何言ってるの、アンディー。


「気にぐらい負わせてよ」


それが1番しんどいだろうに、アイツの背中はいつも伸ばす手を拒絶するようにすぐに向けられた。
フッと自室で目を覚まし、記憶を映した夢から浮き上がる。ぼんやりと天井を眺め、あんな風に男を想う女には会ったことがないと思うのは何度目だろう。自身に女性経験が乏しいとは決して謙遜でも言わない。それだけに陽菜が成宮を想うその直向きさと不器用な愛に良くも悪くも囚われている。


「あー…しんどい」


成宮がそんなことを言いながら試合直前ベンチで項垂れたのはオフに肩の炎症で調整段階からキャンプを経て完全復活をし見事に開幕投手を務めた数週間経った頃の今日、デイゲーム。
アンディーは自分が今朝方見た夢に抱いた印象そのままを成宮が口にしただけに目を丸くしてロイが先んじて、なんだなんだー?と問いかけるのを聞いた。


「喧嘩か?不幸話なら大歓迎だぞ!」
「うっわ、性格悪っ!」


げぇっ、とばかりに顔を顰める成宮に思わず、ブハッ!と噴き出してしまうと成宮がじとり。


「…なんだよ、アンディー」
「おっと聞かれてたか」


それで?とまだ収まらない笑いを含みながら自分もロイとは反対側に回り成宮の肩に腕を回す。


「新婚で一緒に暮らしだした幸せな成宮は一体なに憂いてんだよ?」
「一緒に暮らしだしたって言っても移動続きで全然そんな実感ねェけどな」


そりゃそうか。一緒に連れてくりゃいいだろ、とロイに指摘されて更にムスッとした成宮の顔を写真で撮って送ってやろうか、陽菜に。


「俺だってそうしてェのは山々だけど、色々あんの!俺の優秀な奥さんは!」
「はー?」
「察しろよ、アンディー。陽菜から広報を引き継いだジャンもいないだろ?」
「ん?……あぁ、なるほど。オフィスで引き継ぎ業務してんのか」
「そういうこと!……なんで旦那の俺よりあのクソガキの方が陽菜に会ってるわけ!?意味分かんねェ!!」
「ははーん?そう言いながらも陽菜には文句言わねェんだろ?」
「当ったり前!!俺ってば心広いし!」
「「ブハッ!!」」
「笑うな!!」
「ぶははっ!!どの口が言うんだよ!!」
「で?愛しの妻に会えなくてしんどいってか?」
「そうだよ、悪い?」
「「ブハッ!!」」
「お前ら笑いすぎ!!ていうか、ジェフ!!笑ってんの見えてるからな!!」


ギャンギャンとベンチで元気に吠え続ける成宮にベンチではチームメイトから笑い声が上がり、ここのところ連勝しているという気楽な空気も相俟ってリラックスした状態で臨んだ試合も快勝した。開幕早々に首位争いに食い込む位置をキープし続ける守備力も得点力も、自分がこのチームに在籍して最高潮だと感じるアンディーは今日もフライを華麗なパフォーマンスでキャッチするファンサービスで球場を盛り上げた。

この膝を、どれほどごまかし試合に出場し続けられるだろうか。
その矢先に遠慮なく呼び出してくるのがこの男だよな。


「話すことはあるか?」
「ない相手を呼び出すようなことはしないだろ?」


はぁ、と溜息混じりの俺にカイルはタバコを手にしてからハッとしてすぐにその手を下ろした。おーおー、相変わらず選手の前じゃ吸わねェようにしてんだな。いいぜ、と喫煙をこっちが促したところで、お前に決められることじゃねェ、ときっぱりと一蹴。変わってねェなぁ、カイルはずっと。

フッ、と目を伏せながら笑いソファーの背もたれに寄りかかり口を開く。


「俺がこのチームに移籍してここで初対面した時も同じやり取りをしたな」
「そんなこと一々覚えてねェ」
「そりゃ冷てェな。なら今日のことはちっとは覚えててもらえんのかね」
「………」


口を閉じ俺から話すのを待つのはカイルなりの優しさだ。そもチームの監督やコーチたちに話を通さずにまず俺から話を聞こうとする時点で俺の意思を優先させたいという意思を感じる。頑なに隠してきた事実を、こうも簡単に開いた口から喋っちまう。狡い男だ。


