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 時間、ってやつはけっこう厄介だ。楽しいとあっという間なのに、つまらないときはあの秒針とかいうやつちっとも動かない。
 華さんの部屋のサボテンが赤い花を咲かせた。名前は知らないけれど、サボテンって、花を咲かせるのだと僕は初めて知った。なんとなく敵視していたあいつらも、なるほど咲けば可愛いものである。
 でも華さんはちっともうれしそうじゃないのであった。
 初夏の陽気。特別暑くもなく寒くもないこの時期、僕は日なたになるソファの上を陣取って尻尾をゆらゆらさせながらあくびをしている。
 となりに座る華さんは、ずっとパソコンをいじっている。かたかた、と、かちかち、がずっと響いている。
 何をしているのかは分からない。でも、顔がうんざりしているから、きっといいことはしていない。仕事かな。
 画面を見ると、どうも、洋服を見ているようだ。それも、普段華さんが着ているような淡いピンク色のニットやグレーのパンツじゃなくて、きらびやかなドレス。どこかパーティにでも行くような雰囲気のそれに、僕は少し興味をそそられて首を伸ばして画面に見入る。
 文字は読めないけれど、華さんはパーティに行くんだろうか。
 こんなにきれいなドレスが画面に所狭しと並んでいるのに、華さんは憂鬱で陰湿なため息をついている。せっかくの土曜の午後が台無し。

「ねえ、トラ」

 不意に話しかけられて、背中を撫でられる。とりあえず返事の代わりに背筋を伸ばしてみると、華さんは僕のほうを見ないまま背中を撫でくりながら、呟いた。

「お祝い事はお金がかかるね」

 お祝い事はお金がかかる。
 不意にあおちゃんの顔が浮かんだ。あおちゃんは、たくさん生まれた子猫のうちから、貰い手がつかずに捨てられた。こどもが生まれるということはお祝い事のような気がするが、あおちゃんを飼うお金の余裕がなかったから彼は捨てられたのだ。たしかに、お祝い事にはお金がかかる。
 神妙に頷くと、でもそれを見ちゃいない華さんは独り言のようにぶつぶつぼやく。

「ミホコも今度結婚するらしいの。こうも続くとご祝儀のせいで生活が立ち行かなくなりそう」

 ほう、華さんの友達が次々に結婚していくらしい。
 すると、パーティというのはいわゆる結婚式のことだろうか。ゴシュウギというのが何かは分からないが、それにもお金がかかるのだ。
 パーティにお金が必要なのはなんとなく分かる。なるほど、お祝い事はお金がかかるのね。

「……わたし、行き遅れてるんだなあ……」

 どこに?

「ああ、やだなあ。また親に小言言われちゃう」

 なんで?

「お前はいつ結婚するんだ〜、いい人いないのか〜」

 華さんが口調をおじさんみたいなそれに変えて僕の頬をうりうりと両手で包んだ。ひげにさわるなよ、これは大事な神経が通った、大事な……。

「女ばっかり早く結婚しろとか、こどもを産めとか。不公平」

 結婚という概念が僕にはよく分からない。野良猫にはつがいというしきたりがないのだ。飼い猫は知らない。
 こどもを産んだらそこでおしまい。僕たちは恋愛とか、そういう小難しい面倒なことは後回しでとりあえずこの偉大な猫という種を後世に引き継ぐことを望んでいるのだ。

「特にお父さんがうるさいの。アミちゃんが結婚したからかな? お前はまだ? って」

 アミちゃんって誰だろう。華さんのお友達かな。
 華さんのお父さんが、華さんの結婚に関してとてもうるさいらしいことをひとしきり愚痴り、華さんはドレスの選別に戻った。

「……わたしだって、結婚したいよ」

 ぽつりと呟いた華さんの頭の中で、彼女は真っ白なウエディングドレスを着ている。そのとなりに誰が立ってほほえんでいるのか、僕は知らない。


20160903
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