今の延長線上

　こういうときだけ、自分が派手な見た目でよかったって思う。
　目が大きかったり顔のパーツが派手だったりするのって、実はあたしにとってはいいことじゃない。すっぴんなのにメイクをしていると誤解されて先生には目をつけられるし、遊んでるって思われたことも何度もある。
　誤解されて注意を受けるくらいならって、あたしは中学生の頃からメイクをしていたし、遊んでるって思って声をかけてくる嫌な男は返り討ちにしてきた。
　実際今まであたしがお尻をかわいがってきたカレシたちだって、あたしのことをほんとに好きだったかどうかはあやしいのだ。まあまあかわいくて派手。そんなあたしを連れて歩きたいだけだった奴だっていた気がする。
　それに気づけなかった自分は馬鹿だって思うけど、まあ、お勉強にはなったかな。
　あたしと嵐斗くんの前で、相変わらず胡散臭い笑みを浮かべている弁護士のおっさんと、いかついおにいさんといかにもギャルな女のカップルを前にして小さくなっているおっさん。
　ふつうの身長でちょっと痩せ型で、肌が白くて神経質そうな目つきに手入れの行き届いていない白髪混じりの髪の毛。
　これが、嵐斗くんのお父さんだ。
　とりあえず、第一印象での威圧には成功したので、自分のギャル力を褒めたい。

「なぜ、小森さんがこちらに？」
「……アテナちゃんの分の席を用意してくださってからそれを聞きますか？　それに、それで言うなら、なぜ島崎さんがここに？」
「わたくしは川田さんの代理人ですので」
「島崎さんが席を外してくれるならアテナちゃんも退席しますけど、そうじゃないなら」
「ああ、いいです、そんなくだらないことで議論して時間を食いたくありませんので」

　嵐斗くんの父親と、弁護士のおっさんが選んだのは個室のあるレストランだった。
　こんなところに来るお金はないけど、たぶんお金があっても行かないなと思うような、鳥肌の立ちそうな上品なお店。

「さて、本題に入りますが」
「その前にひとついいですか」

　父親の川田とかいうおっさんは、嵐斗くんとの家族としてのつながりを取り戻したいのだろう。一緒に住みたい、ってつまりそういうことだと思った。
　今愛子さんとその旦那さんのこどもである嵐斗くんを、戸籍の上でも取り戻す。そういう意味なんだと思った。
　その話を切り出そうとしたっぽい弁護士のおっさんに、嵐斗くんが待ったをかける。

「もしかして、ご存じかもしれないんですけど。俺、あなたの記憶がありません」
「……」
「記憶が……ない？」

　弁護士ジジイがきょとんとして呟く。どうやら、知らないようだった。川田のおっさんも、怪訝そうな顔をしている。

「たぶん、ショックで。小学六年生以前の記憶が、ないです」
「……」
「だから、あなたのことを俺は知りません」

　あたしにとって、記憶がないと言う嵐斗くんの姿はつらいものだった。失いたくなかったと思う。きっと、父親のことを覚えてたかったんだと思う。でも、それができないくらいのショックを受けた。
　でもそう言った嵐斗くんに、弁護士ジジイは信じられない言葉を吐いた。

「それは……ほんとうですか？　こちらの要求を呑みたくない気持ちで、嘘をついているのではないですか？」
「テメッ……！　嵐斗くんがどんだけ苦しんでると思ってんだよ！？　記憶ないのがどんだけつらいか分かんのかよ！？　テメーは目の前で父親に人殺されて平気でいられんのかよ！？」
「アテナちゃん」

　思わず椅子を蹴って立ち上がり叫ぶと、嵐斗くんが慌てたようにあたしをなだめる。
　あたしがこんだけ怒鳴っても、弁護士クソジジイは平然としていて、悔しかった。なんで、弁護士って人を助ける仕事じゃないのかよ、なんで、なんでこんな平気な顔して嵐斗くんを傷つけられるんだよ。

「……アテナちゃん、いいから、座って」
「…………」
「島崎さん、信じられないのは分かります。でも、ほんとうです。それに、実のところ記憶があろうがなかろうが、俺はあなたたちの要求を呑むつもりはないんです」

　泣きそうになっているあたしの太ももに手を置いて、ゆっくりと落ち着かせるように撫でながら嵐斗くんはきっぱりと言い切った。
　弁護士クソジジイが眉を寄せる。

「まだ、条件などの詳しい話もしておりませんが？」
「俺は、今の生活に、満足しているとは言いません。でも、大切に育ててくれた両親がいて、仕事が充実していて、恋人もいる今の生活を、これ以上いいものにしていこうっていう気持ちはあるけど、環境をがらっと変えようとは思いません。今の延長線上にある満足を求めたいんです」

　今の延長線上にある満足。
　それは、すごく嵐斗くんらしい言葉だと思った。
　今をずっとずーっと続けていった先に、自分の求めるものがあるって信じる嵐斗くん。今をもちろん幸せだって思っている嵐斗くん。

「俺は、今の人生で出会った人たちを大切にしたい」

　太ももを撫でてくれている手をぎゅっと握り締めると、嵐斗くんはちらりとこちらを見て、やわらかく笑ってくれた。

「では、なぜ今日の話し合いに？　こちらとしては、交渉の余地があるとばかり思っていたのですが」
「今日は……、俺の実の父親が、どんな気持ちであのときああいうことをしたのかを知りたくて」
「……」

　じっと、青い顔で黙っていた川田のおっさんが、口を開いた。

「嵐斗」

　呼びかけて、嵐斗くんが自分のほうを見たと確認してから、おっさんはようやく話しはじめる。

「あのときのことは、俺もよく覚えていないんだ。気づいたら、理恵を何度も何度も刺していて、気づいてもそれを止めることはできなかった。頭に血が上った。何に怒ったのか、分からない。お前に乱暴なことをしていたことになのか、ただ単に裏切られたことになのか、お前への嫉妬だったのか」
「……」
「何度も刺して、ようやく腕が止まる頃には、お前は血まみれになって、吐いて気絶していた」

　小学生の嵐斗くんを返り血まみれにして、ショックで気絶までさせて、それでもこれから一緒に暮らしたいって、どんな気持ちなんだよ。
　おっさんをギンギンに睨みつけると、ちょっと怖気づいたみたいに肩をびくつかせた。

「お前が何を知りたいのかは、なんとなく分かる。どうして、っていうのは当然の感情だよな。でも、俺には何も言えることはないんだ。ごめん」
「……」
「ただ、小学生だったお前に、酷なことをしたとは思っている。ほんとうに、ごめんな」

　結局嵐斗くんは、勇気を出して会った実の父親に、謝られてばっかりで、肝心の知りたいことは何ひとつ知れなかった。
　こんな高級な店のランチなんか普段食べるチャンスないんだから、と思って一応食べたけど、正直サイゼのパスタとの違いがそんなに分かんなくて、これならサイゼでいいと思ってしまった。
　帰り道、嵐斗くんは静かだった。

「……サイゼのパスタとあんま変わんなかったよね」

　間を持たせようと、嵐斗くんにごはんの感想を伝えると、嵐斗くんは情けなく笑って、あたしの頭をぐしゃぐしゃ撫でた。

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