「端的に言えば、もう自分じゃどうにもならねェ」
「!」
「膝だな」
「…いつからだ?」
「昨シーズンが終わる少し前」
「他には誰か知ってるか?」
「いや。まぁうまく誤魔化せてりゃの話だがな」
「どうしたい?」
「俺に選ばせてくれんのか?」
「選ばせられる最低ラインのとこまではな」
「その言葉は3年前に聞きたかったねぇ」
「陽菜を専属就きにしてほしいって話か?」
「まぁ結果的にゃカイルの采配がピタッとハマったって証明されちまったから、文句はこれで最後にしとくわ」
「広報としては失敗だったな、あれは」
「陽菜のことか?そりゃしょうがねェし、それを言うのは野暮だろ?」


そう言ってニィッと口角を上げればカイルは苦虫を噛み潰したような顔をして、今に別れるぞ、とどうやら最近周囲に零しているとよく聞く言葉を溜息混じりに言った。

もう3年も前か。自分で言っておきながら流れた時間の速さに軽く驚く。
成宮がチームに移籍する時、俺の担当だった陽菜は成宮の専属広報兼通訳に就いた。別に何が何でも陽菜じゃなきゃ嫌だったわけじゃない。ただ気心が知れてやりやすく、遠慮もいらない相手が側にいれば安定的でいいだろうと当時は広報部のボスであるカイルに自分の専属に就けてくれないかと話してはみたが自分が膝に怪我を抱えチームを離れなければならないだろう今になったからこそ、陽菜の言葉が執拗に頭に浮かび笑うも眉が下がる。


「陽菜が」
「ん?」
「成宮が肩の調整で調子が上がらないで苦しんでいたキャンプ中、気にぐらい負わせてって言ったんだよ」
「…生意気だ」
「ぶははっ!!カイルは陽菜にいつまでも厳しいのな!!」


まったく容赦がねェなぁ、と感心すらする。それでいて陽菜も陽菜でめげずに噛み付くのだからこの2人の関係は面白い。そんなことを思いながら話を続ける。


「あんな風な陽菜だから、成宮は球界から攫っちまったんだなぁ、陽菜を」
「!…聞いてたのか」
「さてな、なんのことか」
「チッ」
「おー、怖っ!」


開幕戦当日、球場の廊下でたまたま聞いてしまったカイルと成宮との会話。陽菜をやめさせる。自分だけのものにする。陽菜の後悔もすべて自分が背負一緒に生きる。迷いを一切感じさせない成宮の言葉に、同じ男ながらああして想われる女は幸せだろうと思った。その愛を受ける陽菜はなかなか一筋縄ではいかない女で、2人は結婚していようとしまいと喧嘩が絶えないのは見てて飽きないのたが。

ほらよ、とカイルが投げて寄越した缶コーヒーを受け取り、そのよく見る銘柄に陽菜を思い出し、最低ラインかぁ、と口を開く。


「最後の仕事は陽菜とさせてくれ」
「!…イベントか?成宮と一緒の」
「それそれ。成宮も一緒ならアイツも文句はねェだろ?」
「言うだろ」
「あー…まぁ、言うな」


ギャンギャンと吠えまくる。
ブハッ!と噴き出し笑い、肩を竦め天井を仰ぐ。


「なんでだろうなぁ。俺は陽菜なんざタイプじゃねェし好きでもねェし、会わなきゃ会わないで生きていける」
「………」
「何年、何十年経って思い出を話す時にゃ陽菜は生意気で可愛げがない女だって、今と変わらない印象を話すだろうよ。綺麗に補整もされないだろうな」


けど、と続けながら缶コーヒーのプルトップを上げるとコーヒーの匂いが抜けた空気と一緒に上がった。自分より小さな背中が頭に浮かび、そういえばいつもブラックでコーヒーを飲んでいたと思い出す。甘い物が好きだという女らしい可愛げもなければ苦い物が苦手だと顔を顰めるような甘さもないような女。けれど自分を自分で追い込むことに躊躇いがなく、傷つく姿でさえ強く見える。一種の憧れに似た感情がないかといえばそうでもないだろうと思う。言い切れないからまたそれが面白い。
三森陽菜は今は成宮陽菜。その名になかなか慣れない。


