コン、とベンチに座る俺の横に置かれたそれを視界の端で捉えて顔を向ければ中嶋さんが座りながら、どうした?、と自分も缶コーヒーを飲みながら俺に聞く。


「なにが?」


あ、これ。俺がよく飲む好きな銘柄のコーヒーだ。中嶋さんに話したことあったっけ?それともここの自販がこのコーヒーしか置いてないんだっけ?
ありがとう、と手に取るコーヒーを飲み始めるトレーニングの終わった今。


「さっきからぼうっと左手を見てる。なんか違和感か?」
「!…そうだった?いや、違和感とかはないよ。むしろ今日のピッチングは絶好調だったし」
「あぁ。陽菜からメールが着てたよ」
「陽菜から?」
「なんだ、知らなかったのか?」


白状な奴だなぁ、とカラカラ笑いながら中嶋さん。中嶋さんだから許されるよね、嫌味なくこういう言葉が言えるから。
缶コーヒーを片手にニッと笑った中嶋さんは、あのな、と続ける。


「鳴のトレーニングを組み立てる為に登板した日は必ずピッチングの結果を送ってくれてる。球数や球種、どういう場面でどういう球が有効に働いたか鳴の武器になるものを見つける大事な判断材料だ」
「スコアも?」
「見るか?」


それって広報の仕事から大幅に外れたところじゃん…それは専門のアナリストの仕事だ。

言うが早いか自分のスマホを取り出した中嶋さんが何回かタップしてから俺にそれを渡す。


「こっちの野球は、データで管理される面が強いだろ」
「…うん」
「データアナリストという専門家はいるが、数字やグラフだけしか見ないのがどうにも気に食わないらしい。選手は人だからな。もちろん数字で分析し対策を立てたりするのも大事なことだ。結果、選手自身の身体を大切にすることに繋がる。それを選手の1番近いところにいる自分がやらないのは気が済まない。ま、要するに強情だってことだな!」


スマホの中には俺のピッチングデータとその時の様子が記されたデータが入っていて、スコアも明確につけられてる。陽菜、スコアなんてつけられたんだ…知らなかった。
俺が三振を決めた時。ヒットを打たれた時のベースカバーの様子や動きの詳細と陽菜が感じたこと。
"文句はたくさん言うけど必要なことはとことんやります。成宮をよろしくお願いします"
……なんだそれ。褒めてんの?貶してんの?どっちなんだよ。


「かくいうそのコーヒーも、陽菜が成宮のお気に入りだと教えてくれた」
「!」


ハッと顔を上げる俺の肩をポンと叩く中嶋さんは眉を下げて笑い見るともなく前を見る。


「陽菜は選手の怪我が怖いんだ。過去に大切な人が怪我で痛い目にあったことがあると聞いたことがある。それでなくてもこういう仕事は選手のちょっとした変化が選手生命を脅かすことになる場面をたくさん見るからな」


そう言う中嶋さんの言葉に思い出すのは陽菜が俺の顎を心配して駆け寄ってきた時の焦り心配そうな表情と、俺が嘘をついたのだと分かった後の悲しいそうな小さい背中。普段誰に対しても堂々としてるから忘れそうになるけど、異国の地で外国人に囲まれ仕事をするあの子は俺と同い年なんだ。

ファンサービスをしている時、少しの間だけ俺の側を離れた陽菜と話す間もなくタクシーに突っ込まれてここまで来た。
お疲れ様、とドアを閉めようとする陽菜に無意識に伸ばした左手に理由を探してる。多分、俺はそれを知ってるんだ。ただ気付かない方が今は俺にとっても陽菜にとってもそれがいいはずだと…それも知ってる。

スマホを掴む自分の左手をまた見つめ、目を細めた。
陽菜がサポートにこんなに全力を注いでくれているのなら応える方法はたった1つしかないんだ。


「中嶋さん」
「ん?」
「知ってる?陽菜、俺が勝つとすげェいい顔して笑うんだよ」 
「ほー」
「ファンのために色紙とサインペン、いつも鞄に入れてるし」
「それは鳴に言われて悔しいからだって言ってたな」
「コーヒーは無糖派」
「だな」
「……中嶋さんが知らないことってないわけ?」
「ははっ!そりゃ俺に聞かれてもな!」
「ま、いいや。これからいくらでも見つけるし」
「あんま困らせんなよー?」
「別にそんなつもりないよ。中嶋さんはさも俺がいっつも陽菜を怒らせてるみてェに言うけど陽菜も大概だからね。俺にあんな言う子、他にいない」
「だといいんだがな」


