アンディーさんは自車で球場に来ていて、行くぞ、とそれに乗せられどこへやら。
カイルさんに電話で許可を得た私に返ってきたのは、責任取れんのか?、という確認だった。責任、という言葉の本当の意味を私はまだアンディーさんをよく知らないから理解していないかもしれない。けれどそんなものは何かが起こってしまえばただの言い訳だしカイルさんが私からほしい答えもそれではないと思った。
はい、と二つ返事で早々に通話を終了した私は今どこへ向かうとも知れない男の人の車に乗り込んでしまっているわけで、実は内心はとても心細い。


「あの…どこに行くんですか?」
「俺の行きつけ」
「…どうして家に帰らないんですか?」
「気になる?」
「なります」
「いやー参った!俺に惚れたか!」
「違います!!」
「分かってるって!んなデカい声出すなよ」


そう言われたって…頭にポンと手を置かれるだけで過剰に反応してビクッとしちゃうんだから余裕なんてない…。

私って、子供だ…。決して男性経験が豊富で慣れてるわけじゃないし正直お酒だって得意じゃない。
走る車の窓から外を眺め複雑な気持ちで溜息をつく。ここ…通ったことがない道だ…。こっちで暮らしてもう5年目。生活習慣や文化の違いに慣れて対応できてるつもりでも、其処彼処で価値観の違いを顕著に感じるし幼く見られて悪い言葉かもしれないけどナメられるのもよくある経験だけど…やっぱり痛い、心が。


「ちょっと前」
「え……っ!」


な…に?
隣で声がしたと思えばアンディーさんの顔は真正面。目を見開き息も止まる私の目を真っ直ぐ見つめてしばらくその距離感から動かないから心臓が跳ね上がり耳の奥で鼓動がうるさい。


「ほいっ、と」
「か、ばん…?」
「そう。陽菜の足元に置いたの忘れてたんだよ」
「そ…そう…ですか」


あ、赤信号だったんだ……。やだ、どうしよう。安堵感が身体に広がると同時に無意識にしてしまった勘違いや警戒心がカァッと身体に熱を上らせてきっと顔が真っ赤になっちゃってる…!
よ、夜だから…!大丈夫…きっとバレない…!ってなんでこのタイミングでギラギラに光ってるビルの横通るのー!?もう…!

ギュッと手を膝の上で握り締めて俯く私の隣で案の定アンディーさんが、はははっ!、と楽しげに笑い声を上げる。


「そんな顔してりゃみんなに可愛がってもらえるだろうになぁ!」
「!…どういう意味ですか?」
「女の子、年下、新人。陽菜に足りないのは可愛げって意味だ」
「っ…男尊女卑じゃないですか?それは」
「まぁそうとも取れるか」


けど、とアンディーさんが続けながら駐車場に入り車を停めてからにやりと私に笑う。


「なら、お前はなにで俺たちに貢献する?」
「!」
「……さーて、行くか」
「っ……」


強く手を握り締めアンディーさんが先に出る車の中から動けない。悔しい…っ、悔しい!どんなに球団の規約に詳しくても選手に広報の立場から接しても確かに私には1番大事な信用がないし、きっと選手からの軽薄な扱いはそれが一因。私が年下で女で、さらに日本人で。信用に値するところはなんにもないって…残酷すぎるほど示されてる。


「で?行くのか?それとも、帰るか?」


助手席のドアがアンディーさんによって開けられて身を屈めた彼が挑戦的な笑みで私の顔を覗き込む。この野郎、と心の中で吐き捨てて彼を見つめ返す。


「もちろん行きます」


ムカついたって悔しくたって、私は彼らの野球が好きだと思う。初めて球場で試合を観た時、勝利に喜び楽しげにする姿を見た時に心が踊った。縁があって彼らの野球を支える仕事に就けたんだから諦めたりするもんか…!

どうぞ、と恭しく手を差し出されたけれどその手には掴まらず車から出るとアンディーさんは面白そうに笑って背中を向けた。絶対に彼に認めさせてやるんだから!


「で、潰されて帰って来たのか」
「面目ありません…」


翌日のカイルさんの低い声がぐわんぐわんと頭に響き手で押さえ眉間に皺を寄せるカイルさんの部屋。報告に来いと朝一で呼び出され、やっちまったのかー?、と同僚から声が上がるそれを聞くのも辛い状況。い、痛い…!歩く自分の足音も痛い!振動も辛い…!


「あんなに飲むだなんて…」
「辛うじて記憶はあるのか」
「意地でも眠りませんでした」
「アンディーは?」
「私より飲んでました」


痛い…!頭を押さえながら話す私にやれやれとばかりに呆れたように目を細めたカイルさんは椅子に座り溜息をついた。


「アンディーの飲み歩きは趣味みたいなもんだ。仕様がない」
「そんな…!あんなに飲んでも全然ご飯を食べないんですよ!?っ…いたた…!」
「それも自己責任だ」
「私は…!」
「……なんだ?」
「いえ…っ、球場に行ってきます」


失礼します、とカイルさんに頭を下げながら奥歯を噛み締める。
頭の中に昨夜のアンディーさんの言葉が浮かんでしまった…。なら私は何ができるのか。何もない私が主張したところで…また笑い飛ばされてしまうに決まってる。

そんな風にして、自分の力不足と主張したい意思の狭間でしばらく悶々と仕事をする日々が過ぎた。
それでもアンディーさんについて回って二日酔いと寝不足を繰り返しながらも何かを掴もうと私なりに必死。どんなにうるさがられても、どんなに笑われても、飲みに行ったバーでアンディーさんの友達に酒を飲めない子供は連れてくるなよと馬鹿にされたって何もできない自分に負けたくない。


