Always at Your Side


その日は夜からのゲームで前日のフライトトラブルで到着が大幅に遅れ先発指名を受けていた俺は試合前調整もろくに出来ず苛立っていた。チームはここ3試合負け通し。チームには勝ちを渇望する苛立ちと焦燥が誰の言葉にされるまでもなく漂っていて登板前に集中力を尖らせればそれらを敏感に拾ってしまう悪循環にどっぷり沈む俺がチームを離れて球場内部の業者用搬入口の近くに休憩用なのか設置されていたベンチに座り俯いていた時だった。
ふわりと両耳を温かさに覆われて、遠くに聞こえていた色んなもんから遮断された。ハッと息を呑み顔を上げる俺の見開いた目に映ったのは意外な人物。なんで俺を見つけたんだよ…。普段すげェ喧嘩すんじゃん、俺たち。俺なんて居ねェ方が精神的に楽なんじゃねェの?プライベートも互いに干渉したりしねェし仕事じゃなきゃ関わんねェ。だからこの子が俺を見つけ出せた理由に心当たりがまるでない。


「え…なに?」


俺の専属通訳兼広報、三森陽菜。
俺の耳に自分の両手を当てて塞いだそのままパクパクと口を動かすから何を言ってるか聞き取れず、眉根を寄せて問いかければイタズラっぽく笑った三森サンはやんわりと俺の両耳から手を下ろして、さて、と言葉を続けた。


「私はなんて言ったでしょう?」
「は…?いや、聞こえないから聞いたんじゃん」
「聞きたい?」


なんだそれ。からかってる?と聞こうとしてやめた。手を後ろに組んで俺の前に立つ同い年のこの子がずっと年上に見えるほど静かで穏やかに微笑む様子にそうしたい様にはとても見えないから。
外国人だらけのこの地で、周りと比べれば俺たちはずっと幼く見えるのにこの瞬間俺より年上に見えるのが悔しくて口を尖らせ、別に!とそっぽ向く。


「聞きたくねェ」
「でしょ?だから聞かなきゃいいよ」
「!」


こうやればいい、と三森サンは俺にしたように自分の両耳にも手を当てて見せてニッと勝ち気に笑う。…なんだそれ。俺はそんな単純じゃない。聞きたくなくても耳に色んなもんが入ってくんだよ。単純なアンタと一緒にしないでくれる?
いつもと同じように憎まれ口は頭に浮かぶのにどうにも口にする気にならなかった。それどころか胸に湧いてくる名前の見つからない気持ちにスッと胸の中にずしりと重たかった色んなもんが消えていくのさえ感じて自然と口元が緩む。


「広報のくせに生意気」
「そう?これが地だから分からなかった」
「ブハッ!ぶくくっ、ははっ!…あー…なんか馬鹿らしくなってきた…。どんな状況であっても俺がやることは変わんねェ」
「うん」
「耳を塞ぐ必要がないようにうるさいもん全部黙らせてやるから、見てなよ」
「!……うん」


力が入らなかった拳が握れてる。グッと力を込めたそれを三森サンに向ければ目を丸くしてから嬉しそうに笑って俺の拳と自分の拳を合わせた。

本当はあの時、陽菜の言った言葉が知りたかった。試合に勝ったら聞こうと思ってたけど、勝ったら勝ったで試合後に褒めてもいいよと軽口から入ったら陽菜の、まだまだだよ、なんていう辛口が返ってきたからまた喧嘩になって結局聞くことが出来なかったけど。あの後カイルに2人で怒られて、陽菜がカイルが背を向けた隙に耳を両手で塞いでベッと舌を出してイタズラっぽく笑って見せたから噴き出し笑った俺がますます怒られたんだっけ。

もうそれが3年も前のこと。


「陽菜」
「うん?」


開幕当日の今日、デイゲーム。
球場に入る前からよく晴れた最高の野球日和を謳歌するように道々でファンの興奮や熱気を感じる。
フゥー…とグラウンドで調整を終えて長い息をつきながら空を仰ぐ俺の後ろで陽菜が、なんですか?、とひょこっと俺の前に顔を出してにこり笑う。うん、今日も俺の奥さんは可愛い。傾けた身体の動きに合わせて首元では俺の贈ったネックレスの青いダイヤが揺れてきらりと輝く。
トクトクと規則正しい脈がだんだんリズムを上げてる。心臓から巡る血が熱くて全身が沸騰しそうなほどの興奮が顔に抑えきれているか、ちょっと自信がないや。
陽菜はグッと息を呑む俺に何も言わずに隣に立って俺の左手を握った。


