「えぇ!?」


思わず声を上げてスマホを手に立ち上がる俺に追い打ちを掛けるように店内のテレビから流れてくる音声にもバッ!と顔を向けて凝視し全意識を向けざる得なかったものだから、昼休みに賑わう社食のフロアで目線が怪訝そうに俺へ集まったとしても気遣う余裕は1ミリも残ってなかった。

め、鳴さんが婚約…!?

スマホでニュースを何気なく確認していただけなのに、まさか赤字の速報が成宮鳴の婚約を報せるものだとは思わず、また信じられず。3回ほど読んで頭の中で繰り返しやっと文章の意味を理解して愕然とする今。
昼のニュースでも速報扱いで流されるその音声と映像、ネットニュースから得られる情報の限りでは球団のSNSで正式に発表ということで先日の空港でもプロポーズ騒動は戯れでもドッキリでもないことがここに証明されたこの瞬間。誰もが気になるのは相手のことで、食い入るようにニュースを見つめる俺が手にするスマホはしきりにメッセージが届くバイブレーションに揺れてギュッとそれを握り締めた。


「一般女性……」


一体どんな人なんだろう…?球団からの発表ではそうとしか発表されておらず、ニュースも速報を取り敢えず流したのみでスタジオのコメンテーターが興味を示しお祝いのコメントを一言、二言言ってからニュースは日経平均株価へ切り替わったのを機に俺はやっと椅子に座り直したものの、目の前の食事に手をつける気にならず、まだ震えるスマホに目を落とした。

あぁ…やっぱり。
メッセージは稲実野球部のグループに上がっていて、未読数を示すトークルーム横の数字はすでに二桁になりいかに盛り上がっているかを思わせる。開けば思った通り、今流れた鳴さんの婚約ニュースの話題で持ちきりだ。
相手は?
ドッキリだろ。
そんな様な言葉が並び俺も、驚きました…、と一言入れてから鳴さんが所属する球団の公式SNSを開いた。

これか。うわ…本当だ。全部英語で書いてはあるけど掻い摘み読み解くぐらいのことは出来る。おそらく鳴さんの手だろうそれに、青い石が綺麗に輝く指輪をする婚約者の女性の手が重なっている写真にはたくさんの祝いのコメントが寄せられている。鳴さんが…結婚か。
思わず手で塞いだ手が何を堪え抑えているかは分からなかったけど、安堵のような心配のような名前のつけられない感情が溢れて視界が揺れた。
一体…どんな人なんだろう?その人はちゃんと鳴さんを理解しているのだろうか?ただ搾取するだけじゃなく、鳴さんに与えられるんだろうか?

ズッと鼻を啜り込み上げた涙を腕で拭い、まだ盛り上がっているらしいトークルームをまた開いて流れを読んでいれば、ポンッ、と投げられたメッセージに目が見開き俺はまた、えぇ!?、と声を上げて立ち上がることになった。

"稲実OB会にその子を連れて行くよ!よろしく!"


で、稲実OB会の今日。
トークルームは様々な憶測が飛んだけど、あれ以来鳴さんからのメッセージはなく心配なニュースばかりが流れた。
鳴さんは肩の炎症で調整に入る。それに続き上がった女性とのスキャンダル。MLBに移籍してからはそういえば初めてのスキャンダルだった。鳴さん側は関係ないと否定してすべてを終わらせているけれど、俺たち稲実OBとしては婚約の発表から向こうこっちずっと相手を気にしていただけあって、やっぱり結婚は無理か、なんて声まで上がった。今日はその婚約者を連れて来れるかも怪しいな、なんてすでに酒が入った山岡先輩が言うそれを少し離れた席で聞きながら俺は今もトークルームを眺めている。


「鳴からの連絡を待ってんのか?」
「!あ…いえ…。…はい。少し心配で」
「少しか」


そう言って目を伏せフッと笑ったのは原田先輩で、今や球団の選手会長を務める貫禄に余裕を感じる反面、やっぱり心配でしょうがない俺は眉根を寄せて何も悪くない唐揚げを睨んだ。


