幕引きのカウントダウン


目の前の男が、ぐぬぬっ!と悔しげな顔をして唸るのをにやりとベンチの背に深く寄りかかり見下すように笑って眺めてやる。百年早いんだよバーカ。あと2周くらい人生送ってから出直せクソガキ。


「なに?もう出てこねェの?」
「いや!ありますから!!待ってください!」
「ハイざんねーん!!これで3回目の待ってだからゲームオーバー!お前の負け!!」
「っ……」
「え?なに?何か言う言葉忘れてんじゃない?負けました、は?」
「こんな人に…!」
「はあ?なに?聞ーこーえーねェー!!」


ギッと俺を睨むロイの担当広報ジャン。仕事は出来ねェのに度胸はある。俺の隣に座り成り行きを見ていたロイが膝に頬杖をつき、オイオイ、と呆れたように笑った。なに?今すげェ良いところだから邪魔すんなよ。


「その辺にしといてやれよ。後でカイルに呼び出されるぜ」
「なんでカイルに怒られなきゃなんねェのさ?コイツ別にカイルの身内でもないし子供でもねェじゃん」


そもそもコイツが始めたしさ。
目を細めそう続ける俺に溜息をついて諦めたように肩を竦めたロイは、まぁ頑張れ、とジャンの肩を叩いて回ってきた打順のためにベンチを出ていく。そんなぁ…と情けない声出すな。細めた目でジャンを睨み、ふう…と息をつく。俺の奥さん、どうやら今モテ期みてェで旦那としては締めなきゃいけねェとこは締めなきゃと思うわけ。


「陽菜の好きなところならまだ言えるけどね、俺」
「お、俺だって…」
「あのさぁ、いきなり陽菜の可愛いところを夫である俺相手に言い合う勝負挑んでくる無謀さは面白れェけど腹立つ」
「ぐっ…!」
「それにそんな無駄なことしてる暇あったら仕事しろ。陽菜が見てたら多分殴られるよお前」


さーて俺もそろそろ準備しよっかな。
ベンチから立ち上がりぐるりと腕を回し陽菜からもらったネックレスを握る俺に悔しげに顔を歪めたジャンをハンッと鼻で笑い俺もブルペンに足を向ける。
キャンプもあと1週間ほど。
開幕ロースターに入る選手を選抜するための最終調整紅白戦。どん底を見てから少しずつ調子を上げて今では球速もアップした安定感のあるピッチングを取り戻した。メディカルチェックでは肩の炎症に問題も見つからず俺自身も違和感はもうない。言葉にすれば簡単だけど違和感を感じないほどのトレーニングを重ねた結果であることが揺らがない自信を作ってる。何回、何十回、何万回と繰り返してきた単純で地道で大切な作業の中に苛立ちや不安や焦りを抱える俺の傍から陽菜が離れることは1度だってなかった。何か特別なことをしてやれるわけじゃなかったし、むしろ家族でキャンプ地を楽しむ選手の姿をマネージャーという立場であるからこそ間近に見ていた陽菜が自分の在り方に悩み苦しみ、一緒に寝ているその横で涙を流しながら眠っていたのを俺もずっと見てきた。涙を拭った俺の指に浅い眠りから目を開けてゆっくりと俺を見つめてふわりと笑う陽菜に、鳴、と呼ばれるその声が好きだとジャンにもさっき話したばっかだ。
陽菜の好きなところをなんて上げたらキリがねェし、数えられてる時点で俺に勝てるわけねェ。 


「鳴!最後にストレート!」
「なっまいき!」


どうやら正捕手の座が確定的なジェフに促され腕を大きく振り上げた。土を擦る音と風が運ぶ匂いと張り詰める空気がビリビリと神経を震わすようなこの場所が俺の在る場所だ。

紅白戦は無失点で抑えて投球内容としては完璧。調子が良すぎる気もして逸る気持ちを抑え込むようにダウンのキャッチボールをしていればブルペンに顔を出した中嶋さんが顔を出して俺に手を上げる。


「調子良さそうだな」
「まあね。でもまだ馴染むのには時間が掛かるかな」
「それが分かってるなら心配いらないな。ほらこれ」
「あ!届いた!?ありがとね、中嶋さん」


その前に、と中嶋さんが俺の伸ばした手を避けてタオルを頭を被せてくれるから汗を拭いていればジェフが立ち上がり手を振り出ていく。オイコラ、挨拶!マジで生意気アイツ!!

