ローズヒップと特別


 嵐斗くんの家で、今日もローズヒップティーを飲ませてもらっている。

「すっぱうま」
「なんとなく身体によさそうだよな」
「それ」

 ちなみに今は、がっつりえっちしたあと。最近嵐斗くん、体力ついてきたのかけっこうやっちゃってもオチることが減ったので、少し休んで回復したらこうやってお喋りもできる。
 でも、さすがに起き上がるのはつらそうだったから、あたしがお湯を沸かしてカップにティーバッグを突っ込み、寝室のほうまで運んできたのを一緒に飲んでいるのだ。
 一緒に飲んでいるのだ、と言っても嵐斗くんはまだうつぶせから起き上がれてないけど。

「俺最近思うんだけど、これって体力の問題じゃない気がするんだよな」
「え? 違うの?」
「うん、完全に身体の慣れだと思う。だって俺体力ならもともと自信あったし」
「んあ、そっか」

 たしかに嵐斗くんは、体力はあるほうだ。
 でも、こういうのってそういう、いわゆる鍛えてるとかでつく体力とは違う部分を消費してる気がするんだけどな。

「うん。そうなの。だからこそ、慣れなんだよ」
「……ふーん。慣れてオチないなら、もうちょっとする?」
「いや……今日はもうケツと腰痛いから勘弁して……」
「ちぇ」

 ま、言うてあたしが本気なら嵐斗くんの尻さえ触れば一発で堕ちるの分かってんだけどね。
 でもさすがに嵐斗くんは今日三回出してドライで四回イったからやめてあげとこ。ローズヒップティーだし。バラのお尻だよ。あんまやりすぎたら、嵐斗くんのお尻もバラ色になっちゃうからね。

「ローズヒップのヒップってケツのヒップか?」
「え、違うの!?」
「知らん。調べよ」

 そう言って、枕元のスマホを引き寄せて、嵐斗くんが眠たそうな目で検索を始める。

「めっちゃ最初に尻とは無関係って書いてある。やっぱみんな思うことは一緒だな」
「えぇ……じゃあヒップってなんなの……」
「本来はヒップだけで、バラの果実っていう意味の単語なんだって」
「……? じゃあなんでローズついてるの……?」
「ヒップティーだとキャッチーじゃないから……?」

 え、別によくない? いいじゃん、尻茶。

「だからヒップはケツじゃねえって」
「あそっか」

 もう暖房をつけなくてもあたたかいけど、夜の風はほんのり涼しくて気持ちいい。稼ぎ時のゴールデンウィークも近い。
 そして明日は、魚雷さんを変身させる日だ。初めての指名。どきどきする。失敗したら、指名取りが遠のく。

「アテナちゃん」

 ベランダに出て新鮮な空気を吸おうと思っていたのを呼び止められて振り向くと、嵐斗くんは起き上がってベッドに座り込み、まだ火をつけてない煙草を咥えていた。

「明日だろ、マナミのヘアメイク」
「うん」
「頑張れよ」
「うん!」

 まだここはスタート地点なのに、もう泣きそうだ。
 ベッドに突っ込んで、嵐斗くんのおなかに抱きついておへその上あたりに額をぐりぐりこすりつける。

「頑張る! めっちゃ頑張る!」
「ン。応援してる」
「嵐斗くん明日仕事だっけ?」

 カレンダー共有アプリをふたりで使ってはいるものの、けっこう毎月のシフト入れるのがめんどくさくてやってない月とかある。今月は嵐斗くんが月初忙しかったので、その月になっている。
 嵐斗くんがアプリを開いて、あ、と言った。ようやく気づいたのか、馬鹿め。

「俺シフト入れてなかったんだ」
「そだよ」
「ごめん。明日は遅番」
「分かった」
「夜遅くなってもいいからさ、うまくいってもいかなくても、報告しろよ」

 嵐斗くんが真面目な顔で言う。うん、と頷いてから、なんで? と首を傾げる。

「だって気になるだろ……アテナちゃんがこれから指名受けられるようになるかどうかの試金石なんだぞ……」
「しきんせきって何?」
「……ええっと……、とにかく、大事なターニングポイントってこと」
「ターニングポイントって何?」
「……」

 嵐斗くんが煙草を持ったほうの手で額を押さえた。
 難しい言葉ばっかり使ってそれを説明できないと、逆に馬鹿っぽく見えるな。と思ったことは内緒である。
 なんたって、あたしが一番馬鹿であることには変わりないからだ。



 シャンプー台で、魚雷さんがあたしに頭を預けてぼそっと呟く。

「あのね、美容師さんにどこまで頭の重さを預けちゃっていいのか、分からないの」
「あー。頭全部力抜いていいですよ。下手に力入れられるとこっちも、触りづらいんで」
「そうなのね」