「ずっと聞きたいことがあったんだよ、俺」
「え?私に?」
「そう。まだ俺がこっちに来たばっかの頃の試合前、陽菜が俺の耳を覆って何を言ったか」
「試合前……あ!あの時…。鳴、聞きたくないって言わなかった?」
「ああ言われたらそう返すの分かって言っただろ、陽菜」
「ふふっ、御名答」
「ほんっと、あの頃からずっと…」
「生意気?」
「可愛いよ陽菜は」
「は……?」
「ブハッ!ポカンってし過ぎ!」
「だって!っ……そんな風に思ってなかったでしょ?あの頃は」
「さて、どうかな」
「っ……もう!」


カァッと真っ赤になって俯く陽菜とそれを見て嬉しくて笑う俺の前を、見せつけんなー!とロイが通り過ぎて、いいだろー?と返す。あーぁ、恥ずかしくて顔も上げられない陽菜の耳まで真っ赤!ほらほら、とその頬を突いてやれば噛みつかれそうな顔で睨まれたからこれぐらいにしてあげよっかな。


「試合が終わったら聞かせてよ」


さて…そろそろだ。
球場に観客が入ってきて高揚感が煽られる俺の手から陽菜が離れて、その代わり俺は陽菜の髪の毛をその手に取って笑いかける。陽菜が今日俺を観るのはベンチじゃなくて観客席。あの辺…と目を向けていれば招待したルイスとその家族の姿を見つけて手を上げて挨拶をする。ははっ!相変わらず子供がめっちゃ元気!!ブンブン手を振ってんじゃん!
内野席で俺たちベンチとほど近い。試合が終わればファンたちにサービスするその席辺りを、あっちね、と陽菜に指差せば顔を向けた陽菜もルイス達に気付いて嬉しそうに手を振り頷いた。その頭に俺が被っているキャップを被せてあげる。手に取った陽菜が確認したのは多分俺が内側に書いている名前。それを見てまた嬉しそうに笑って顔を上げた陽菜が得意げにキャップを被るのが可愛い。そうだよ、陽菜。そのキャップは陽菜を日本に渡す時に被せたキャップと同じキャップだ。


「鳴」
「うん?っ……陽菜?」


ゆっくり俺の首に腕を絡めて抱き着いてくる陽菜の身体を抱き締めその首に顔を埋めながら、陽菜?ともう1度呼ぶ。こんなみんなが見てるところで珍しいじゃん。それだけにぎゅうっと抱き締めてくるその力の強さが陽菜の抱える想いの強さがどれほどか伝えてくる。

我慢を、きっと…たくさんさせてきた。
俺と結婚しなきゃしないで済んだ想いなんて山程あるだろう。けどこんなに愛してしまったのだからもう手を離すことなんて出来るわけがない。どんな想いだろうと俺は陽菜と越えていく。
多分俺たちを見ている観客から囃し立てるような声が上がる中できつく陽菜を抱き締めていれば首裏で陽菜の手が俺のネックレスを引き何か動かしてる。へ…なに?


「はい!」
「!」
「鳴、…見てるからね」


ずっと見てる。
そう言いながら離れた陽菜が目を丸くする俺にふわりと笑う。無意識に陽菜を捕まえようとした手で僅かにさっきまでと感覚の違うネックレスを触れれば今まで生きてきて1度も俺の指にしたことのないそれがそこにあった。