ムッとした顔をすれば中嶋さんが苦笑いを零しながら、そういえば、と話し出す。


「ルイスが開幕観に来れるってさ」
「マジ!?なら安心だね。チケット送っとく。えぇっと…ルイスと奥さんと子供の分か」
「一体何を企んでるんだ?鳴は」
「へへーん!まだ内緒!極秘事項!」
「オイオイ、人を荷物の送り先にしておいて…」
「それに関しては感謝してる!楽しみにしててよ開幕戦!」
「言われなくてもしてるよ。そこが1つのゴールで、またスタートだからな」


そう言って目を伏せた中嶋さんは、ほい、と俺に手に持っていた紙袋を渡す。もちろん俺宛の荷物ではあるけど宛先は中嶋さんにした。じゃないと俺が直接受け取れない時に窓口になるのは陽菜だ。それじゃこの計画は台無し!慎重にゆっくりと、外堀を埋めてちゃんと捕まえる。


「居た!」
「うるせェクソガキ」
「ジャンです!」
「お前なんかクソガキで十分」


うるさいのが来たよ…。げぇ、と顔に隠さず歪める俺にズンズンと歩き寄ってくる広報ジャンに、ロイは?と眉根を寄せて聞けば、食事中です!だって。

頭に被ったままのタオルを首に掛けて、ふうん、と手にしていたボールを上げてキャッチしてを繰り返す。


「陽菜は俺に就いたばっかの頃から何を食べたかちゃんとチェックしてたけど?」
「え"…」
「それを中嶋さんとデータ共有して俺がどんな時にどんなものを食べてどんな調子でどんな影響になるかもちゃんと把握してた。…お前さ、陽菜が好きだとか可愛いだとか言うけど広報として働いてた陽菜をちゃんと見てたのかよ」
「!」
「俺は女の子としてよりまず先に広報として球界人の陽菜を好きになったし尊敬してるけどな」
「う、嘘だ!」
「あぁ…?」
「前にアンディーさん達と女の子連れてご飯行ったじゃないですか!陽菜さんがいるのに!」
「バーカ。俺は飯食っただけだしすぐに帰ったし」


ね?中嶋さん、と会話をパスすれば側で聞いていた中嶋さんは自分に振られると思ってなかったらしく驚き目を見開いて、あー…と、と記憶を引き出しながらジャンに申し訳けなさそうに頭を掻き言葉を続ける。


「俺はどっちの味方もしないからな。ただ、鳴が俺とのトレーニング時間に少しでも遅れたことはないし毎日見てれば鳴に陽菜しかいないのは確かなことだな」
「聞いたかよ。俺はもう陽菜だけがいいんだよ。どんなに女から乗られて腰振られても勃ちもしねェしむしろ萎えるね。まぁ乗られる前にそんなん許さねェし」
「っ……」
「鳴、ほどほどにな。ジャン、茹で蛸になっちまう」
「ハッ、ガキ!」
「っ……けど!陽菜さんはいつもアンタのせいで…髪の毛だって…」


ついにアンタ呼びしたなこのクソガキ。
ひく、と口の端が引き攣るのを感じながら、ポイ、と中嶋さんに手にしていたボールを投げてジャンに足を向ける。鳴、とちゃんとボールをキャッチした中嶋さんが俺を窘めるように呼んだけど一瞥してそのまま流した。

陽菜の髪の毛が短くなって、まだ慣れない様子が時々髪の毛を梳こうとする指に出る。俺も陽菜も。ぎこちなく笑った後、結わなくて楽だよ、と言うけど俺は陽菜が髪の毛を大事にしてたのを知ってるしその髪の毛が俺のファンによって汚されてそれが俺の目に映る前にバッサリ切り落とした陽菜の強さと潔ささえ綺麗で、胸を締め付けられた。


「お前に関係ねェ」
「!」
「陽菜は俺の腕の中だけで泣く。それに陽菜がこんな想いをするのももうすぐ終わる」
「え…それは別れるってこ…」
「中嶋さんボール!!コイツにぶつけてやる!!」
「やめとけ、鳴」
「あー!!腹立つ!!…ま、今の内に精々陽菜の格好良い仕事姿を目に焼き付けとけば。幕は俺が引く」