肩を竦めた中嶋さんが、あぁそうだ、と立ち上がりニッと笑う。


「陽菜が長時間パソコンの前から離れない時はカフェオレ持っててやるといい」


そんな会話をした数日後、陽菜が顔に大きな絆創膏を貼って俺の前に立った。俺があんぐりと口を開けて絶句するのにも構わず淡々と用を済ませようとするけどそうはいくわけねェだろ。


「いった…!」
「!っ……」


なんだよこれ。なんの傷だよ。ぶつけた?そう言おうとしただろ今。

焦って力一杯抵抗してくる陽菜の腕を力づくで抑えつけて頬に貼られた絆創膏を剥がせば陽菜の頬を縦に裂くようにして出来た傷に息を呑み頭の中が真っ白になる。

涙目…あぁ、そっか。俺が無理やり絆創膏を剥がしたから痛かったんだ。いきなり剥がしたら痛いよ…、と眉を下げぎこちなく笑う陽菜にサァ…と血の気が引いていく。


「質問。答え。10秒以内」


ぶつけたわけないだろ、こんな傷。よく見ると赤く腫れてるようにも見えるし明らかに誰かにやられた傷じゃん。
傷の理由を問いただす俺を不安げに俺を見つめ俺のファンにやられたんだと話す陽菜に頭の中ですぐにあの時のことだと繋がった。陽菜が俺の側から黙っていなくなったことなんてない。試合の後、ファンサービスしている最中に…?

ぐしゃりと手の中で絆創膏を握り潰しゴミ箱に投げ入れ陽菜に背を向けて試合前ロッカールームを出る。
……こんなこと、よくある。
俺の望む望まないに関わらず、俺と付き合う子は何かに傷つけられて俺の側からいなくなる。例えばそこに俺の意思が伴わない他者からの評価であるとかに。…あーぁ…今回もそうなるかな。元々俺の側に女の子が就いてんのが可笑しいし。今にカイルから言われるよ、陽菜を俺の専属から外す、ってさ。そしてそういう瞬間ほど孤独に感じる時はないんだ。

けど、そんな俺の憂いなんてクソ喰らえとせせら笑うみたいに陽菜は毅然と言う。


「譲れないものを守るためには嫌われてもいいよ」
「!」


日本の新聞社からのインタビュー。女性記者は日本でプレイしてた頃から俺に色目をあからさまに使ってくるような人で、インタビュー時間もまるでそのために使っているような感覚に吐き気がして鳥肌が立った俺に代わり陽菜が俺の時間をもうあなたなんかに使わないと俺の意思を守ってくれる。

呆気に取られる俺にスマホを何やら操作していた陽菜が気付いて顔を上げ勝ち気にニッと笑った。その顔には俺が剥がした絆創膏がまた貼られていて痛々しいのに、俺の目には強くて格好良く映った。
なんだよ…。泣いたりしねェの?痛い。辛い。嫌われて寂しいとか…そういうの…俺の側にいるときっと山ほどあるよ。なのに目の前にいる同い年の女の子は次の瞬間には、もうカレンダー確認してくれた?、とスケジュールの心配かよ。なんだよ…なんなの、陽菜。

堰き止めてた感情が溢れるだろ。こんなの、どうすりゃいいんだよ。


「…あ、カイル?お疲れ」
《なんだ?また何かやらかしたか》
「またってなんだよ!?」
《お前が気付いてないだけでアイツは動いてるぞ》
「!…アイツって、陽菜のこと?」


数秒間の呼出音の後、電話に出た広報のボスであるカイルは呆れたように溜息をついて、他に誰がいるんだ、と唸るように言った。
そっか。俺って自分で考えていた以上に自分のことでいっぱいいっぱいだったんだな…。で、それでいいんだと肯定するように、気付かないように俺の側にいてくれるあの子に、フハッ!、と笑いが零れる。あーあ!もう完敗!ごまかしたり気付かないふりもおしまい!!


