温かさにさようなら


「冷たいんじゃねェの?」
「なにが?」


あ、あれ莉子さん?
そう問いかける私の隣には御幸。おーい!と手を振る先にはスタンドに座る莉子さんが居て相変わらずの綺麗さに英語で御幸にそう伝えれば、どういたしまして、とムスッとしながら英語で返ってきた。おー!ちゃんと英語!さすが抜かりはないようで。


「観たぜ、ニュース」
「鳴?」
「お前だ、お前」
「あぁ」


あれね、と頷き御幸がストレッチする背中を、押そうか?と問かければ振り返る視線が不満を無言で返してきた。なによ、久し振りの再会なのに。ベッと舌を出してやれば、可愛くねェー…、だそう。今更でしょうに。

キャンプも中頃になると近くでキャンプを組んでいる同リーグ同士で試合が多く組まれる。この日も御幸が移籍した球団と調整試合。お互いに選手の状態と新戦力の力量を確かめるのが目的だから鳴は今日は出場なし。私はといえばトレーニング施設で中嶋さんとそろそろ本格的に投げようと思うと明るい話を聞いてから軽い足取りでこっちに来て今後の試合日程と出場選手の中に鳴も加えるかどうかという最終日程調整…と、御幸いじり。


「調子はどんな感じなの?」
「敵にわざわざ教えたりしねェよ」


まだ調整段階だしな、と眉根を寄せる御幸はこれからが正念場。新人の御幸にとって開幕メンバーに入れるかどうかの重要な局面。容姿は良いんだから、ファンに受け入れられるはずだしあとは力を示すのみかな。

調子はどうだい?と御幸のチームの主力選手に手を振られひらひらと振り返していれば御幸が驚いたように目を見開き私を見上げるから、顔見知り、と肩を竦めた。
そうして他愛のない話をしていれば、1枚いい?と御幸のチームの広報にカメラを片手に声を掛けられ、同じ高校だったって書いてね、とちゃっかり催促して御幸と1枚撮ってもらう。俺ともよろしく!と気安く肩を腕を回してきて、食事でもどうかな?と誘ってくれるけどやんわり断りにこやかに笑顔を貼り付け去っていく広報に手を振る私の横で御幸がそわそわしているから思わず笑う。らしくない顔!普段取り澄まし達観しているように見える御幸の時々見える歳より幼い表情が懐かしくて目を細める。


「あんなのリップサービスだよ」
「…マジ?」
「うん。有名人と撮れて光栄だー、なんて半分皮肉で嫌味。裏方が目立って良いことなんてありやしないよ。慣れた方がいい。しかもたまに厚意に紛れて情報を探ったり足を引っ張ったりする人もいるから御幸も気をつけてね」


なんて、御幸なら大丈夫だろうしこんな注意きっと担当の広報からたくさんレクチャー受けてるよね。
御幸が珍しく幼く見えたものだから余計なお節介をしてしまって気恥ずかしくなった私は、で?と早々に話を変えることに。えっと…なんだっけ。


「私が冷たく見えたのは、駆けつけてくれた鳴に取り合わなかったから?」
「まぁそんなとこだ」
「…そう。御幸もそこら辺の人と同じこと言うね」
「!」
「あー!ごめん!嫌味を言いたいんじゃない。んー…ちょっとだけ参っちゃってるの。あたってごめんね。御幸にはつい」


気にしないで、と言っても息を呑んだ様子に手遅れみたいだけどそこは昔馴染ってことで勝手に許してもらうとしてそろそろ行くねと御幸に手を振り私も自球団のベンチに戻る。
あの場で見ていた人たちからすれば私と鳴の連携はさすがは夫婦で選手と専属マネージャーだと言うけれど、SNSにあげられた動画だけで観るに私が鳴を冷たくあしらったように見えるようで、それはもう批判を肥えさせる栄養満点の餌。もういいけどね…何をしたって批判はきっと今はなくならない。数年後、数十年後だってなくなるかは分からない。それでも私は鳴と生きていくし、長い目で見ればとても些細なことだから。
そうだ。今日は久し振りに鳴とご飯食べようかな。施設のキッチンを借りることも出来るし、仕事も今日は一段落。よし!と下がる気持ちにケリをつけて和食が好きな鳴のためのメニューを考えながら鳴がトレーニングしている先へと向かったけど。


