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「りっくん見っけた〜」
「あ、おはよう」

 とことこと、背後からローファーの靴音がして、僕のフリーだった左手が奪われると同時に顔を覗き込まれた。
 きりっと凛々しいツリ目が僕をじっと見つめ、にっこりと笑う。

「珍しいね、りっくん遅刻ぎりぎり」
「うん……ちょっと朝ハプニングが……」
「ハプニング?」

 きょとんとして、すずが首を傾げ僕の話の続きを促す。苦笑いして今朝がたあった出来事を話し出す。

「起きて、コーヒーを飲もうとして砂糖に手を伸ばしたら、手を引っかけてマグカップを割っちゃったんだよね」
「……」
「それで、まあちょっとごたついて、こんな時間に」

 僕としては自然な解説だったと思ったけれど、すずは眉を寄せて不思議そうな顔をしている。

「どうしたの?」
「コップ割れて、遅刻するほど後始末に時間かかるの?」
「……」

 すずの指摘はもっともだ。ふつうコップの後片付けにそんなに時間を取られるものじゃない。けれど僕は、割ってしまってからいらない紙袋にコップの残骸を引き上げるのに、一時間かかった。

「ショックで……」
「しょっく?」
「あのマグカップは、小学生の時からずっと使ってて、愛着があるどころの話じゃなくて」
「……あー?」

 曖昧な相槌を打つすずはたぶん、僕がどれだけあのコップに入れ込んでいたか理解できていない。
 と言うか、自分でもこんなにショックが大きいとは思ってもいなかったので、それは他人からすれば当たり前の感情だ。
 あのコップは、父さんが僕にくれた、最初で最後の贈り物だったから。
 別に形見じゃないし隔月くらいの割合で会ってるし、そういうのが悲しいと言うわけではないと思う。でも、あれをもらった時の僕はすごくうれしくて、そして確か、子供に与えるにはあまりにもいい食器メーカーのコップだったはずなんだ。

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