「躓いた時、会いたいと思う相棒だとは思ってるよ」
「!」
「だから最後は陽菜と仕事をさせてほしい。俺の怪我のことは多分隠すのは難しいかもしれないが、極力話さねェでほしい」


この怪我がいつ治るか。球場に戻って来れるのか。現段階じゃなにも分からず正直なところ一寸先は闇だ。真っ暗で前を見てんのか後ろに進んじまってんのかも分からない。
ただこんな時に自分の性分じゃその暗さを周囲に漏らすことはまずしない。そんな時に察して気に負う存在が、実のところ喉から手が出るほど欲しく縋りたくなってしまう衝動が暴れる前に、なんとか処理してしまいたい。

いつになく真剣な面持ちと静かな声で語るアンディーにカイルは目を細め口を開く。


「……新婚の奴らの仲にヒビを入れるようなことはするなよ」
「ハッ!何言ってんだ、カイル。俺は成宮も成宮が溺愛する夫人のことも、どっちも愛してるんだぜ」


知らなかったのか?とにやり笑い言えばカイルは丸くしていた目を伏せて、ほざけ、と喉を鳴らし笑った。

そんな自分の要望が叶ったと知れたのはもちろんカイルから聞かされたわけじゃなく、球場内のスタッフ控室へ向かう陽菜を見つけた時だ。
かつて長かった髪の毛が切られてしまう原因は言わずもがなだが、それがなかなかどうして似合うと感じるのは髪の毛が長かった時よりもハッキリと首を飾るネックレスが見えるからだろうかとその後ろ姿を見ながら思う。成宮の瞳の色と同じく青の石のついたネックレス。陽菜は嘘はつけない奴だから、よく馬鹿正直に恥ずかしげもなく言ってたな。成宮の瞳が綺麗だと。
そう言ってた真っ直ぐな瞳はいつも細まり、俺はそれを見るのは悪くないと思ってた。真正面で受けた成宮が赤い顔であたふたすんのも面白かったしな。

ただ、実際俺に向けられた真っ直ぐな瞳にゃ色んな感情を溜めて押し込めるような強さだけが映り、油断も隙もあったもんじゃねェ。
成宮の不調に気にぐらい負わせてくれと震える声で言った弱さの一端も俺には見せられなかった。


「待ってる」


……馬鹿みてェな話だが、ここで泣いてくれたなら俺は少し楽になったと思う。
自分の中だけにひた隠しにしてきた膝の違和感と、それが怪我として表に出てきてしまう不安を陽菜は敏感に感じ取っちまうような奴だと成宮の隣にいる姿を見てきて知っていたから。だから自分勝手にも俺の辛さを味わってくれる存在が在れば、と。つまるところ俺は俺の代わりに泣いてくれる奴が欲しかった。
だがどうだ。蓋を開けてみりゃ清々しいまでのエールを送られた。待ってる。自分にはそれしか言えない。そうきっぱりと。

ああ、もうコイツは成宮だけのものだ。
俺に就きたての頃にいつもくっついてすべてに一喜一憂している陽菜じゃない。成宮のためだけに泣くことを自分に許している。それを思い知らされて、馬鹿馬鹿しいはずなのにどうしてか笑っちまう。


「残念だったな、アンディー」
「あ?」


成宮がスッと細めた目には怒りが込められていて、息を呑んだ。


「お前のためには陽菜は泣かせてやんねェ」
「!…お見通しかよ」


そうぽつりと返した俺に、そりゃね!と高らかに言ってイベント休憩に使った控え室に残る陽菜のところへと成宮が引き返すその背中に、くそ、と言い捨てた。振り返ろうとしない成宮の背中に不覚にも鼓舞されてしまうその感覚は知っている。コイツの後ろを守るのはいつもこういう感覚だ。
悔しいさと高揚感とが混ざって湧き上がってくるそれらを吐き出すように空を仰ぎ、ブハッ!と噴き出し笑う。
振り返らず前だけ見られちまえば、進むしかない。



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