「…何かありましたか?」
「あぁ、陽菜。お疲れ」


まあな、と複雑そうな顔で答える中嶋さんの目線の先にはネットを前に佇む鳴の後ろ姿。ビリビリと痛いほどの気迫を纏う鳴から目を離さずに、あのな、と中嶋さんが静かに話し出す声に耳を傾ける。


「そう簡単なことじゃない。調整し続けて腕や肩を今までと違う使い方をして違う筋肉をつけてきた。球速アップを計るために試したトレーニングもある。元通りじゃなく、新しいものを身につけているからこそ今は上手くいかない」
「……鳴」


ぴくりとも動かない姿に近付こうとすると中嶋さんに手を掴まれ止められたけどそれを振り切り鳴へと足を進める。小さな溜息が後ろから聞こえた。


「鳴」
「……なに?」
「ご飯、一緒に食べない?」
「あー…今はいい。陽菜、行ってきなよ」
「私、今日はもう予定な…」
「慰めようとしてんの?」
「!…違うよ。私が鳴と食べたくて」
「ふうん…。悪いけど、俺は気分じゃない」
「………」
「さっきロイたちから誘ってもらったし、そっち行くから陽菜は陽菜で食べたら」
「…それって、女の子たちも来るやつ?」
「……それが?」


キャンプ地ではよくあること。ファンの子たちと当たり障りのない交流も多少は必要だし、ロイたちが誘った子たちと食べに行くんだと私も耳に挟んだ。シーズン開幕前の大事な時期。選手たちにだって息抜きは必要。でも、鳴の側に私がいたんじゃ…やっぱり息抜きにはならないのかな…?球団側の人間である私を見ていると、話していると、鳴は息苦しくなる瞬間が…あるのかな。
私がダンの奥さんみたいに、御幸の試合をスタンドで見守る莉子さんみたいになれたら違うかな。

ギュッと手を固く握りしめて、唇を噛み締める。手も唇も痛いけど、ズキズキと胸の方が痛んで視界が浮かんだ涙に揺れる。鳴を1人にしたくないというこの想いさえもエゴだとしたら、私が鳴にできることは…?こんな時を狙ったかのように頭に浮かぶ批判の数々が頭の中をぐるぐる回って気持ち悪い。


「陽菜もよく男と食べに行ってんじゃん。仕事の会食だって言うけど、それと何も変わんないよ」
「……あんまり遅くならないでね。飲みすぎないで、ね…っ。夜…は、」


ちゃんと寝てね?と最後まで言葉にならなかったけど、すうー…、と息を吸い込んでなんとか最後まで言い切って、振り返らない鳴の背中を見つめてから何か言いたげに口を開こうとする中嶋さんに頭を下げてその場を走って後にした。
このいたたまれなさは、きっと誰にも理解できない。もう消えてしまいたいと思うほど心が弱りきってて走りながら涙が止まらない。


「っ……泣くな…!」


部屋に戻り枕に顔を埋めてひたすらそう繰り返す。鳴に側にいてほしい。慰めてほしかったのは、私の方。馬鹿だ、私。あんな状態の鳴に私が甘えてどうすんの。
でも…やっぱり今日だけは泣いてもいいかな……っ、明日からはまた…ちゃんとするから。ギュッと唇を噛み締め鳴が贈ってくれたネックレスを握り締めていつの間にかその日は眠りに落ちてしまった。せめて夢で鳴の笑った顔が見たかったけど、それも叶わず起きた朝は身支度する鏡の前で泣き腫らして余計ブサイクな自分にまた泣きたくなった。
ブッサイク…!こんな顔で外に出て働けるわけがない。幸い今日は取材の予定もないし、カイルがこっちにいてくれるから鳴の側に心配はない。

大きく溜息をついてスマホに手にする。うっわ…もう!分かってかるから画面にまで私のブサイクな顔を反射して見せなくていいってば!


「カイル…?おはようございます。すみません、今日1日リモートでやらせてください」


不機嫌そうではあったけど、私はボールが当たったあの1件で少し休めと医者に言われたぐらいだし、カイルにもそれは報告していたから了承してもらえたのでホッと一安心。鳴をよろしくお願いしますと生意気にも念を押して軽く身支度を整えパソコンを開けば中嶋さんから昨日の鳴の状態とトレーニング詳細報告が届いていて、まずはそれを確認して把握するところから始めよう。

鳴の調子は中嶋さんの言う通りすぐには上がらず、ついた筋力に正しい投球フォームを取り戻すのに苦心しているようだった。
私が、お疲れ様、と声を掛けても返らなくなって3日が経った。けど私は鳴の背中に声を掛けるのを止めたりしない。苦しいけど。悲しいけど。辛くて噛み締める唇が痛いけど…1人になりたがる鳴の背中が振り返った時に笑い掛けたいから。


「陽菜さん!」
「!…わぁ!莉子さん、お疲れ様!」
「やっと声掛けられた!」


嬉しい!とピョンと軽く跳ねるような足取りで試合後の球場を出る私に駆け寄ってきてくれた莉子さんは、えぇっと、と少し思案してから英語で、お疲れ様!と返してくれた。やだ癒やし!可愛い!