「これ…結婚指輪…?」
「うん!受け取りに行ったけど開けられてなかったでしょ。今日しかないって、思ったんだよね」
「!…さっすが、俺の奥さんだよ」


指でなぞるつるりとした感触の小さな環。
陽菜の左手薬指にも結婚指輪がはまっていて、俺にそれを見せてニッと嬉しそうに笑う。
陽菜の頬を手で覆って指で撫でる。ぴくりと身体を揺らした陽菜は目を伏せてから熱の篭もった目で俺を見つめて、愛してる、と言う。ゆっくり伺うように顔を近付ければ目を閉じて、甘ったるさが胸に広がりじんわりと温かくなる。
頬にキスをして、顔を見合わせて今度は唇にキスをする。観客から一層大きく上がった声を聞きながら離れれば2人揃ってイタズラ成功みたいな顔をしてるとアンディーに呆れたように笑われ、やっぱり俺には陽菜しかいないと強く思った。


試合前ロッカールームに繋がる廊下で、おっつかれ!と後ろ姿に声を掛けると振り返ってそんな顔!?少しは隠せよ俺今日の開幕先発投手!!チームの大事な選手なんだけど!!


「…何か用か?」
「だから顔!すげェ嫌そうじゃん。さっきグラウンドで陽菜にキスしたの怒ってんの?」
「よく分かったな。少しは成長したか」
「はあ!?仮にも俺の担当広報なのにひでェ言い様!あーあ!これが陽菜だったらめちゃくちゃ可愛く笑ってお疲れ様って返してくれんのに!」
「よく言う」


フッと薄く笑ったカイルに俺も口角を上げる。選手たちの賑わいをすぐ側に感じながら俺とカイルはすぐ近くにいるのに言葉を交わさず向き合っているのは別の空間にいるような不思議な感覚だ。


「お前が此処に陽菜を必要としなかったんじゃないのか?」
「!…あながち間違いじゃないね」


さすがカイルだ。
そう続けて笑う俺に続けろと言わんばかりに顎でしゃくって見せるカイルに駆け引きは無駄だと悟る。肩を竦め気を取り直して真っ直ぐカイルを見据えれば細まったカイルの目が鋭く俺を見据え返す。


「俺が前に言ったこと、覚えてる?」
「さあな。戯れ言の多いお前の言葉なんて一々覚えてられん」
「酷すぎない!?…まぁいいけどさ。……陽菜が広報を続けられないって話をカイルとした時になら俺が陽菜を貰うって言った」
「………」
「今日、俺だけの陽菜にするって決めた」
「!」
「マネージャーを辞めさせるよ、カイル」
「…本人の意思は?」
「さあ?聞いてねェけど、俺はそうしたいって話はカイルにはしておこうと思って。もうこれ以上、陽菜を傷つけさせない。陽菜が妻としてじゃなくて、マネージャーとして傍にいて尽力してくれたから調整段階から開幕先発投手になって勝利を収められたところを世界中に示してから俺は球界から陽菜を攫って永遠に返さない」


仲間から聞けば、みんながみんな陽菜のことを優秀なマネージャーだって口を揃えて言うけど俺が欲しいのは陽菜が俺を怖がらずに待てる場所だ。テレビの前で俺の勝利を願うその横に1人じゃないように一緒に守れる存在を2人で作りたい。俺も陽菜もそれぞれ選手と球団経営側の人間として関わってきて長いけど、夫婦であればずっとそうはいられない。トレーナーの中嶋さんやカイルが誰にも代えれない役割で俺を支えてくれているように、陽菜も俺が望むただ1人である妻としてこれからは俺の隣で生きてほしい。マネージャーであることに不満があるんじゃない。ただ誰の目にも俺の妻として当たり前のように映ってほしい。単なるワガママだよ、俺の人生最大の。


「陽菜がこの時こうすれば良かったとかああしていれば…とかって後悔をしたとしてもそれは全部今日手を引いて俺のマネージャーを解任した俺のせいでいい。俺はそういうものも含めて陽菜が欲しい」
「思い上がるな」
「別に思い上がってるわけじゃ、」
「俺の一番弟子が自分の岐路が生んだ結果を誰かのせいにするわけがない」
「!…ははっ!あー!やっぱカイルに話して正解だった!」


