You are my loved one


鳴が結婚指輪にキスをして、空を仰ぎニッと笑う。

本当にいいんですか?と数ヶ月前に戸惑い聞かれたことを思い出す。
結婚指輪の内側にメッセージを入れてください、と鳴に内緒でオーダー元に連絡すれば快諾してくれた後に新郎側の指輪だけに入れるのはやっぱり異例らしく心配してくれる温かい問い掛けに、はい、と迷わず答えた。
いいんです。彼の傍からは私が離れることはありませんから。私の指輪には彼の誕生石が埋め込まれているし、私が傍にいられない場所にこれから何年先も立つ人だから彼が1人じゃないことを思い出すいつかのためにメッセージを入れたいんです。
そのいつかがこんなにも早く来て、すぐに気付いてくれるなんて思いもしなかったけど。

鳴の姿にスタンドで満塁1打逆転の局面を迎えたグラウンドを固唾を呑んで見守る観客の興奮が爆発したように弾けて歓声が上がり、その真ん中でぐるりと腕を回して左手を力強く握って見せた鳴。心臓が高鳴り言葉を失くすのとは裏腹に握り合わせた手の力は増して小さく震えてしまう。
あぁ…綺麗だ、鳴は。
何万人もの、敵も味方も関係なく魅力してしまうその輝きを握り合わせた手をゆっくり離しながら目を細め微笑み見つめる。


「ルイス」
「ん?」
「私、決めた」


もう迷わない、と続ける私の隣はかつての正捕手ルイス。鳴とバッテリーを組んでいたベテラン選手であった彼は昨季限り引退し今は自身の子供が所属する野球チームの監督をする傍ら、減少し続ける野球人口を増やすための活動を奥さんと一緒にしている。彼が引退する時に、後悔はある?と私は聞いたけど子供と奥さんと少し太り穏やかになったルイスが、コイツの作る料理が美味すぎる!と快活に笑うのを見ていれば答えなんて聞かなくても分かる。後悔はそれが大切であればあるほど何を選択しても少なからずしてしまう。でも、後悔を抱くことは幸せにならないこととイコールじゃない。


「鳴の専属を辞める」
「!」


息を呑んだルイスを隣に感じながら鳴の被せてくれたキャップを取り内側を見て、あのね、と続ける。成宮鳴、と漢字で記名された鳴の鳴らしい所有印を見てるとこんなに大きな決断をしているのにも関わらず口元が緩んじゃう。
グラウンドはタイムが明けて鳴の1球目、ストレートに空振りストライク。調整中に合わせて課題として取り組んでいた球速アップのトレーニング成果が電光掲示板に表示されて、わぁ…!とまた球場が盛り上がる。


「私はこの仕事が大好きだし、誇りを持ってる。鳴の専属じゃなく他の選手に就いてたってそれは絶対に変わらない。けど…」


2球目、3球目は変化球でファールを打ち上げさせて早くも追い込む展開。おー!とルイスが興奮して前のめりになるのを隣に打者がタイムを取りなんとか体制を立て直そうとする間にもマウンドで指輪を握り締める鳴を見つめ、私も手にしていたキャップを被り直し結婚指輪ごと手を合わせてまた握り締める。

当たり前のように分かってたことがいつからか割り切れなくなってしまった。
私たち広報やマネージャーなど、内部の人間が選手にしてあげられることは選手がより輝けるようにほんの少しの手伝いをすることだけ。トレーナーなどとは違ってメンタルやスキルアップなどの専門的な知識で選手をより高い場所へと引き上げることは出来ない。選手の苦しみを解消することなんて出来ないことを、身に沁みて知っていたはずなのに…鳴の専属として就いて深い苦しみや悲しみ、悔しさを誰よりも傍で見ているという確信があるからこそマネージャーという仕事を逸脱してしまいそうになるストッパーを必死に掛けていないと職務さえ見失いそうだった。
その苦しみで鳴に寄り添った気になって、自己満足だったんだ。確かに私は鳴の傍にいるけれど、今のままじゃ"いる"それだけ。


