となりのごはん


 起きて、顔を洗ってコンタクトレンズをつける。それからキッチンに向かう。今日の朝は、砂糖を多めに使ったプレーンオムレツと、温野菜の付け合わせ。そうしないと、渉くんはお野菜食べないから。
 お野菜を茹でていると、渉くんがのそのそと起きてきた。意外と寝起きはよろしい人だ。むしろ私のほうが寝汚い。
「おはよ……」
「おはよう。顔洗ってきたら?」
「うん」
 素直に洗面所へ向かう渉くんの背中を見届けて、卵と砂糖と溶かしバターをかき混ぜて、温めたフライパンの上に流す。料理人みたいにうまいことひっくり返せたらいいんだけど、私には腕力が足りないので、縁を使ってころころと転がすように丸めるくらいが限界だ。でも、ちゃんと上手にできる。練習したから。
 わざわざ砂糖を多めにするのも、ひっくり返し方を一生懸命練習したのも、全部全部渉くんのためだから。って、たぶん本人には微塵も伝わってないんだろうな。別に、いいけど。伝えたところで何か変わるわけじゃないし、変わったとしても、それは私の望むものじゃ、きっとない。
「オムレツ……」
「もうすぐできるから。お皿準備して」
「ほいほい」
 いつのまにか洗顔を終えた渉くんがとなりに立っていた。カチャカチャと皿を引っ張り出す渉くんの寝癖を発見して、少し笑う。
 ほんの少し前まで、こんな日がくるって想像もしてなかった。
 好きになってほしいとか、私の気持ちを分かってほしいとか、そんなことを思いながらほんとうは、伝えたら、そこで終わりって、なんとなく思っていたのかもしれない。付き合ったらこんなことをして、あんなところに行って、とか、全然考えてなかった。
 だから、今こうして、一緒に眠って一緒に起きて、一緒に朝ごはんを食べているっていうのが、ちょっとまだ信じられないのだ。
「未央?」
「あ、うん」
「焦げてるぞ」
「えっ、嘘」
 焦げて、とまではいかないけど、ちょっとぼうっとしているうちに、濃い焼き目がついてしまった。しまった。黄色いきれいなオムレツにするはずだったのに。しょんぼりしてそれを皿に盛って、もう一つつくる。こっちはうまくいった。
「ごめん、こっち私が食べる」
「え、なんで?」
 皿をテーブルに運んだ渉くんが、きょとんとした顔で私を見た。
 ほんと女心分かってないなこいつ。
「焦がしちゃったから」
「別に、言うほど焦げてないし」
 言ったそばから、食べだしてしまう。渉くんには、きれいにできたほうを食べてほしかったとか、そういう女心、ほんとに分かってない。自分のきれいなオムレツを見る。なんだか憎らしい。
「めっちゃ美味い」
 にこにこ笑ってそんなこと言うから、文句も引っ込んでしまう。
「未央のオムレツって、なんかすげー甘くて、美味いんだよな」
「誰と比べてるのかな? ん?」
「いや、別に誰とかってわけじゃ……」
 しどろもどろになった渉くんが嘘をつけないタイプなのは知っているので、なんとなく、昔の女の影が見えて嫌になる。
 でも、そんなどろどろした感情も、すぐに吹き飛ぶ。
「この甘さがさー、すげー俺好みで、なんか食ってると幸せだなーって思うんだよね」
「……」
 渉くんは、なんで目の前のオムレツが自分好みの味をしているのか、知らない。でも、それでいいのだ。
 温野菜を口に運びながら、渉くんが思い出したように呟く。
「そういえば、未央今日バイトは?」
「ないよ」
「そっか。じゃあ、夜空いてる?」
「え?」
「今日、たぶん定時で帰れるから、晩飯どっかで食ってこうよ」
「……」
 オムレツでご機嫌になった渉くんからの、デートのお誘い。私はちょっとうつむいて、首を横に振った。
「なんで?」
「夜、待ち合わせしてさ」
「うん」
「スーパー寄って渉くんの好きなものの材料買って帰ろう。そしたら、私が晩ごはんつくる」
「……それじゃいつもと同じじゃね?」
「いいよ、いつもと同じで」
 渉くんが、例えばスムーズにお店を選ぶところとか、例えば颯爽とお財布出してごはん奢ってくれるところとか、見たくないと思うのは、自分勝手かな。でも、そんな場面を見るくらいなら、いつもみたいに靴を脱ぎ散らかしてスーツをソファに投げ出して、私がそれを叱りながらごはんをつくって、二人で食べるほうがずっといい。
「同じじゃ駄目!」
「どうして?」
「いや、そりゃ、たまにはデートらしきものをしてあげたいという男心が……」
「は? 何? 声小さくて聞こえないんだけど」
「いや、なんでもないです……」
「じゃあ、スーパーでいい?」
「いいです……」
 なんか不満そうだけど、そのふくれっ面は、オムレツを口に運んだ途端に笑顔に変わる。そういう単純なところも、好きだよ。言えないけど。
 デートらしきもの、とか。そういう、ほかの女にしてたことなんか、私にしなくていいから。ずっと私のごはん食べて美味しいって笑って。
 それが、たったひとつの願いだから。


 END

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