「"俺の"専属広報は優秀だからね!」
《!…ハッ》
「笑い方!!あーもう!こんな事話したくて電話したんじゃないよ。今日受けた新聞社の取材、もう受けねェから」
《なに?》
「俺に必要ないって"俺が"判断した」
《……それをわざわざ伝えるために電話したのか?》
「そうだよ」
《……》
「陽菜のボスなら"分かる"よね」
《チッ》
「舌打ち!!」
《分かった》
「!…そ。ならいいや。じゃ」
《成宮》
「うん?」
《…部下に手を出すなよ》
「!……。あ!ごめん!まだ俺英語よく分かんないから何言ったか分かんなかった!」
《死に腐れ》
「はあ!?」
《分かってんじゃねェか…!》
「あ…。えーっと、じゃ!そういうことでよろしく!お疲れー!」


こっわー!!別にスマホの中からカイルが出てくるわけじゃねェけど通話を一方的に終了したそれを見つめ、ほう、と息をつく。
カイルは基本的に選手至上主義ではあるけど根っこの荒々しさが隠せてなくて怖すぎ…!
あー…手を出したらどうなんのかな?何?一発ぐらい殴られる?父親でもねェのに?怖すぎじゃん…!

ふう…、と深く息をついて目を閉じる。
こっから道のり、長そう…。物理的なやつじゃなくて陽菜との心までの距離。
今は完璧に選手の1人としか思われてないよね、あれ。溜息が漏れるけどそんな俺の頭に浮かぶ勝ち気な陽菜の笑顔に負けてなんてやんねェとふつふつと想いが溢れてくる。


「え?」
「だから、今日時間ある?」
「?…えっと、試合の後はカイルに呼ばれてるけど…」
「ふうん…じゃ行くよ!」
「?…はいはい、いってらっしゃい」


試合前に陽菜を食事に誘う俺にポカンとする陽菜。それを見ていたアンディーはロッカールームを意気揚々と出た俺の肩に腕を回し
のしっと重さを乗せてくる。重い!!先発投手の肩を大事にしろよ!!

ニヤニヤと笑うアンディーに目を細める。


「なんだよ」
「大丈夫か?今の」
「カイルのこと?別にカイルは関係ねェじゃん。親でもなんでもねェし」
「いやいや、そうじゃねェんだよなー?ロイ」
「はあ?」
「だなぁ」
「ちょ、おーもーいー!!投手の肩を大事にしろー!!」


のしっと反対側にはロイがのしかかってきてガァッと文句を言う俺の頭を上からグッと抑えつけてくんの今度は誰だよ!!


「陽菜にゃ、あれじゃ伝わらねェぞ鳴」
「ルイス!!…はあ?飯に誘っただけじゃん。何が……え、まさかだよね。今の、ちゃんとそう伝わったよね?」
「さあなー?」
「な…、言うだけ言って放るなー!!」


まぁ…この後の顛末は言わずもがな、なわけだけど。
綺麗、と俺の瞳を真っ直ぐ見つめふわりと笑う陽菜を傷つけないように、守れるように、慎重に踏み込んだ一歩。
さて、とカフェオレを自販機で買い照明の落とされたオフィスで自分のデスクの明かりだけで仕事をするあの子のところに新しい眼鏡を持って行こうかな。


「陽菜」
「!…成宮くん。お疲れ様」


呼べば俺を見てくれるこの子のことがいつの間にかこんなに好きになっちゃったんだから。



最初の一歩
「またカフェオレ…?」
「なに?文句あんの!?わざわざ俺が買ってきてんのに!?」
「頼んでないけど」
「はあ?だったらこんな時間まで仕事溜めなきゃいいじゃん!残業すれば一人前だと思ってんなら大間違い!!」
「じゃあ言わせてもらいますけど!今日私がこんなに残業してるのはなぜでしょうか!?」
「う"っ…俺がファンの子と喧嘩したから…?」
「当たり。なんで喧嘩なんてしたの?珍しいね」
「……陽菜のことブスッて言った」
「本当のことじゃん」
「!………」
「いたたたっ!な、なんで無言でほっぺた抓ったの!?」
「鈍感すぎてムカつく!!」

ー了ー
2020/12/14

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