「けど、ルイス。鳴の妻は"私だけ"でしょ?なら私はこの後悔や苦しさと、鳴の1番にはなれない寂しさと一緒に鳴と生きる」


ほら、見てよ。全世界の人に見てほしい。
鳴はあんなにも苦しんで今ここにそれを微塵も感じさせない堂々たる姿でそこに立っている。こんなに強くカッコいい人は彼しかいない。

タイム明けに鳴が投げ込んだ渾身のストレートがジェフの構えるキャッチャーミットを大きく鳴らし打者が振ったバットは空を切る。一瞬の静寂の後、審判がスリーアウトを告げたと同時に拳を握り込んだ鳴の雄叫びに応えるようにして観客から上がった歓声に球場全体が揺れる感覚にじわりと涙が込み上げる。

ピンチからの圧倒的力を見せつけたピッチング内容に鳴に駆け寄るチームメイトが攻守交代のためにベンチに戻りながらその背中や肩を叩く。緊張の色が隠せなかった内野守備も頼もしそうに鳴とグラブを合わせて、声は聞こえなくても鳴を讃えているのが分かる。
鳴がグラウンドで1人じゃないなんて、本当はずっと前から知ってる。鳴は自尊心が高くて気高く誰よりも自分に厳しいけれど、そんな鳴を尊敬して集まってくる仲間が鳴を1人になんてしないから。
すげー!とルイスの子供たちが興奮する姿にくすりと笑っていれば、そうか、と落ち着いた声で静かに話し出すルイスは椅子の背に深く寄り掛かりながらグラウンドを真っ直ぐ見据えた。


「大丈夫だ、陽菜」
「!」
「お前たちは大丈夫だ。ずっと見てきた俺が言うんだから間違いない!それに陽菜の選択が正しいかどうかの答えは鳴がくれるさ」
「鳴が?」
「…さて、試合を楽しもう」


な!と私の強く肩を叩くルイスに首を傾げてもこれ以上は何も話してくれないらしく子供や奥さんと選手や試合展開について熱く話し出してしまったから眉を顰めるしかない。肩痛い…!強く叩きすぎ!…そりゃ私たちのことだから、私たちで答えを出すしかないけど…鳴が?
……鳴がくれた席の隣がたまたまルイスたちなんてこと、偶然には出来すぎ。ハッとして内野席を立ち上がりベンチへと乗り出すようにして顔を向けるとアンディーが私に気付いてひらひらと手を振ったあとちょいちょいとどこかに手招きして鳴を引っ張り出し2人でこっちに向かって拳を向けるけどチームの問題児上位のあの2人が楽しく陽気。その空気が余計に嫌な予感を煽って、ひく、と口の端を引き攣らせる私に、相変わらずだなぁ!と楽しげにお腹を抱えて笑うルイス…これは多分笑い事に済まない何かがあるよ。
試合は始終うちのチームのペースで展開して鳴は8回まで投げて無失点。好投に応えるように野手も得点を上げてあっという間の最終回。そろそろ鳴のところにいかなきゃと腰を上げようとした時、まぁまぁ、とルイスにその肩を下へと押されてまた座席にストンと逆戻り。え!?


「ルイス!やっぱり何か知ってるの!?」
「俺が誰だか知ってるか?陽菜」
「は?」
「まぁ怒るなって。さっきまでの珍しくしおらしい陽菜はどこにいったんだ?」
「珍しくて悪かったですね」
「あの成宮鳴とバッテリーを組んでた男だぞ?傍若無人唯我独尊な元相棒に頼られりゃ叶えたくもなるだろ?」
「何言って…!」


ニィッと不敵に笑うルイスに困惑している内にクローザーが見事に抑え切りゲームセット。大切なシーズン開幕試合は幸先の良い勝利を収め、歓声を受けながら選手たちが観客に各々応えながら球場を後にする雰囲気のその中心からざわめきが広がるのが分かって息を呑む。絶対にあそこに鳴がいる!


