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 季節がめぐるのって、たぶん変化とは少し違う。四季の移ろいって変わらないことのあらわれなんだって、僕は最近そう思うんだ。
 だって春の次に突然冬がやってきたらおかしいけれど、ちゃんと、春の次には夏がきて、その次に秋は訪れてそして寒くなる。それは厳密に言えばきっと、変化、じゃない。

「哲学だな」
「テツガク?」
「おまえにはまだ早い」

 あおちゃんが、いかにもなしかめっ面をつくってそう言う。降りそそぐ桜の花びらを捕まえようと、えいえいっと手を動かして。しかめっ面なのは、それらがひとひらも掴めないからなのかもしれなかった。
 姐さんが死んだ。それはそれは静かな眠りにつくような、終わる、そんな言葉がしっくりくる、姐さんにとてもふさわしい最期だった。誰も気づかないうちに、すっかり冷たくなってしまった姐さんを、華さんは少し抱いてそれから大家さんの了承を得てアパートの裏庭に埋めた。
 墓標、というやつを華さんはそこに立てた。その場所に誰が眠っているのかきちんと分かるようにするという、看板のようなものだった。ローマ字で、アール・アイ・ピイ・ミミコ、って書いてあるらしい。あおちゃんはローマ字が読めるんだってさ。

「ミミコって?」
「華は姐さんをそう呼んでたんだ」
「へえ。知らなかった。アール……アイ、ピイっていうのは?」
「なんかたぶん、ミミコ、ここに眠る! みたいな意味じゃないの。知らん」

 そうか。姐さんは眠っているのだ。
 奇妙な納得だ。姐さんは死んでいるわけではないのだ。たとえその身地面と一緒くたになってとろけようとも、骨も残らずとも。姐さんは眠っているのだ。
 これが誰かほかのヒトが弔えば、きっと姐さんは死んでしまったと僕はそれはそれで納得していただろう。けれどアール・アイ・ピイを書いたのが華さんだったから。

「なあトラ、四十九日って知ってるか」
「知らない」
「おまえは何にも知らないな!」

 馬鹿にしたように鼻で笑うあおちゃんに、今更盾突いたって仕方がないので、素直に四十九日の教えを乞うことにする。

「ヒトは死ぬと、四十九日かけて仏さんとこに行くらしいよ」
「そんなにかかるの?」
「なんたって、仏さんがいるのは遠い遠いお山の上だからな、時間がかかるんだよ」
「それで、仏さんのところに行ったら、どうなるの?」

 途端にあおちゃんが押し黙る。あおちゃんの知識は中途半端だ。
 考えているあおちゃんに、もういいや、となって、今度は僕が桜の花びらを捕まえることに躍起になる。
 これがなかなか捕まえられない。地面に落ちたやつを踏みつけるのが精一杯だ。
 ほのかに色づいた雪のように降りしきる花びらは、穏やかな春の風に運ばれてきらきらと光っている。

「……知らないけどさ」

 あおちゃんが、僕と同じように地面に吸い込まれるように落ちた花びらを踏んづけながら言う。

「きっと、ひとりぼっちじゃなくなるってことなんじゃないの、四十九日って」
「……」

 僕らはひとりぼっちなのだ。
 となりにあおちゃんがいようとも、姐さんがたくさんの猫に慕われていようとも、華さんのとなりを「トラ」が容易く離れていったように、いつでも僕らはひとりぼっちになる準備ができている。
 準備ができているということはつまり、最初からひとりぼっちみたいなものだ。

「仏さん、友達になってくれるかな」
「分からん」

 遠い遠いお山の上に、今姐さんは登っていくまさにその途中だ。
 僕らはおしなべて生まれたときから死ぬまでひとりぼっち。でも、そのあとはひとりじゃない。
 墓標の下で寝こける姐さんは、もうさびしくはないのだろうか。


20160807
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