「お前、知ってるか?相手の子」
「いえ…。鳴さんからも何も聞いてません」
「ったく…大方俺たちを驚かせたくてしょうがねェってとこだろうな」
「……来るでしょうか?」
「ん?」
「鳴さんのスキャンダルもありましたし…心配で…」
「まぁ…その辺りは分からねェが。アイツは嘘は言わねェだろ」
「!」
「でけェことばっか言いやがるしクソ生意気な奴だが、嘘をついたことはねェ。その鳴が初めて自分から言い出した婚約者の子をこの場に連れてくるってのは余程の想いか覚悟があるんじゃねェかと俺は思う」


だから大丈夫だ、と笑う原田先輩に、やっぱり頼もしいなぁ…なんて思っていれば握っていたスマホから通知音が鳴ってハッと目を落とし読むなり、行ってきます!、と店を飛び出した。当時よりずっと穏やかになったはずの白河先輩の、犬、という辛辣な声が追い掛けてきて俺はちょっと泣きそうだったけど足は止めなかった。

"場所よく分かんねェから駅まで迎えに来い"

鳴さんが1人が婚約者の人を連れているかはその一文からは分からなかったけど、確かに来ているのは間違いなく、早鐘を打つ心臓は息苦しくもあるけれど早く安心したく逸る気持ちの方が勝り気にならなかった。

駅前、駅前…ていうか店の場所なら調べれば分かるんじゃ…。もしくはタクシーで来るとか。駅へと続く大通りを走りながらネクタイがはためいて少し鬱陶しい。外してくれば良かったか。時期が時期だけに飲み屋は賑わい、街の雰囲気もどことなくふわふわしている気がする。タクシーの往来も多く、もしかしたら駅前にはタクシーがいないのかと思いながら吐き出した息が白く靄になって広がるのを見る。
駅前に着いたけど…鳴さん、鳴さんは…と。あれだけ目立つ人だから変装の1つでもしてるよな?多分…いやでも面白がってしてない可能性も…ある。十分に!
思い出す高校の頃の記憶。女の子たちに囲まれながら何かと都合悪くなると俺を引っ張り出して女の子たちから逃れるもんだからよく敵意の的になったっけ…。

はは、とつい苦笑いを零しながらきょろりと辺りを見回すと……あぁ、あれだ。マフラーで口元を隠しているけど周りの人がソワソワするほど纏う雰囲気が違う。
スターだ…なんて、思わず呟いてしまったけどその一瞬の内にフルフルと首を振りよく鳴さんの周りを見つめて探る。
…やっぱり、いない。
婚約者の人らしい人は鳴さんの側に見えない。ずしりと心が重たくなって、鳴さん、と呼びかけた声もつい沈んだ声になってしまった。


「おっそいぞ、樹」


ニッと笑う鳴さんとは久し振りに会ったとは思えない高校当時のままの空気感でホッとしたのも束の間、いでででっ…!とつい呻いてしまうほど強く頬を抓り引っ張り上げられ挙げ句足を引っ掛けられるしなんなんだ!?


「もう1人来るからちょっと待て」


もう1人…?それならそうと口で言ってくれと講義しながら頭の中じゃ明日商談だったと鳴さんに抓られた頬が赤くなってないか気にしていれば、誰もお前の顔なんて見てない、と鳴さん。いや!そうかもしれないですけどそういう問題じゃ……!


「そうだよ、鳴。そういう問題じゃない」
「あ」
「え…?」


ひょい、と鳴さんの後ろから鳴さんを覗き込むようにして現れた1人の女性に息を呑む。
1つに高く結われた髪の毛がゆらりと流れて目を奪われている内にその人が鳴さんに眉を下げて笑いかけて俺に向かって頭を下げる。


「こんばんは。三森陽菜です」


は……え。とりあえず、こんばんはを条件反射のようにお辞儀と一緒に返して目を見開き彼女を見つめる。時間にしたらほんの一瞬かもしれない。けどつぶさに観察してしまう俺の中では名前や表情、声の抑揚まですべてを飲み込むまでがとてつもなく長い時間のように感じられた。それこそ鳴さんの隣にいる女の子が高校生の姿で情報が完結してしまっているだけにまだ夢を見ているような心地になる。

