逃した魚雷は……?


 当然カンタさんから花丸の満点をもらったし、ビフォーの魚雷さんを知っているサロンスタッフからは、大絶賛の嵐だった。
 あたしの施術を、暇を見てはいちいちチェックしてくれていたカンタさんが一番気に入ったあたしの接客が、カウンセリングだったらしい。

「相手の気持ちやの気分やの考えつつ、似合うスタイリング提案していくのが手慣れてたわ。初めての接客とは思えへんくらいスムーズやった。あと、アテナ、人にメイクすんのうまいな。びっくりしたわ」

 いつも厳しめのカンタさんがめちゃくちゃ褒めてくれたのがうれしくて、なんで今日嵐斗くん遅番なのめっちゃ顔見て報告したい! と思ってしまった。
 なので、あたしは帰宅を嵐斗くんの家にした。勝手に。

「挿入〜」

 合鍵で侵入する。
 電気をつけて、荷物を置いて、冷蔵庫を開けた。謎にじゃがいもとにんじんと、タマネギだけが転がっている。
 これでつくれるもの……と思って、スマホで検索をかける。
 にんじんとじゃがいもの塩バター炒め、というなんとも美味しそうなのが出てきたので、それを嵐斗くんの夜食としてつくっておくことにした。

「あと、卵かあ……」

 嵐斗くんって自炊してんだかしてないんだかよく分かんないラインに生きてるよな。
 自炊してます! と言うには少し、冷蔵庫がさみしい。
 もちろん嵐斗くんは、料理はちゃんとつくれるし、なんならあたしよりも家事力は断然高いのだけど。
 今日のあたしは早番だったので、たぶん嵐斗くんが帰って来るまであと二時間くらい、暇である。料理だけでは二時間は当然持たない。と信じたい。
 三十分くらいキッチンで格闘して、塩バター炒めをつくって皿に盛りつけて、寝室を何の気なしに覗くと、ちょっぴり散らかっていた。

「軽く片づけとくかあ」

 掃除機もかけておいてあげよっかな、と思って、ごちゃごちゃと物が置いてあるサイドテーブルを見る。

「……。……え」

 何かのメモとか、読みかけの本とか雑誌とか、ガス代の請求書とかに混じって、名刺が一枚。
 あたしはあの名刺をびりびりに破いて捨てた。だからこれがここにあるはずがない。あるとしたら、可能性はひとつだけ。
 嵐斗くんが、直接あの人に会った。
 指でつまんだ、青山弁護士事務所の島崎卓也さんの名刺。少し角が曲がっていて、丁寧には扱われていないことが分かる。
 でも、そうか。
 また来ますってあのクソジジイは言っていた。あたしがここにいないうちに、嵐斗くんを訪ねて「また来た」に違いないのだ。
 嵐斗くんの目の前で人を殺した男が、嵐斗くんに会いたいと言う。嵐斗くんに深い傷を負わせた男が、嵐斗くんと前のように暮らしたいと言っている。
 あのムカつく弁護士に会って、きっと話をして、嵐斗くんはどう思ったのだろう。父親に、会いたいと思った?



「ただいま……?」

 電気がついているからか、嵐斗くんが中の様子をうかがうように、ただいま、なんて言いながら部屋に入ってきた。

「おかえり!」
「どうだった、アテナちゃん」
「魚雷さんめっちゃかわいくなった〜! カンタさんにも百点満点もらえたの!」
「マジか! すげえじゃん!」

 ばっちり、サロンのインスタに上げる用の写真も撮った。嵐斗くんにそれを見せる。絶妙に微妙そうな顔をした嵐斗くんが、画面を覗き込んで、目を見開いた。

「これ、マナミ……?」
「そだよ〜」
「すげえかわいくなってんじゃん……」
「お? 逃した魚雷はでかかったか?」
「そういうのほんとやめて」

 げっそりした顔になって、嵐斗くんが、でもまじまじと写真の中の魚雷さんを見る。

「髪型とメイク変えると、人ってほんとに変わるんだな……」

 しみじみと呟きながら、嵐斗くんは冷蔵庫のほうに歩いていく。

「腹減った」
「あ! あたし塩バター炒めつくったよ!」
「何その美味そうなの」
「じゃがいもとにんじんの!」

 冷蔵庫に入れておいたやつを、レンジにぶち込む。チンしている間、嵐斗くんはにこにこしながらあたしの話しを聞いてくれた。

「ていうかインスタ、めっちゃいいねついてるの。顔出しOKしてくれてほんとよかった〜!」
「うわマジだ、すげえな」
「魚雷さん、あんまり美容院行かないのかな? なんかずっと緊張してた」
「アテナちゃんは?」
「あたし? あのね、嵐斗くんが頑張れって言ってくれたから、めっちゃ頑張った!」

 きょとんとしてから、嵐斗くんが照れたように笑った。それと同時に、レンジがチンって言った。
 塩バター炒めを取り出してテーブルに置いて、あたしもちょこっとつまもうと思ってお箸を持ってくる。

「あ、美味い」
「ほんとだ」

 もくもく、と食べながら、嵐斗くんはずいぶんご機嫌に見える。

「ねえ嵐斗くん」
「ん?」
「これ」

 すす、と名刺をテーブルの上を滑らせて嵐斗くんの前に出す。嵐斗くんが、ほわほわしていた表情をぎゅんと引き締めた。

「なんで見つけちゃうかな……」
「いや……見つけてくれとばかりにめっちゃ置いてあったし……」
「あ〜それな……俺のせいだな……」

 嵐斗くんは、テーブルに肘をついて額にてのひらを当てて、その名刺に触れた。

「……この間、家に来たんだ。そんで、父親が俺と会いたがってるって言ってきた」
「うん……」
「父親の顔すら分かんないんだよ、一切記憶にない。だから、会ったところでどうなるわけでもないと思ってる」
「……」
「でも……」

 でも……?
 そこで言葉を切った嵐斗くんが、名刺をつつきながら唇を尖らせた。
 嵐斗くんは自分の父親のことを覚えていない。それに、自分の目の前で人を殺すような父親だ。会わなくていい気しかしないけど。
 だけど、嵐斗くんの様子からして、そういう結論を出したんじゃないんだな、というのは何となく分かった。

「……一回だけ、会ってみようと思ってる」
「……」
「会って、俺の目の前で人を殺してしまった理由とか、そういうのを、ちゃんと聞きたい」
「…………そっか」

 おっさんの言う通り、これは嵐斗くんが決めることだ。だから、嵐斗くんが会うと決めたんなら、それをあたしに止める権利はない。

「で、さ」
「うん」
「ほんと情けないんだけど……」
「うん」
「アテナちゃんについてきてほしい」

 ……うん。うん?

「え、なんで? あたし邪魔じゃない?」
「いや……だって、相手も弁護士とふたりだろ、別に、そういうの疑ってるわけじゃないけど、言いくるめられたりしたら嫌だな、と思って、こっちにも誰かいてくれたら心強いかなって」
「もちろん! 嵐斗くんがいいなら、あたし絶対ついてく!」

 そうだよね! あんな腹立つおっさんと、あとひとり自分の父親らしい知らないおっさんと会うの、怖いよね! あたしだったら絶対会わない、怖いもん!
 でも嵐斗くんは、会うって決めたんだから、ちゃんと自分の過去と向き合おうって決めたんだから、あたしは絶対それを応援してあげたい。
 あたしは、いつだってどんなことがあったって、嵐斗くんの味方でいたい。

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