確かにね、と俺が腹を抱えて笑うのを眺めていたカイルは自分もフッと笑い目を伏せてから逡巡するように眉間に皺を寄せた。


「お前が馬鹿正直に面と向かって話してきたのなら俺も本音で話すぞ」
「お手柔らかに」
「俺の立場からすれば答えは、却下だ」
「………」
「陽菜は球界の各方面にも顔が利くようになってきたし、お前の側でなくともルーキーを任せることも出来る。ジャンを見ていれば分かるだろうが人は今日明日で急に育つものじゃない。失うには惜しすぎる」
「…そ?分かった。一応頭に入れておく」
「で、俺個人からすれば」
「へ…?」
「早く解いてやれ」
「!」
「あれはお前の言うことしか聞かん。……願わくばアイツの中にこの球界に携わった経験が財産として残るように」
「は……」


いや、言うだけ言って行くのかよ…。おかげでこっちは思考停止してるし少し寂しそうな背中にも言葉が出てきやしねェじゃん……。

さっきまでロッカールームの賑わいなんてまるで耳に入ってこなかったけど、カイルがそこに入っていってやっと意識して聞けば開幕の興奮が辺りに満ちているのを再確認して、ぶわっと全身が粟立つような感覚に口角が上がる。
やっぱ…これだよ。
立つなら頂点っていうのは野球を始めてからずっと変わんねェ俺のど真ん中。心臓から熱い血が身体中を巡り早く戦いたくてしょうがねェ衝動をなんとか抑えるように、ネックレスに通る結婚指輪を握り締めた。


試合が始まりいざ投げてみれば高めていた興奮とブースターとの噛み合いが上手くいかず2回に満塁1打逆転の局面。
朝よりも気温が上がり垂れる汗を拭いながら外野手のアンディーが、しっかりしろー!と笑いながら掛けてくる声ににやり笑い、うるせー!と返した。前からは捕手のジェフが立ち上がりマスクを脱いでタイムを取り駆けてくる。…あの夜…開幕先発投手に決まったと陽菜に告げた時に18.44m先から走ってくる速さとその顔を思い出す。こんな時だってのに、可笑しいや。いけるのか?と生意気を言うジェフに、生意気、と返しネックレスにある結婚指輪を握り締めていれば、成宮ー!とまたアンディー。


「なに!?俺ってば集中してんだけど!!」


まったくいつもいつも後ろから気分転換させてくれてありがと!!
そうは口に出さず振り返れば腰を手を当て楽しげに笑うアンディーがある場所を指差す。は?なに…?そっちはバックスクリーン。


「!」
「陽菜だな」
「…陽菜さん、だろ。お前が呼び捨てとか100年早い」


タイムの間にテレビカメラが抜きスクリーンに映し出すスタンドの観客の中に俺が被せたキャップを被り手を合わせ祈るようにして目を瞑る陽菜の姿を見つけて上手く言葉が出てこず、ジェフはそんな俺にやっぱり生意気にも、これなら大丈夫か、と戻っていった。
あのカメラ、絶対に陽菜だって分かって抜いただろ。パッと次の瞬間には違う映像に切り替わったけど、俺としては気持ちの切り替えには十分な時間だった。アンディーに背を向けたまま拳を上げて見せてそのままぐるりと腕を回してからまた指輪を手に取る。そういえばちゃんと見てなかったと今更だけど目の前に引き出して見てある事に気付く。

え…これ、内側になんか掘ってある。フルオーダーの俺たちの結婚指輪。内側に俺の誕生石を埋め込んだからメッセージはいいと刻印しなかったはずだけど…。
ネックレスに繋がったまま内側がちゃんと見えるように傾けて文字を目で追いながら息を呑む。


「……Always at ……っ、Your Side」


Always at Your Side…いつも傍にいるよ。
陽菜がいつも俺に言ってくれたその言葉がそこにあった。俺の肩の炎症に対する不安を1人で陽菜が抱えていた時。俺が調整で上手くいかねェ時。そして今この瞬間にさっき陽菜にこの試合が終わったら教えてほしいと言ったその答えがあの時の陽菜の口の動きと重なりこれが答えなのだと確信した。きっと、いや絶対にそうだ。

やってくれるよ…本当、いつもいつも。
グッと奥歯を噛み締め込み上げる愛おしさに突き動かされるように指輪にキスをする。
こんなの、勝つしかねェ。わぁ…!と盛り上がる球場の中で空を仰ぎニッと笑った。




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