かわいい逢瀬


 例年以上の高い気温が続く今年の夏、織はデートがしたいと言いながらも窓から見える太陽に焼かれる街を見て、ため息をついている。

「こんなの、ずるいわ」

 唇を尖らせて、ソファに座っている俺に視線を向け、ごめんね、と言う。

「いや、しかたない……不要不急の外出は避けろってテレビが言うくらいだし、しかたないよ」
「でも、琥太郎はお部屋で過ごすよりデートがしたいって言った……」
「言ってない」

 一言も言ってない。織がものすごく拡大解釈して、お互いのことを知るためにはデートもしなくちゃね、と言い出しただけである。俺自身はデートしたいなんて一言も言ってない。
 熱くなっていると思われる窓に両手をついて、恨めしげにいつまでも街を眺めている織に、声をかける。

「別に、デートしないで部屋にいるってのが、イコールでセックスするになるわけじゃないだろ」
「そうだけど……」

 尖らせた唇からぷしゅうと息を吹き出し、ようやく諦めたように俺のそばまでやってきて、となりに座ってしなだれかかってくる。
 今日、ほんとうなら動物園に行くはずだった。でも、冷静に考えてこの気温の中屋外を歩き続けるのは危険だな、と俺は待ち合わせ場所に向かう途中で思ったわけである。なので、織に連絡して予定を中止し、せっかく外に出たのでもったいないということで織の住むスイートまでやってきた。

「そんなに動物園行きたかったの」
「行きたかった! あたしオカピって見たことないのよ!」
「オカピ……ってなんだっけ」

 織が一生懸命、オカピという動物について説明している。そんなに見たかったのか。なんでも、シマウマっぽい姿をしたキリンらしい。何を言っているんだかよく分からない。

「待って、画像見る」

 スマホでオカピを画像検索しようとしたところ、織が止めた。

「待って、涼しくなったら一緒に見に行こう、それまでは我慢して!」
「……織」

 真剣な顔で俺に縋りつく織に、思わず言葉が漏れる。

「おまえかわいいとこあるな」
「えっ」

 なんとなく心に刺さるものがあって、かわいいと、普段は思うだけで言わないのに、つい口に出してしまった。言ってから、恥ずかしくなって視線を逸らす。
 ちらりと視線を戻すと、なんてことない顔をしていると思った織は、その丸い頬を真っ赤にして目を見開いていた。

「か、かわいい? あたしが?」
「……なに、かわいいなんて言われ慣れてるだろ」

 甘やかされて蝶よ花よと育てられて、その上こんな美少女で、かわいいと言われない日はないくらいだろう。そう思っていたのだが、実際のところは違うようだ。

「言われないわよ……だって、あたしかわいくないもの……」
「え……?」

 何を言っているんだこの少女は、自分の顔を鏡で見ないのか。唖然として俺は織の両頬を手で挟み、まじまじと目を見る。嘘を言っているような目ではない。

「本気で言ってる? おまえかわいいぞ?」
「そんなことない……かわいくないって言われるし……」

 なんとなく、分かった。それはたぶん、不細工とかそういう次元ではなく、かわいげのない女という意味で使われる、かわいくない、だ。たしかに、織の勝気な性格は、一部の人間からしたらそれはそれはかわいくなく映るだろう。
 でも、たしかに話が通じないところとか、強引なところとか、うっとうしいところは多々あるが、かわいげのない性格だとは一度も思ったことがないのに。

「織、だいじょうぶだよ、そいつらは織がかわいくないとは思ってない」
「そうなの……?」
「負け惜しみみたいな……あれだろ、学校のテストとかで織に負けたやつとかが言うんだろ」
「……そうだけど、なんで分かるの」

 笑う。織は、こんなふうに大人びて、俺を翻弄するけど、まだ十七歳の少女で、純粋な気持ちの持ち主なんだ。相手の言葉を額面通り受け取って、舞い上がったり傷ついたりしてしまう。そのわりに俺の話は聞かないけど。

「そんなやつらの言葉を本気にする必要ないよ」
「そう?」
「家族とか友達とか、そういう大事な人たちが言うことだけ信じればいいじゃん」
「……琥太郎とか?」

 赤くなって拗ねた顔を両手でちょっと強めに挟む。

「調子乗んな」
「でもかわいいって言ってくれたわ」
「俺は、嘘をつかないだけ」

 べ、と舌を出して反抗すると、織がなんてことなさそうに俺が出した舌を指で挟んだ。

「なに……」
「あ、ごめん、なんだかかわいくて」

 舌をもてあそびながら、織はさっきまでのしおらしさはどこへやら、にこにこしながら俺をでかいソファに押し倒そうとしている。

「織」
「なあに?」
「昼間っから、やめろ」

 このスイートの立派なソファなら、多少おいたをしても大丈夫ではあると思う。ただ、最近思ったんだが、このスイートを掃除する従業員に、俺がいったいどういう気持ちで見られているのか、考えるだけで憂鬱なので、できればベッド以外では嫌だ。ベッドも嫌なんだけど。

「……ちぇっ、今日は満月も近くないしなあ……」
「……」

 織は気づいていないのだろうか、満月でなくても、俺からわずかながらフェロモンが出ていることや、織といるとずっとほんのり甘い香りが漂っていること。織がいると、最近俺はずっと甘噛みされているような気持ちで緩やかな発情を誘われている。織は、気づいていないのだろうか。
 別にしたいっていうわけじゃないけど、断じて。
 なんとなく、織がそれに気づいていない様子なのが憎らしい。俺ばっかりこんな身体にさせられて。

「……ていうか」
「あ?」
「なんか甘い匂いするわね?」
「……」

 ようやく気づいた様子の織が鼻で息をする。それから、ぽわんと欲情したような目つきになる。

「……琥太郎、誘ってるの?」
「いや、違う」
「素直じゃないなあ……かわいい」

 いそいそと再び俺にのしかかってきた。勘弁してくれ、まだ昼間だぞ、カーテンを閉めてもほんのり明るいんだぞ、やめてくれ。

「織、せめてカーテンがっちり閉めてこないと、俺は絶対やらないからな……」

 目をぱちくりさせて、織がすぐさま俺の上からどいてカーテンを閉めにかかる。どんだけやりたいんだよ、くそ。
 ソファで致したと従業員に思われるのは嫌なので、俺はあきらめてのろのろとベッドのほうに移動する。自主的に移動すると、俺もやる気だと思われているみたいでなんか、これはこれで嫌だな。
 カーテンが閉められて、部屋が薄暗くなる。ベッドに腰かけた俺に近づいてくる織の瞳は、暗闇でも分かるくらいにぎらついている。獲物を見つけた肉食獣みたいな目だ。うさぎみたいなかわいいなりをしておいて、詐欺である。ふと頭に、微妙に意味が違うけど、羊の皮をかぶった狼、という言葉が浮かんだ。

「琥太郎」
「……織って、かわいいのに、なんか残念だよな」

 服を脱ぎながら俺に体重をかけてきた織が、なぜか顔を赤くした。

「あんまりかわいいって言わないで……」

 ごまかすようにキスをされる。なるほど、俺のことを性的に好き勝手するくせに意外にも、かわいいとか、そういうストレートな誉め言葉が効くらしい。心にそれを刻み、俺は織に肩を押されてベッドに倒れた。

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