あぁ…声が遠い。鳴さんとこの人が何やら話していて呆れたように、もー…、と溜息と一緒に漏らしてから改めて自己紹介をされた。
三森陽菜さん。
青道野球部でマネージャーをしていたという彼女は、鳴の婚約者です、と自分の名前だけを改めて名乗った。陽菜さん。名前だけ…。婚約者だから。結婚すればいずれは自分も成宮になるのだと示された気がして、その意志の強さと堂々とした振る舞いに感情が渋滞して上手く言葉が出ない。

うわ…、と思わず呟いた俺に片眉つり上げ訝しげに見据える鳴さんが再び俺の頬を抓り上げようとするその手を抑え不思議そうな顔をするこの人はどこか日本人離れした空気を感じる。
空気だけじゃない、か。服装?仕草?向けるのに躊躇いがない笑顔?纏う雰囲気もその一因かもしれない。ひょい、と俺の顔を覗き込むようにして身体を傾けてジッと見つめる三森さんにグッと息が詰まる。あ…やば。また考え込んでた。ていうか…えぇぇ!?鳴さん、あんな顔するのか…!フッと力が抜けて細めた目に愛おしさを湛えてる。道路を通った車のヘッドライトを反射して鳴さんの青い瞳から光が漏れているように見える。そしてその青さと陽菜さんの指にある指輪を飾る青い石とを見てハッとする。もしかしてこの青って…。

俺のその疑問に答えが出ることはなく、まさかの鳴さんと同い年御幸さん世代のマネだったという追加情報に思考のキャパが溢れそうになりながら2人と稲実OB会が催されている店へと向かう。
聞きたいことはたくさんある。
どうやって出逢ったのか。学生の頃から交流はあったのか。けどなんだか楽しそうに話す声を後ろに聞いていると今は邪魔しちゃいけないような……いや、これは聞いた方がいい。


「きゃっ!あはは!も…やめてー!」


この人たち、俺より年上だよな…?
信号待ちで足を止めた人がたくさんいるこの場で目立つようなことを…、なにやってるんですか?、と呆れが隠せない俺は周りをそろり。あ…やっぱり鳴さんのこと、気付かれ始めてる。
ざわざわ、とこっちを探りたいような好奇心が満ちてくる空気を感じる中で鳴さんと三森さんは顔を見合わせどちらからともなく噴き出し笑う。


「樹、店はこの先?」
「え?あ…はい。通り沿いにあるんでもうすぐ見え…」
「ふうん。じゃ、お先に!」
「多田野くん、ごめんね」
「え!?…はあ!?ちょ…!!」


な……!こんな場所に俺を置き去りにして走り去って行ったー!!しかも、バイバイ!、としっかり自分の正体を明かして……っあの人は…!変わってない!!MLB選手成宮鳴だと確信を得て、わぁ…!と盛り上がる人たちの中で愕然とする俺は青信号に変わった横断歩道を走り去る2人の姿をしばらく見ていたけど何か詮索されそうな気配を感じて俺も走り出す。
冬の冷たい空気を吸うと肺が一気に冷えてギュッ!と固まるような感覚に小さく咳き込む。


「っ…ははっ!」


……物凄いおかしなことを言うかもしれない。
知ったようなことをと鳴さんには怒られる、きっと。それでも今、絶句してしまうほどの衝撃を他に表す言葉が見つからないんだ。

なんて鳴さんの隣が似合う女性なんだろう。

常に1人で前を走り続けているような鳴さんが、自分の隣を走ることを望み手を引く三森さんの存在。三森さんは一体どんな女性なんだろうか?2人が見つめ笑い合い歩幅を合わせようとしなくても並び立つ空気を持って鳴さんの隣に立つ女の子は今まで見たことがなかった。強烈な興味が湧き上がり衝動が足を動かす。
走り吐き出す自分の息が白い靄になり、それを自分で掻き消しながら追い付いた2人は店の前で漏れる明かりの中で楽しげに笑っていて、再び込み上げた安堵に走る足を止めてギュッと拳を握り込んだ。



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