■ ■ ■

 華さんは、サボテンが好きだ。出窓に、三個置いている。
 ひとつは丸くて上のほうが赤いもの、ひとつは細長くてトゲが痛いもの、そしてもうひとつは薄っぺらくて僕のように耳があるもの。
 細長いもののトゲがどうして痛いのか知っているのかは、僕が一度触ってしまったからだ。
 柔らかいてのひらに刺さったトゲは、抜けて僕の手に残ったりはしなかったけど、華さんにはばれてしまった。
 僕を抱き上げたときにてのひらを見られてしまったのだ。

「あれ、肉球が赤く腫れてる」

 サボテンに触ったんだね、と言われた。僕は人の言葉を理解できるけど話せないから、黙っていた。
 別に、いやみったらしく、触ったね、と言われたわけじゃない。なんてことないように、ああ、触ったんだ、みたいな感じで言われた。
 それ以来、窓から抜け出すときまたは侵入するときは、なんとなく細長いサボテンを敵視するようになった。なんだよ、お前植物の分際で僕を傷つけやがって、と。
 近所の猫の集会で、いつもやつらは華さんの近況を僕から聞きたがる。僕が彼女の家猫になってからどうも、華さんにごはんのおこぼれをもらいに行きづらいのだ。なぜなら僕は遠くからこの街へやってきたよそ者で、こうして集会に顔を出してほかの猫とふつうに意思疎通ができるようになったのは、最近のことだからだ。
 みんな、よそ者には厳しい。でも、打ち解ければ優しい。
 僕が華さんに「トラ」と呼ばれるのは僕が茶トラの柄だからではない。

「あのいけすかない丸眼鏡は、まだ華の彼氏なの」

 そう、僕に聞くのは、野良歴の長い姐さんのような猫だ。華さんのことをぞんざいに呼び捨てし、僕にも先輩面をする。実際、先輩である。
 みんな、あの華さんの恋人が嫌いだった。彼が特別猫嫌いなわけではない。むしろ僕を愛してやまないふうなそぶりを見せる。けれど、ご近所の猫たちがあの男を嫌いなのには、理由がある。
 僕がここにやってくる少し前、華さんにはあの丸眼鏡ではない別の恋人がいた。猫アレルギーの、煙草を吸う男だった。だから野良に餌付けしている華さんとよくケンカをしていた。
 別にそいつが猫を嫌いだったわけではない。というよりかは、猫自体は好きだったらしい。けれど、だからこそ自分が触れられないものに華さんがたやすく触れて愛でるのを、嫌っている、あるいは羨ましがっているように見えた。

「順調みたい」

 僕は、姐さんにそう返す。僕が見る限り、ふたりはケンカもしないし仲睦まじい。
 だから最初は、みんながあの丸眼鏡の男を嫌う理由が分からなかった。たしかに、僕もあの男の匂いは好きじゃないけれど、空気も読めないけれど、猫を愛しているのだから別にいいだろうと。
 姐さんは、ぐったりとため息をつく。それはあまりにも長く、メスにしては渋くて重たい。
 猫にはちょっと不思議な力がある。それは、ヒトの心の機微について。僕たちは、それらにとても敏い。だから僕にもすぐに分かる。華さんは、恋人といて安心していること。心の底から安堵していること。
 愛していないこと。

「あたしたち猫には、どうしようもないのさ、ヒトのことなんて」

 昔華さんのそばにいた、煙草を吸う猫アレルギーの「トラ」という男は、いつの間にか彼女のもとをあっさりと去った。
 人はつながりを失くしたり、得たりするもので、だから「トラ」と華さんが別れてしまったのは不自然でもなんでもないのではと思っていたりもしたけれど。ご近所の猫たちにとって、「トラ」の喪失による損害は大きかったらしい。
 みんな華さんのことを好きだった。それはもちろん、たかりに行けば煮干しをくれるし、準備のいいときはウェットフードも用意してくれていたからだったけれど。そんな動機でもみんな華さんのことをよく思っていて、こうした集会で僕が除け者にされなかった大きな要因は、僕が「華さんの家の猫」になったからだと言ってもいいくらいだった。
 みんなが語る「トラ」の話を聞くたび、僕はてのひらにちくりと刺さったサボテンの棘を思い出す。
 華さんが僕を寝ぼけまなこで「トラ」と呼ぶとき。たぶん彼女は僕を呼んでいるのではないのだった。


20150816
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