「今日は…この、後…」
「オーイ!大丈夫かぁ?」
「だ、大丈夫です!それから…」
「今にも寝そうじゃねェか」


やばい…眠い…っ。今日は練習日で、今は休憩時間。ベンチで休む時間を利用してアンディーさんに予定の確認をしたいのにスケジュールのカレンダーを見るスマホの字が霞んで…っ。かくん、と首も落ちるし…。

パンッ!と破裂音のような音がしてハッとすればアンディーさんが打ち鳴らした手をヒラヒラと振った。サァー…と血の気が引く。


「はい、休憩終わり!またな、陽菜」
「あ!ちょ…!」


やってしまった……。これじゃ貴重な休憩時間の邪魔をしただけ…。

はあぁ…と溜息をついてベンチから出て練習へと向かう選手には冷たい一瞥を投げられてがくりと俯きベンチに座る。
何やってるんだろう…私。
毎晩飲みに行くアンディーさんにくっついて、何か得られたかといえばお酒が飲める場所とお酒の名称、強さ、味を覚えたぐらい。時々お色気ムンムンのお姉さんからアンディーさんを頑張って遠ざけてたらいつの間にかメイクのやり方を教えてもらってたり服装が固すぎると言われたり、確かに世界は広がったけどアンディーさんが毎晩飲み歩かなきゃいけない理由はやっぱり分からない。
基本値は違うから比べようがないけれど、私がこうして寝不足で歩いてても船を漕いじゃうみたいにアンディーさんにも負荷がかかっているはず。

ジッとグラウンドを見ながら次第に瞼が下りて頑張って上げての繰り返し。


「寝ない…!」


寝たくない…っけど、眠い…!昨日…じゃなくて、今日はいつ家に帰ったっけ…?
ブンブン頭を振ると頭痛い…。寝たら、アンディーさんに置いていかれちゃう。
心の中でどんなに強く思っていても脳が眠ろうとするのに抗えず、がくりと頭が落ちぼう…としまいゆっくりと意識が落ちる気持ち良さに身を任せてしまった。

……なに?
誰か、私を呼んでる?


「オイ!起きろ!!」


なんだ…夢じゃん。すぐに分かるよ。だって私は彼にずっと会っていないし彼は私と同じ23歳だから。
夢の中で私の目が開いたのか細切れに入ってくる光と共に目の前の光景が開かれる。怪訝そうにしながらそれでもちょっと心配そうに、大丈夫かよ?、と不器用な優しさをいつも向けてくれた。これは私を送ってくれた時の記憶かな。マネの仕事で疲れて眠ってしまった時の。


「おら、踏ん張れ!根性見せろや。青道野球部のマネだろうが!」


分かってる…分かってるってば、倉持。
私は青道野球部の元マネだもん。根性だけは誰にも負けない。こっちに来て一人ぼっちで寂しくて辛くて悲しくて、戻りたくても戻れない。振り返れば後ろは真っ暗だからひたすら前だけ見て来られたのは…みんなと過ごした記憶が温かくていつでも道を照らしてくれたからだよ。

…でもね。段々声も話し方も表情も、私の補正じゃないと言い切れる自信がなくなってきちゃってる。だから夢に見て目が覚めた時に上手く思い出せない。

目を覚ましたくない時がある。


「おーい、寝ちゃってんのかー?」
「これだからなぁ」
「結局口ばっかか」


意識が浮かび上がると、もう倉持の声は聞こえなくて現実が冷たく心臓を打つ。
どのくらい眠ってしまっていたのかな…。チームの選手が口々に言う嘲笑混じりの声に俯く顔が上げられないし目も開けられない。

っ…負けない。あと3秒…数えたら目を開けて謝ろう。




「あとどれぐらいで辞めるか、賭けるか?」



なにそれ一体いくら?私も噛ませてもらえるのかな、それ。


「俺はもって1週間ってとこだな」



馬鹿じゃない。絶対に辞めてやんない!大金賭ければいいじゃない!?損して泣かせてやるから!


「じゃ、俺も1枚噛ませてくれよ」


アンディーさんの声がして、俯いたまま目を開けたものの顔が上げられない。吸い込んだ息がヒュッと鳴って全身が固まる。

はははっ、と笑う選手たちの声にじわりと涙が浮かびポタポタと落ちる足元が滲んでは晴れてを繰り返し、込み上げる色んな感情がズキズキと喉を絞めるように痛む。


「陽菜は、そうだな。あと5年以上は辞めねェな!!」


今…なんて?

そう思ったのはきっと私だけじゃない。周りの選手たちの間にもざわりと動揺が広がって息の仕方を忘れるほど驚いた私の耳は私に近付く足音を敏感に聞き取って身体がますます固くなる。

ポン、と頭の上に手が乗ってガシガシと乱暴に撫でてくる。頭が揺れて、ポツ…と最後の一滴が目から落ちた。


「俺がこのチームと結んだ契約を一先ず終えるまで、面倒を見てやるからな!」
「なんだ、なんだー?いつも一緒にいて情が移ったか?」
「さあ?どうだかな。ただ、根性だけは認めてるよ」


その言葉に空気が変わったのが分かった。それだけアンディーさんの存在がチームの中で大きいことが分かる。口を噤み反論する人は誰もいなくて、ゆっくりと人の気配がなくなっていく中で未だ俯き顔を上げられない私の隣に、よし、と誰かが座った。


「今日も行くぞ!」
「!っ……は"い"!」


ガシガシとアンディーさんが私の頭を撫でてニカッと笑う。ほんのちょっとだけ近付けた…と思っていいかな?


「でも今日こそは日が変わる前には帰ってもらいます」
「いきなり可愛げなくなったな」



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