金を払い首輪の鍵を受け取って、支配人が金を数え終えるのと同時に会場をあとにする。場外に馬車が横付けされていて、俺はミーアを馬車の中に押し込んだ。
 馬車の中で、ミーアは一言も話さなかった。少し警戒しているようだった。

「はじめまして、ごしゅじんさま」

 屋敷について寝室に連れて行き、ベッドに座らせて首輪を外してやると、ミーアが幼い口調で喋り出した。おそらく、鍵を外されるまでは主人だと認識しないようになっているのだろう。

「はじめましてではないよ、ミーア」
「みーあってなんですか?」
「君の名前だ」
「なまえ?」
「そう、これから君は、ミーアとして生きていくんだ」
「みーあ」
「気に入らないなら、ほかに考えるが」
「ごしゅじんさまがいいなら、いいです」

 分かっていたことだった。ミーアが俺のことをこれっぽっちも覚えていないことなど、何度もヘンリーに聞いて知っていた。それでも、直面するとその事実が俺の心を鋭利な棘が突き刺した。

「俺のことを、思い出さないか?」
「わたしはおもいでありません」
「まずは言葉を勉強しよう。俺が、教えてあげる」
「ありがとうございます」

 ミーアが深々と頭を下げて、猫の耳をぴくぴくと動かした。緊張している証拠だ。そんな細かい所作は変わらないのに、俺のことはすべて忘れてしまったと言うのか。

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