「陽菜!」
「め、鳴…と、カイル。え…何して…」
「おいで」


こっち、と手招きする鳴と戸惑う私との間を周りが視線を行き交わせながら見守るのを感じるながら席の1番前へと移動する。内野席はほとんどグラウンドと段差がないから鳴とは同じ目線。どういうこと?と問い掛ける私に応えず、ありがと!と鳴が礼を言う先はルイスで振り返り睨めば、フォローしとけよ、とそれでも楽しげに笑って両手を上げて降参のパフォーマンスをして見せた。

このあと取材が入っているはずだし、投げた後だからしっかり休んでほしいし、肩の状態だって中嶋さんに見てもらいたい。ぐるぐると頭の中で色んなことを考えて混乱する私の目に留まるのは鳴の後ろでカメラを構えているうちのチームの広報…確か、SNSの担当者。


「陽菜、目瞑ってて」
「なんで、」
「いいから早く!」


っ…もう!本当に傍若無人!!
周りも私たちを見てるしカイルをちらりと見れば溜息をついて鳴の方を顎でしゃくるから、言う通りにしろ、との無言の圧力を感じて渋々と目を閉じる。
わあ…!と上がる興奮混じりの声にびくりと身体が跳ねる私が感じるのは頭に何かふわりと乗った感覚。鳴?と目を閉じたまま問い掛けるように呼ぶと、もういいよ!なんてまるでかくれんぼしてるみたいに楽しそうな鳴の声。もう…、なんて言いながらも笑い目を開けてすぐに息を呑む。


「鳴…これ、」


視界がほわりと透ける優しい白に覆われていて目を見開く私にその白の向こう側で鳴がニッと笑った。


「ベール。お義母さんが結婚式で着けたやつ」
「お母さんの…?」
「うん。……陽菜、サムシング・フォーって知ってる?」
「!…知ってる」


頷く私に、ん、と鳴が目を細めて優しく私に笑い掛ける。

サムシング・フォーは結婚式の時に取り入れる幸せのおまじない。日本に帰っていた時に幸子から貰った結婚情報誌で読んだそれの記憶を辿る私の頭に手を乗せて、ベールの向こう側から私の頬に触れて鳴が口を開く。


「新しいもの、親類から貰った古いもの、幸せな結婚生活を送る人から借りたもの、青いもの」
「だからお母さんのベール?」
「そ!電話して中嶋さん宛に送ってもらった!で、新しいものは結婚指輪。青いものはコレ」


そう言って鳴は私のする青いダイヤのネックレスのチェーンに指をかけて柔らかく笑い、あとは、と続ける。


「一也たちから借りたコレ!」
「!」


ハイ!と自分の後ろに隠していた赤と青の小さな花の束。御幸たちから?目を見開く私がおずおずと手を出してそれを受け取ると束ねているリボンも青いことに気付いて胸がいっぱいになり奥歯をグッと噛み締める。
花…とっても可愛い。大輪の真ん中に黒い柱頭が特徴的。


「アネモネっていうんだって。一也の奥さんが育ててて、これがいいよ!って貰ったんだ」
「莉子さんが…」
「花言葉は青が固い誓い。赤は…」


私たちを含めて周りは興奮を押し込めた今にもはち切れてしまいそうなほど膨れた空気の膨張を感じる不思議な空間。鳴が花を指差しながら静かで落ち着いた声で話すのをみんなが聞いてる。


