XXX 1


 未央はまだ眠っている。頬にある涙の跡が痛々しい。
 幸い、血は出なかったものの、未央は痛いを連発して、コトのあと気絶するように眠りに落ちた。
 額にかかる髪の毛をすくってやると、パリ、と小さく手紙ののりを剥がすような音がする。汗のせいだ。長い髪の毛をゆっくりすく。茶色に染まったそれは、手触りがよかった。俺は未央を起こさないようにゆっくりベッドから降りて、パンツをはいてスウェットを着る。それから、キッチンに立った。
 コーヒーでも淹れるか。インスタントだけど。ついでにスクランブルエッグでもつくっとくか。ほんとうなら玉子焼きでもいいんだけど、俺の腕じゃどうしてかスクランブルエッグになる。
 ダイニングテーブルに、コーヒーとスクランブルエッグを置いて、寝室に戻る。静かにドアを開けて中に入ると、未央が目をぱちぱちとしばたたかせていた。
「あ、起きたか?」
「……おはよう……」
「オハヨ」
 ふあ、とあくびをして、未央が上半身を起こす。そして自分が裸であることに気づき、慌てて毛布を身体に巻きつけた。
「腰、大丈夫か?」
「ちょっと痛い……でも、平気」
「一応朝飯つくったんだけど、歩ける?」
「うん。……服着たいから、出てってくれない?」
「……? 昨日散々見たじゃん」
「それとこれとは違うの! 渉くん全然分かってないよ、馬鹿!」
 何が分かってないのか、よく分からない。昨日隅々まで見たんだから、いいじゃないか。ぶつぶつとぼやくと、死ね、という暴言つきで枕を投げられた。そば殻だから微妙に痛い。しかたない、よく分からないが、退散するとしよう。
 コーヒーを飲みながらしばらく待っていると、下半身を気にしながら、俺のスウェットを着た未央がやってきた。
「痛い?」
「ちょっと、違和感……」
「痛くはない?」
「もう、渉くんデリカシーない!」
「え、なんで」
「……この、ボケ!」
 訳も分からず罵られ、俺は首を傾げる。未央ちゃんは口を尖らせて俺の向かい側に座り、コーヒーを飲む。少し乱れた髪の毛を指ですく動作がまた可愛らしい。
「……何笑ってるの」
「何も」
「気色悪い」
「……」
 深い関係になっても、未央の毒舌は変わらない。まあ、慣れているから気にしないが。
 コーヒーを飲んでスクランブルエッグを食べた未央が、顔を洗いに席を立った。そして、しばらくして、洗面所からカエルを踏み潰したような情けない声が聞こえた。

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