「御幸、調子良さそうだね」
「そうかな。本人は満足していないみたい」
「あぁ、目に浮かぶ。試合のビデオ観返してブツブツ言っちゃってるんじゃない?」
「そうそう!聞いてて楽しいから録画した」
「ブハッ!あはは!!今度見せて!」
「今でもいいよ?」
「あ、ごめんね。今から鳴のところに行くから」
「あ!そっか…陽菜さん、忙しいもんね…」
「……莉子さん、何か悩んでる?」
「ううん!全然!!…ただ、やっぱりご飯作ったり住環境を良くすることでしか支えられないんだなって、ここに来てより明確になったっていうか…陽菜さんが格好良くて少し焦っちゃって…」
「………」


こんな事言っちゃってごめんね!と慌てて手をブンブン顔の前で振り眉を下げて笑う莉子さんに首を横に振る。


「私、何も格好良くないよ」
「え…でも、」
「…きっと莉子さんみたいに迎えるのが正しいんだと思う」
「陽菜さん…?」
「ここに来ると選手の家族も帯同してるからそれを見ることも多いでしょ?私は今まで選手としての一面しか知らなかったこと、選手の緊張が溶けて穏やかで砕けた笑顔を見て気付いた。でも…私、弱虫で寂しがり屋で…昔から。……だから勇気が出ない。帰りを待つって、凄く不安だったり寂しかったりするでしょ?…私にはまだ出来なくて。私には莉子さんの方がずっとずっと強く見えて、素敵だよ」


私が球団に身を置くからきっと鳴はスイッチを切れずにいる。
気付けばかなり語ってしまっていて心配そうに眉を顰めてくれる莉子さんに笑いかけて、またね、と手を振り鳴のいるトレーニング施設へ向かう。
私が仕事を辞めれば…全部解決?鳴の専属じゃなければいい?
数日前に御幸の球団のSNSには莉子さんの作ったお弁当をスタンドで食べる2人の様子が投稿されていて、それはもう微笑ましく素敵な写真だった。いいな……って、もう!
しっかりする!!
少なくとも鳴の開幕先発入りを果たすまではこの仕事を全うするってちゃんと自分で決めた。
パンッ!と両頬を叩いて滲んだ涙を痛みのせいにして止まりそうな足に喝を入れる。


「鳴、お疲…あれ?」


いない…。
ひょい、と覗いたそこにいつも鳴がいたし今日もいるはず。ネットスローをしているはずの鳴の姿はそこにはなくスマホで念の為タイムスケジュールを確認してみるけど…間違ってない。変更の連絡もないし…どこに?

んー?と首を傾げ足元に転がっていたボールを拾おうとした時だった。


「っ、ひゃ!!」
「お疲れ、陽菜」
「!」


ぴたりと後ろから頬に冷たい感触が当たってビクッと跳ねた身体と反射的に掴んだ缶コーヒー。すぐに私を通り過ぎ代わりにボールを拾ってネットの前でストレッチを始めたのは鳴。背中を見開いた目で見つめギュッとコーヒーの缶を握り締めながら泣きそうになる。
鳴の声…久し振りに聞いた…。
どうしてこんなに遠いんだろう。私たち、結婚もして本当は1番近くなきゃいけないのに。けどこれが私たちの現時点での夫婦の形。

ありがとう、と鳴の背中に伝えて後ろのベンチに座り1球1球丁寧に投げ込んでいく鳴を見る。
あぁ…格好良いなぁ…。どんなに苦しんでいても鳴の背中はスッと綺麗に伸びて野球に真っ直ぐでいつも格好良い。

ギュッとコーヒーを握り締めたまま規則的なネットを揺らすボールの音に瞼を閉じた。鳴、ごめんね。側にいる形が穏やかで優しいものじゃなくて…ごめんね…。




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