3

「ど、はドーナツのど。れ、はレモンのれ」

 寝返りを打つ。

「み、はミカンのみ。ふぁ、はファンタのふぁ」

 再び寝返りを打つ。

「そ、はおそうめん。ら、はラフランス」

 ぎゅっと目を閉じる。

「し、は……し、はしらすぼし」

 毛布を頭からかぶる。

「さあ、ご飯だよ!」
「だああ! うるせえ!」

 我慢できずにがばっと起き上がって女に向かって怒鳴る。一人なのになんで静かじゃないんだよ、というか途中から歌詞全部間違ってんだよ、食い物ばっかじゃねえかふざけやがって。そんな思いをこめて怒鳴った。
 しかし、女はミキの予想とはずいぶん違う反応をした。

「……人、いたんだ」
「……」

 気づいてなかったのか……ミキは呆然とする。それ以前に、ミキの強面に怒鳴られて平然としているのが驚きである。女は、膝の怪我に絆創膏を取り出しながら、ミキを数秒じっと見て、再びミキなどいないかのように振舞いはじめた。歌がはじまる。今度は、線路は続くよどこまでもを歌いはじめた。

「おい」
「野を越え山越え」
「おい!」
「はい?」

 女が顔を上げて、そのくるっと丸い瞳でミキを見つめた。
 ミキは思わず、どきっとした。あまりふつうの女にこうしてじっと見つめられるという経験をしたことがないのだ。何せ、自分は顔が怖いと自覚しているし、この高校でも皆目を合わせないように俯いてすれ違うから、それに慣れていたのだ。

「お前、ちょっと来い」
「ん?」

 女が、なんの警戒心も抱かずミキのほうへやってきた。風にさらさらとなびく黒いロングへアに、丸い犬のような瞳、顔は、何と言うか特筆すべき点がない平凡なものだが、どこか清楚な空気をかもし出している。

「お前名前」
「坂本青子」

 そんだけ? とでも言いたげな顔で、女は答え、くるりとミキに背を向けた。黒髪がきらりとなびく。そのまま、女は歌いながら保健室を出て行った。まるで魂が抜けたかのようにぼうっとしているミキを残して。

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