今夜の冷蔵庫 2


 地元の駅中のコンビニで傘を買って帰ろうと決意しながら、満員電車に乗り込む。瞬間、雨のじめじめにプラスしておっさんたちの汗に襲われる。最悪。
 とりあえず標準よりも少し背が高いことに感謝した。女の子や背の低い男のように、おっさんの煙草や体臭の染み付いたスーツに顔を埋める羽目にはならない。
 こんな電車じゃ、女の子は大変だろうな。こんなんじゃ痴漢もやりたい放題じゃないだろうか。いや、こんな中じゃ痴漢する気力もないか。
 と、思っていたら。
「……ッや」
「……?」
 手前の女の子の短い悲鳴と一緒に、俺の左手が持ち上げられた。
「この人痴漢です!」
 ……え。俺?

 ◆

「ごめん! ほんっとにごめんね!」
「いや、もういいよ……」
 隣で、平謝りしているこの女子大生。
 畠山未央ちゃん。俺の幼馴染みということにでもなるのだろうか。俺の実家の隣の家に住んでいた、八つも年齢の違う少女だ。――俺が四月生まれで彼女は三月生まれなので、実質九つ離れていると言ってもよいだろうが。
 俺が大学進学とともに東京に出てきてからは、実家に帰ったときにたまに会うくらいだったが、今年の春からこっちの大学に通うために、俺の住んでるマンションの近くのアパートに引っ越してきて、また頻繁に顔を合わせるようになった。
「ほんっとごめんね? おしりのとこでもぞもぞしてる手を持ち上げたつもりだったんだけど……まさか渉くんだったなんて……」
「……一応言っとくけど、俺は触ってねぇぞ」
「あ、そういう意味じゃなく……マジでごめん」
 痴漢です! と言って俺の手を掴んだのは、この子。
 掴んだ手が俺のだと気付いたと同時に、目を見開いて、周囲をぐるりと見回して、えへへと笑い。
「……勘違いでした」
 と、一言。
 周囲に一瞬でも悪漢を見るように蔑んだ視線を向けられたことがこの上なく悲しい。悪いことは重なるんだというジンクスを信じるしかない、散々な聖夜になってしまった。
「あっ、渉くん傘持ってないじゃん。入ってく?」
「……」
 なんだかもう悲しくなって黙りこくってしまった俺におどおどし始めた未央ちゃんが、しめたとばかりに俺の顔色をうかがう。
 広げられた傘は、ピンクの花柄で、とてもじゃないけど恥ずかしくて入れない。
「……いや、買ってこうと思ってたところで」
「いや! 渉くんどうせ家に三本くらいビニ傘あるんでしょ? もったいないよ、捨てるのも買うのも!」
 くそっ、なぜ知っている。俺の家には、こうして不意の雨に降られて購入した傘が五本くらいある。そして、もったいない、そうは言っているものの申し訳のなさそうな顔を隠しきれていない未央ちゃんの手から、傘を取って開く。
「ほい。帰るか」
「……うん!」
 ほっとした顔で、傘に入る未央ちゃん。……まあ、たまにはこんな厄日があってもいいだろう。いいことがあった日には、幸せをより強く感じられるだろうから。あ〜、俺ってポジティブシンキング〜。

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