■ ■ ■

 「トラ」の好物は華さんがつくったオムライスだった、と思う。華さんは料理がそこまでずば抜けて上手なわけではなくて、むしろ「トラ」には「華さんの料理はさ、愛情がこもっているのは分かるけど、味つけがちょっと奇抜すぎるよね」と言われていたくらいだ。
 奇抜な味つけとは、さてはて。僕はヒトの使う調味料の味を知りもしないので、塩と砂糖の見分けもつかないし、赤いケチャップとやらと白いマヨネーズとやらの違いも知らない。なので華さんが料理をしているのを眺めても、何が奇抜なのかは分からない。ただ、匂いが、猫の僕からすれば少々からそうだな、っていうのは分かる。
 そんなこんなで、遠回しに華さんの料理を「美味しくない」と言っていた「トラ」が唯一褒めちぎる料理があった。それがオムライスだ。
 小さな中華鍋でケチャップライスをつくって、それを卵でくるむ料理。華さんは料理は見た目にこだわっているようだから、ライスをまあるく皿によそえる中華鍋を選んだようだ。やり方は簡単。中華鍋の底のほうにライスを集め、そこに鍋のふちより小さい皿をかぶせて、鍋をひっくり返す。それだけ。そうすると、まあるいライスが出てきて、ほほう、となるのである。
 そして、その中華鍋で引き続き卵を加熱する。それについては、びっくりするくらい素早く。スクランブルエッグ、というのだっけ、そんなようなものをつくって、ケチャップライスにお布団のように滑らせて掛けるのだ。
 そして、その上にケチャップのチューブでハートマークを描いて完成。

「卵にチーズ入ってる、めっちゃ美味しい」
「ふふふ、お母さんの直伝だよ」

 いつも食事の際は箸が進まない「トラ」も、スプーンに持ち替えたせいなのかオムライスのときだけは素早く食べてしまう。
 それにしてもあのきれいなまあるいライス、僕もちょっと食べてみたいよな。あんなにきれいなんだもの。
 
「俺、このオムライスだったらずっと食べていたいなあ」

 華さんはもう、オムライスをつくらない。
 一人暮らしで、あまり手間をかける料理をつくらないのも理由のひとつかもしれないけれど、たぶん一番大きな原因はやっぱり、「トラ」、なんだろうな。
 華さんが仕事でいない日中、テレビをつける。馬鹿にするなよ、テレビのつけかたくらい知っている。消し方知らないけれど。
 ぱっと画面が明るくなって、テレビ番組が映し出される。芸能人が、美味しそうな料理に舌鼓を打っている。と思ったら、どうやら自分たちでつくった料理を食べているようだ。
 奇しくも、オムライスをつくっている。有名なシェフらしい人の指導を受けて、芸能人がふわふわの卵に挑戦している。華さんの、薄焼き玉子でくるむのとは違って、どうやらオムレツをつくってライスの上に乗っけて、それから崩すらしい。
 まずはシェフがつくったオムレツにナイフを当てる。すっと薄皮が切れて、広げるととろりと美味しそうな半熟の断面が出てきた。これを、この芸能人たちは習得したいらしい。
 僕も、あまりの美味しそうな光景に思わず目が釘付けになっていたが、ふと思い直す。
 僕がこれを見ても実践できるわけじゃない。華さんに実践してもらおうにも、僕はメモが取れないし伝言も伝えられない。まったくもって無意味じゃないか、ヒトが美味しそうに食べているところを見るだけ、なんて。
 仮に僕が、オムライスを食べられるヒトだったとしても、華さんはもうオムライスをつくらないのだから、無意味じゃないか。
 つまらなくなってしまって、テレビをそのままに昼寝を決め込む。ソファの上でうつらうつら、冬の太陽はあったかいぞ。
 次に僕が目を覚ましたのは、夕方の、それもけっこうな時間だった。もう家の外は暗闇で、部屋もテレビの明かり以外は暗い。
 テレビになんとなく目をやると、そこには意外な人物が映っていた。
 取材をしている記者の質問に関して、歩きながらのんきに答えている男に、目が釘付けになる。夕方のニュースの、ドキュメンタリーのようだ。詳しいことは寝ていたので分からないが、ひとつだけ分かる。
 目の前の薄い箱の中ではにかみながら、「英語覚えるのどれくらいかかりました?」、なんて聞かれている男が「トラ」だってこと。


20160611
prev | list | next