「君を愛す。陽菜、愛してるよ。仕事を辞めて俺だけの傍にいてほしい。一生愛して大切にするって誓う」
「鳴……っ」
「俺と2人で幸せになろうよ!陽菜!」
「っ……」


きっとずっと、鳴も気付いてくれてた。自分の苦しみの中で私が傷付くのを鳴は知っててくれた…こんな風に準備出来るよりずっと前から。
大きくひまわりが咲いたみたいに笑う鳴が浮かぶ涙で滲んで、溢れたそれが頬に流れてまた浮かぶを繰り返す。ポロポロと溢れて止まらない涙を拭ってくれようとする手は鳴の被せてくれたベールの前で止まって、陽菜、と私の答えを待ってくれてる。

幸せになろうよ、か…。1番最初に私に結婚しようと言ってくれた時は、幸せにしてあげる!…だったよね。

花束の中から1本、赤いアネモネを引き抜いて鳴に差し出しできる限り笑い掛ける。


「You are my loved one」
「!」
「私も試合が終わったら同じことを鳴に話そうと思ってたよ。鳴、愛してる。私を鳴のただ1人にしてください」


もう結婚もしてる私たちが一体何をしてるんだって、何も知らない人たちはきっと思うだろうけど鳴と私にとってはここからが本当に夫婦の始まり。
鳴の傍にマネージャーとして居られないということは鳴が辛い想いをしたことも気付けない日が来るかもしれないけど、その怖さとも向き合うことを許されるのは私だけ。これって人生をかけられちゃうぐらいに贅沢でしょ?って…今は世界中に自慢したい気持ち。

私から赤いアネモネを受け取った鳴が嬉しそうに笑ってからベールを捲って直接私の頬を手で覆ってその指で涙を拭ってくれる。周りで見守る人たちに少し恥ずかしくて顔に熱が上り真っ赤になってるだろう私に鳴がにんまり嬉しそうに笑って、ねぇ、と目を細める。嫌な予感…!


「教えてよ。あの時、俺になんて言ったの?」
「!…意地悪!分かってて言ってるでしょ!?」
「まっさかー!俺、あの時耳塞がれてたしね」
「っ……もう!…これからもずっと"いつも傍にいるよ"鳴」
「知ってる!!」


俺が誰よりもね!
そう続ける鳴の愛おしげな眼差しにとろりとした幸福感が胸に満ちてゆっくり近付く鳴の顔に目を閉じキスを受け入れる。
この後ルイスに紹介してもらった物件の内見ね!とニカッと笑う鳴がいきなり私を抱き上げるからびっくりが連続してもう感情が大渋滞。でも…鳴が嬉しそうに笑ってくれるから、いいかな。
この日のさながら結婚式のような、グラウンドでこれからの生涯を誓った私たちのことはチームの勝利以上にニュースに大きく取り上げられ、この様子を動画として球団SNSで流したのは鳴の手回しだと後でカイルに教えてもらった。

私はといえば鳴の専属マネージャーの進退は選手である鳴に一任という契約だから任を解かれたものの、すぐに退職できるわけもなく。


「まーだー!?俺腹減ったんだけど!!旦那待たせるとか妻として怠慢じゃねェの!?」
「っ……う、」
「う?」
「うるっさぁーい!!鳴!私、今日カイルに引き継ぎだって言ったよね!?先に帰っててって連絡したよ!?」
「へぇー!そんなん知らねェし!大体なんでこのクソガキがいるんだよ!?」
「カイルの部下なんだからしょうがないでしょ!!」
「お前ら今すぐ黙らねェと投げつけるぞ」
「「その熱いコーヒーを!?」」


鳴と顔を見合わせ数秒。よし、黙ろうと意思の疎通をしてキュッと唇を横に結ぶ私と鳴はカイルが後ろを向いた隙に2人揃って同時に自分の両耳に手を当てて聞きませんのポーズをするから丸くした目を見合わせてプハッ!と噴き出し笑う。


「あー!!2人してこんなことやってますよ!」
「クソガキてめェ!!」
「お前ら少しは仲良くしろよ。ジャンにはこれから成宮に就いてもらうからな」
「「はあ!?」」
「え!?…カイル、それはちょっと…」

ー完ー
2020/02/15




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