コイツ…!何言ってんだ?みてェな顔をしやがってムカつく!ハンッと鼻で笑ってやり中嶋さんに、行こ!と言ってジャンに背を向けたもののこの上まだ言い募るつもりらしい。あの!と俺を呼び止める。まぁ止まってやんねェけど。


「陽菜さんが可哀想です!」
「………あ?」
「今日もろくに休まずに日本に行ったんですよね?髪の毛も、謂れのない誹謗中傷も全部アンタの側にいなきゃそんな目には合わなかったんだ。アンタは陽菜さんが可哀想だと思わないのかよ」
「………」
「あのな、ジャン…」
「いいよ中嶋さん」


フーフーと鼻息荒くして気性の荒さと真っ直ぐさと愚直さを剥き出しにするほどコイツが陽菜を想ってるっていうなら、ちゃんと話す必要がある。

前に向けていた爪先をジャンに向け直し改めてジャンの目の前に立つ。もどかしさや歯痒さを苛立ちにして俺にぶつける鋭く睨む目に向き合い俺も目を細めた。俺より背が高いのがムカつく。
恋は盲目だって、誰かが言ったっけ。ならコイツのは紛れもなくおままごとの延長みてェなそれだ。陽菜はジャンのことを俺に話したりはしねェけど、教育を任されたにも関わらずジャンからの想いが強すぎて困難になった時に申し訳なさそうにしてたのを俺は知ってる。


「陽菜が可哀想だなんて、俺が思うわけねェだろ」
「な…!」
「陽菜が自分の強い意志を持って俺の隣に立つことを決めて、泣いても辛くても悔しくてもその道を選んだんだ。選ばれた俺が可哀想だって、なんで思うんだよ。お前、陽菜の何も見えてねェよ」
「っ…でも、」
「そうやって自分の目に映る陽菜が可愛く綺麗に笑っててほしいだけだろお前。陽菜がお前の前で辛いって一言でも言ったかよ?助けてほしいって?陽菜をナメんな、クソガキ。陽菜を可哀想だなんて同じ広報だったお前が言うんじゃねェ!陽菜に言ったら許さねェからな!!」


思えばジャンにこうして本気で怒ったのは初めてだ。いつもムカつきはしても軽くあしらい流してきたけど、ここが向き合いどころだ。もうこれ以上言う言葉はねェし面食らったように口を噤むジャンにチッと舌打ちして、あー!気分悪ィ!とブルペンを出ようとしたけど、あぁそうだ。もう1個忘れてた。


「陽菜が日本に行ってるのは俺たちの結婚指輪を取りに行ったんだ」
「!」
「仕事を休んでまで足を運ぶ陽菜の想いが陽菜の仕事に対する姿勢を見てりゃ誰の目にもハッキリと分かると思うけど、お前はどうなわけ?」


まぁどうでもいいけど。
言い捨てて今度こそ中嶋さんと一緒にブルペンを出れば通路にはカイルが壁を背に腕を組み立っていてゲッと顔が引き攣る。


「俺は謝んねェから」
「何も言ってないだろうが。むしろ大事な時期にアイツが悪かったな」
「!…別に。選手どうこうじゃなくて、陽菜の夫として言ってやらなきゃ気が済まなかっただけ」


俺がそう言えばカイルはフッと笑う。おー…珍しい。


「そういえばどうなった?"あれ"の話し」
「概ね問題ない」
「マジで!?」
「今回だけだからな、こんなことしてやるのは」
「ハイハイありがと!!さっすがカイル!出来ると思ったよ」
「なんだ?鳴。カイルにも何か頼んでるのか?」
「まあねー!やっぱ開幕は特別にしねェとね!」
「…陽菜に迷惑かけるなよ?」
「さーて、どうかなー?」


にんまりと笑う俺にやれやれとばかりに首を横に振る中嶋さんを前に手にした紙袋を開けてみる。これも開幕に向けて必要なもの。俺がまだ開幕先発投手になれるかは分からねェけど、ここまできたらなってみせるよ。チームの顔はエースが務めなきゃどうすんだ、って話し!

室内のトレーニング施設で今日の試合の結果と球数等の振り返りをしていればスマホに陽菜から、無事に受け取り今から帰ります、とメッセージが届いた。写真も送られてきたから何かと思えば日本で満開の近い桜の写真。それを見て顔も気も緩んだ俺は、早く帰っておいでよ、と返信したのだった。




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