須田さーん!と呼ばれ顔を上げた男が若干疲れた顔をしながら、はい、と返事をする。
球界も日本シリーズ終了後本格的なオフに入り、キャンプや新人育成に関する予定を組まなければいけないことに加え選手たちの取材やマスメディアやイベント出演に於いてスケジュール管理など頭を悩ますことは多くある。
球団広報部須田廉太郎も例に漏れることなく連日ミーティングに追われ気にかけることが多々あり最近は眉間に皺が寄りっぱなしだ。若手には生きる教科書(某元所属投手であり現メジャーリーガー談)と影で言われていると余計なことを教えられ、家庭ではわんぱく盛りの2人の子供が入る野球チーム監督をこなすために、鬼監督などと呼ばれ。自分が好きでやっているもののさすがに疲れが溜まってきた。もう若くはない、と内心苦笑いしながら電話が入っていると教えられ外線1番を押して受話器を手に取る。
さて相手は誰か。営業か?それともトレーナーか。はてまた記者だろうか。しまった。疲れた頭で何も考えずに受けたから相手が誰か聞くのを忘れた。


「お待たせ致しました。広報須田です」
《お忙しいところ申し訳ありません》


電話の向こう側で明らかにこちらを気遣い柔らかく言うのは女性だ。はて誰だったか、と首を傾げる須田は手元にある自軍の選手のファングッズサンプルを手に取りチェックしながら記憶を探るも束の間。続けられた言葉が球団始まって以来の問題児…ではなく問題選手の移籍先であるMLBチームの広報を名乗った瞬間に息を呑み背筋が伸び心臓がヒュッと小さくなった気がした。手からはサンプルが滑り落ちた。アイツが何かやらかしたのか!?

歳の割に子供のようなことを言うくせに、積んだ経験値のせいで妙に冷めて達観したところがある。性格にも難があり、他者と上っ面のコミュニケーションを取るには申し分のない能力を持っていながら芯は強く揺らがず何者にもそれを許さない。他人に何も期待していないような素振りがあるかと思いきや1度マウンドに立つと投球で強さとプライドのすべてを語る姿に彼が所属してからというものの投手陣の要は彼から変わったことがなかった。自分も野球をしていた身からするとあれほどの投手と共にリトル、シニア、高校野球、日本プロ野球とどこにいようと共にグラウンドに立った者たちが羨ましく思うほどに魅力的な選手のあの男。
色素の薄い髪の毛と瞳の色。容姿にも恵まれ女性を惹きつけ止まないアイツを誰が最初に呼んだか日本球界始まって以来のプレイボーイ。


《成宮鳴の専属広報三森陽菜と申します》
「な、成宮が何かしでかしましたか!?」
《え?…あ、いえ。今日はそのような件でお電話したわけでは…》


戸惑う電話相手に、違うんですか?、と語るに落ちる須田。前のデスクに座る同僚がパソコンを操作しながらも口元が笑ってしまっているのに気付き、ん"ん"、と咳払いをする。

それではあちらの広報が一体なんの用だろうか。うちの球団と何か予定があったか?
見当のつかない先方の用件に訝しがりデスクにある卓上カレンダーに書き込まれた予定を確認するもののやはりそういった予定はない。


《先日、成宮が球団の公式SNSで婚約を発表したのはご存知ですか?》
「はい」


頷き返しながら須田の頭の中には成宮の背中が浮かぶ。俺のことではなく俺を連れている自分が好きなんだよ、と言う声に寂しさが混じっていたことにアイツは気付いていただろうか。まるで子供のように純粋で正直で、そう在れるのは強さではあるが他者に自分を委ねられない脆さでもあり繊細で危うくもあった。
球団に入団した時はまだ高校生の幼さを残す18歳だった。若さゆえの物怖じしない怖いもの知らずのままでは、いくら実力の世界とはいえ世間を渡れない。子供の彼に、もう子供じゃない、と何度も言葉を重ねなければいけなかったことを思い出し、須田は電話口で黙り込んでしまう。子供でいい。大人には嫌でもいつかなるのだからと言ってあげられたなら。しかし周囲は成宮に子供である以上のものを期待し、それを許さないのだ。

彼の成長と成功を思えばこそ、と自分なりの矜持のようなものだった。けれど彼が。成宮鳴が取材を重ねるたびに笑顔と声を作りメディア向けの受け答えが上手くなるのが寂しくも悲しくもあったのだ。もっと他の方法で成宮鳴を輝かせることが出来たのではないか。成宮鳴元球団担当広報の須田は成宮鳴MLB挑戦から早くも2年が経とうとしているにも関わらず新人が入団するこの時期になるといつまでもその後悔と迷いに胸を痛ませている。


「おめでとうございます」


本当は先日成宮が肩の炎症で調整に入ったとの報せが頭に入っているだけに彼の調子がどうなのか聞きたい言葉が喉まで出かかったがグッと堪え祝いの言葉を述べる須田に、ありがとうございます、と専属広報だという女性が柔らかく返した。


《日本球界もオフシーズンに入るに際して所属選手の方々にも取材やメディア出演などの予定も多くあると思います。その際に元チームメイトとして成宮の婚約に関しての質問が多くされてしまうかもしれません。対応等ご迷惑お掛けします》
「いえ、とんでもない。わざわざその件で電話を頂けたんですか?」
《はい。お忙しいとは存じておりましたが…》
「いえ、忙しいのはお互い様ですので」
《……成宮の担当広報は須田さんだったと伺いました》
「ええ、はい。あぁ、成宮が言っていましたか?」


