捻じ曲が理論 2


 ◆M

『今日は飯食ってくるから、遅くなるわ』
 電話口で、渉くんが申し訳なさそうな声を出す。
 もちろん、フリだ。この電話が切れた瞬間奴は間違いなく、小躍りしながら電話の向こうで聞こえる「田賀さぁん、誰に電話してるのぉ」と不必要に語尾を伸ばす馬鹿女の元へデレデレと、鼻の下伸ばしながら向かうだろう。
 伊達に二十年近く付き合ってきたわけではない。渉くんの行動パターンなんか全てお見通しだ。
 せっかく作ったホワイトシチューを横目に、相手に聞かせる用のおおげさな溜め息をつく。
「……どーせ合コンでしょ」
「あ、バレちった? いやぁ、うちの会社ってば給料いいから、名前出したら集まる集まる」
さっきまでの申し訳なさそうな演技はどこいった、と問いたくなるこの変わり身のはやさ。
「……せっかくホワイトシチュー作ったのに……」
「え、ごめんなー……明日朝食うよ」
「うふっ、無理しなくていいよ死ね淫乱尻軽う○こ」
「女の子がう○こなんか言っちゃいけませんっ!」
 全くどこで育て方間違えたんだか……とぼやく渉くんに、テメェに育てられた覚えはねぇよ、と吐き捨て電話を切る。
 静かになった、渉くんの部屋のキッチン。くつくつと美味しそうに煮えるシチュー。男は胃袋を掴め、とよく聞くが、渉くんにそれは全く効果がないように感じる。
 どんなに美味しいシチューの作り方を研究したって、どんなに彼の母親の味に近づけたところで、横に厚化粧したちょっとかわいくてスタイルのいい馬鹿女がいたら、彼は迷わず後者を選ぶのだから。
 ひとりで、湯気の立ち上ぼるシチューを食べる。
 テレビをつける気にもなれなくて、スプーンと皿のこすれ合う音と、私の呼吸の音しか響かない。
 人のために作ったご飯をひとりで食べることほどむなしいことはないな、と思った。渉くんが好きだと言うから、わざわざじゃがいもを大きめに切ったのに。――私は、すりつぶしてシチューの中に溶かしてしまうのが好きなのに。
 今ごろ馬鹿女とやんややんや騒ぎ飲んでるだろう渉くんを想像すると悔しくなって、なんの罪もないじゃがいもにスプーンを振り下ろす。
 真ん中でまっぷたつに割れて湯気を上げたそれは、今の私みたいだ。せっかくここにいるのに、まるで意義のない存在。
 渉くんは、渉くんの給料とか学歴とか、見ようによってはイケメンに見えなくもないかもしれないさっぱりとした印象の薄い塩っぽい顔立ちとか、そんなところしか見ないような女が、どうしていいのだろう。
 もしかしなくても女を見る目がないのだろうか。
 私なら、たとえ渉くんが中卒のフリーターで今以上にブサイクで冴えない男だったとしても、絶対好きでいられる自信があるのに。
 ぐりぐりと潰したじゃがいもは、シチューに溶け込んで原形をなくしていた。

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