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 はは、と面白そうに笑う春菜は、その出来事をもう昔のこととして消化してしまっているかのようだ。

「青子にどこまで聞いてる、うちの母親のこと」
「……青子を迎えに行って、そのとき事故で、って」
「うんそう。要約するとそうだね。人間って、弱いよねえ」

 あっけらかんと言う。春菜は、タバコがほしいと思ってポケットをまさぐるが、とうの昔に禁煙していたことを思い出した。

「そのとき初めて後悔した」
「……」

 春菜の足元に、ぽつりと水が落ちた。雨か、とミキが上を見るが、そうでもない。そっと春菜の顔を見ると、泣いていた。

「あたし、なんも親孝行してやれなかったんだ」

 震える声で、春菜が絞り出すように呟く。

「葬式でさ、一滴も涙流せなかった。青子も、あの時六歳だったかな、意味分かってなかったみたいで、姉妹そろってぼーっとしてたのね。あの時の親戚の冷めた目は忘れらんないわ。何せ、外見からもろに不良娘だったからね」

 想像に難くない。当時の春菜がどんないでたちだったかまでは知らないが、素行の悪さはきっと、親戚の間で有名だったのだろう。

「すっごく居心地悪かったの。そしたらさ、となりにいた青子がね、あたしの手を握ったの」
「……」
「お姉ちゃんと遊ぶの、久しぶり、って言って笑ったんだよ、母親の葬式で」

 馬鹿じゃん、と笑う春菜の瞳に、もう涙はなかった。

「その時、青子の笑顔見て、思ったんだ。これからはこの子をあたしが守ってやんなきゃって」
「……」
「それが残されたあたしにできる唯一の親孝行なんだって思った」

 春菜は、ほんの一粒涙を流しただけで、それももうすでに拭ってしまって頬も乾いているが、目は潤んでいた。

「葬式行ったその足でレディースの集会所行って、辞めさしてもらいますって」
「……レディースって」
「そう。あたしがいたところは、卒業以外で抜けるときは、制裁リンチ。死にかけたー」
「……」
「なんて、笑ってできる昔話じゃないよ。一生の汚点になるし、過去はいつまでも付きまとう」
「……」

 真剣な顔をした春菜が、ぎゅっと両手を絡ませた。

「働くってなったときも苦労したからね。今でこそ立派にOLやってるけど、最初はアルバイトすら満足にできなかった。もし、あのマンションが賃貸だったら、今あたしと青子ホームレスだわ」

 そして、ひと口コーヒーを飲み、ため息をつく。それから不意に物憂げな視線をミキに向けた。

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