それはさぞ悪口ばかりを言ったのでしょう、と苦笑いしながら続ける須田にふふっと笑う現専属広報だという女性が笑う。
声からしても若そうであるが、それでいてMLBの球団で成宮に専属として就けるのはなかなかの実力があるのだろう。こうして些末なことにさえ気を配り連絡が出来る事からもそれが窺える。


《成宮が移籍する際に彼の取材に対する注意など送って頂けていたので、1度お礼を申し上げたいとずっと思っていたんです。成宮は須田さんのことを悪くは言っていません。ただ入団当初から厳しく指導されたとよく聞いていました》
「ははっ、でしょうなぁ…」
《彼の取材やメディア出演、ファンに対する姿勢は須田さんが厳しくされたからこそ身に付いたものなんですね》
「!」
《成宮は実力もありますし、個性も私どもの球団の中でも群を抜いて強いです。そんな彼が自分が野球をしていく上で周囲に支えられそれが必要不可欠だと難なく示すことが出来るのが私は最初はとても意外だったんです。強い者はすべからく前を見据えているので周りが見えなくなってしまう選手もたくさん見てきましたから。なのでお礼の他に私自身が同じ広報として須田さんとお話してみたかったんです》


貴重なお時間をいただいてしまい申し訳ないんですが、と笑う女性は電話越しなのだからもちろん表情は見えないが須田の頭には無邪気に笑う入団当初の成宮の顔が浮かび思い出された。


「…成宮は、元気にしていますか?」


なんだこの質問は。まるで久しく連絡をとっていない旧友にでも問いかけるようだ。さりとて電話の向こうの彼女もまた成宮という男に苦労しているだろういわば同志なのだ。気恥ずかしくもあったが電話の向こう側で息を呑んだ彼女がすぐに話し始めたおかげでそれも薄まった。


《元気にしています。……とても苦しそうですが…おくびにも出さず、懸命に寡黙に真摯にトレーニングに取り組んでいます》


彼女の声はとても悲痛で聞いている須田の胸も痛む。広報は選手を輝かせるためのなんでも屋。光あるところには影もある。いつだってその明暗の狭間に立つ自分たちは選手の悔しさや苦しみを近い場所で見ることになる。彼女の心痛は自分もよく分かる。

そうですか、と頷く須田の声も沈むも、ですが、とすぐに明るく浮く。
同じ広報だからこそ彼女の心痛に希望を見い出せる。


「あなたのような方が専属で成宮に就いているのなら成宮は大丈夫なのでしょう」
《!…ありがとうございます》


我々は技術面で選手をサポートすることは出来ない。そのもどかしさを自分が出来る限りのサポートという力に出来る彼女はきっと成宮に真正面からぶつかり向き合っているのだろう。

小さく震えた彼女の声ににこりと笑い、それでは、と互いに挨拶をして電話を終えた。時間にすると長くはない通話時間。それにも関わらず須田は忙しさで余裕のなかった心が落ち着いたような気がして大きく息をついた。
さぁ、先ほど憂慮を気にかけてくれた彼女にしっかり答えようか。


「お疲れ様です、須田さん」
「あぁ、お疲れ小湊」


主力選手であり、成宮と高校野球時代に対戦経験がある小湊春市のインタビューで成宮のことを聞かれる可能性は高い。近日中に雑誌インタビューの予定がある二塁手小湊との打ち合わせを早急にセッティングした須田は小湊の調子を気遣いながら早々に本題に入ると思いがけない反応が返ってきた。


「え?三森先輩からですか?」
「なに?小湊、彼女を知ってるのか?」
「あ、はい。知ってるもなにも…三森先輩は…あ、鳴さんの専属広報の方は僕が青道高校時代の野球部マネージャーでした」
「なに!?そうなのか!?」
「はい。先輩はそう…名乗らないですよね、三森先輩は」


ああ一言も、と唖然とする須田に苦笑いする小湊は、食えない人なんです、と肩を竦める。小湊自身もかなり食えない男である。


「どうした?小湊」


こんな縁もあるのかと驚きつつ、ともあれ取材に於いて成宮のことを聞かれた際には上手く誤魔化すようにと話した後、小湊が何か言いたげにしていることに気付き須田が問いかける。トン、と分厚いスケジュール帳を机に軽く打ちながら。


「いえ…なんでもないです」
「そうか?しかし…成宮が婚約か。小湊、相手がどんな女性か知ってるか?」
「え、それは…」
「ああ、いい。知っていても言えないこともあるだろうからな。…とは言うものの、成宮が我儘を言ってその婚約者を困らせていないといいんだが」
「まるで子供を心配するみたいに」
「うん?…ははっ、そうだな」


自分の手元を離れてようやく選手としてではなく、1人の人間として心配出来るようになった。目を細め笑う須田に小湊は、誰に言われなくても心配しちゃう人だからなぁ、と須田の心労を心の中で気遣いながらにこりと笑った。


「須田さんが心配するようなことにはなってないと思います」
「ん?」
「なにせあの鳴さんと結婚する人なんですから」
「!…ははっ!なるほど!いや、いつか会えたら会ってみたいもんだ!」
「もしかしたら近く会えるかもしれないですよ」
「は?」


なぜ?そう問いかける須田の目にやはりにこりと笑うだけの小湊はそういえばあの名スカウトである小湊亮介の弟だった。やはり兄弟か、と須田は口の端を上げて笑ったのだった。



[*prev] [next#]
[TOP]
[しおりを挟む]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -