲に被せた蓋の箍。


「あ、そうだ!」


わざと明るい声を出して名残惜しそうにする陽菜から目を逸らす。あーもう、目に毒!我慢…我慢っ。
ぽや、とする陽菜の、うん?という声も甘ったるい。


「年末日本に行ったら、陽菜も一緒に行こうよ」
「え、どこに?」
「ふふーん」
「…嫌な予感しかしない」
「稲…」
「嫌!」
「まだ何も言ってねーじゃん!」
「稲城実業野球部のOB会でしょ?」
「せいかーい!」
「私にも来てるもん。半ば、脅しのようなお誘い」


諦めたような表情で陽菜がスマホを手にして数回タップしてからディスプレイを俺に向けた。
トーク画面の相手は一也。青道OBで唯一陽菜と繋がってんのが一也ってのが面白くないけど、倉持よりはマシ。
えっと…?
"亮さんがお前も数に入れて予約しとくから有り難く参加しろ、ってよ"


「もう、参加不可避…!」
「…小湊さん、そんな怖いんだ?」
「稲実にはそういう先輩いなかったの?」
「んーそこまでは。あ!ていうかこの日、うちのOB会と同じ日!ちょうどいいじゃん」
「ちょうどいい?」
「俺も青道のOB会に顔を出す。陽菜もうちのOB会に顔を出す!これで解決!」
「えぇ…」
「挨拶しなきゃならねー奴もいるしね」


倉持とか、ね。


「うーん…私も原田さんとかが来るなら話してみたい…」
「雅さん来るよ!ほら、決定!」


えぇ、とまだ決めかねる陽菜に、けってーい!とまた繰り返してハイこの話しは終了!稲実の同期からも、ドッキリの特番だろ、などと言われちゃえばもう決まり以外なにものもない。
陽菜は顔を顰めて小さく唸りながらもスマホを操作するからその様子を見ていれば、ん、とまた俺にディスプレイを見せる。
カレンダーの同じ日にちに青道と稲実のOB会の文字。あ、と俺もスマホでカレンダーを見れば同じ表示がされてる。あぁ、この日か日本での仕事。ならば、と俺もスマホを操作。ニッと陽菜に笑い同じようにディスプレイを見せれば陽菜は笑い頷いた。


「日本への帰国はこの日に決定!」


こんな風にしてこれからは2人の予定を重ねていくんだ、俺たちは。



重なる時間
「ところで、私も顔出して平気なの?稲実のOB会」
「平気、平気!グループのトークで紹介しろってうるさいぐらい。ていうかなんで雅さん?」
「鳴の高校時代のこと聞いてみたいなって」
「ふうん」
「あと多田野くん…だっけ?」
「あぁ、樹?」
「うん。バッテリー組んでたわけだし…気になる」
「ふ、ふうん。そんなに気になるんだー?じゃあ俺も青道のOB会で聞いちゃおー!」
「聞ければね…。あのね、鳴。亮さんは怖いんだよ…」
「え、そんなに?」

続く→
2020/09/17

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