 しゃかしゃかとシャンプーをしながら、あたしはずっとどきどきしていた。
 失敗したらどうしよう。魚雷さんに気に入ってもらえなかったらどうしよう。カンタさんのOKもらえなかったらどうしよう。
 死にそうになるプレッシャーの中で、嵐斗くんが言ってくれた頑張れだけを胸に、どうにか弱気を心の奥底に押し込んだ。
 シャンプーを終えて鏡の前に座ってもらって、とりあえずカウンセリングする。

「どんな感じがいいとか、あります? 長さはあんま変えないでほしいとか、なりたいイメージとか」

 言いながら、ヘアカタログのページをぱらぱらとめくっていく。魚雷さんは、顔がきれいな卵型だからわりとどんな髪型でも似合いそうだけど……。

「笑わないで聞いてくれる?」
「場合によります」
「え」
「嘘です、笑いません」
「……ショートヘアにしてみたいの」

 なんでそれであたしが笑うと思った?

「ショートかあ……ボブ系? それともがっつりベリショ?」
「大人っぽいボブにしてみたくて……でも今までずっと勇気が出なくて」
「ん、じゃあこれを機に、やってみますか? 魚雷さん、顔のかたちきれいだから、わりとどんな髪でも似合うと思います」

 ボブヘアのページで手を止め、何枚か写真を見せる。

「これとか、大人っぽくてクールだけど、ちょっとかわいい感じで」
「染めるのは、ちょっとな」
「黒ですね。だったらやっぱモード系に振ったほうがいいかな……でも魚雷さんの服が甘めってかコンサバ系だから……あんまモードに振りすぎるとギャップ開いちゃうかなあ……」

 考えながら、魚雷さんの長い髪をチェックするつもりで触る。やっぱりちょっと傷んでいる。

「パーマも、髪傷んでるからかかりにくいと思うんで、……ご自宅にコテとかあります? カールアイロン」
「ない……」
「ってことは、整髪料でセットOKの髪型がいいですよね。こんな感じは? ちょっと顎上になってショートボブにはなっちゃうけど、大人かわいくて、セットも楽ちん。卵型で顎のかたちがきれいだから、出しちゃうのもアリかも」
「……かわいい、かも……」
「けっこうバッサリ切っちゃうけど、大丈夫です?」

 魚雷さんは頷いて、じっとそのページのカットモデルを見つめている。

「じゃ、いきま〜す!」

 意気揚々とカット宣言をして、ケープをかけてハサミを入れる。
 一回ハサミを持ってしまえば、緊張はどこかに消えた。いつも通り、やれば、できる。頑張れ!

「そういえば……」

 バッサリと、長かった髪を肩上くらいまでカットしたところで、魚雷さんが言う。

「ここってメイクもしてくれるの?」
「や、ほんとはそういうサービスはないんですけど、今日はあたしが家からメイク道具持ってきたんで」
「え、わざわざ?」
「大丈夫、ギャルだけど無難な色も持ってますよ」
「心配したのそこじゃないわよ……」

 あきれたように言う魚雷さんに、ニコッと笑って見せる。

「大丈夫、メイクはあたしの自己満なので、料金いただきません!」
「そこでもないのよ……」
「……? じゃあなんですか?」
「わざわざメイク道具を持ってきてくれなくても、言われれば私が持ってきたのに、って」
「……。そっちのがよかったかも。普段のメイク道具でできるメイクのがいいですよね……」

 うーん、考えなしだった。けど、考えついてたとしても、あたし魚雷さんの連絡先知らないからどうしようもなかったな。
 言ってるうちに、カットが終わりに近づいてくる。
 一回ドライヤーを当てて完全に乾かしてから、丁寧に、細かいところを微調整して、軽くワックスでセットする。

「こうやって顔周りの髪の毛を軽く散らして動きだしてあげると、こなれ感出て大人っぽくなりますよ」
「え、待って、かわいい」
「ほんと!?」
「あなたほんとに新人? すごくかわいい……」

 んひひ! 褒められた!

「じゃあ、メイク、入りますね。一回シートでお化粧落としちゃうけど大丈夫です?」
「うん、よろしく」

 実のところ、メイクは専攻じゃないけど、めりぽんとか友達と、お互いの顔をメイクし合ってたりしてるから、人の顔にメイクをするのは得意だ。

「まず、魚雷さんのメイクのダメ出しからしたいんですけど大丈夫です?」
「う……よろしく……」
「顔は立体なんで、全体にまんべんなくファンデ塗ると、お面みたいになってなんかのっぺりしちゃうんですよね」

 言いながら、化粧下地を手の甲に出して顔に塗っていく。

「顔の中心に塗ったら、あとは伸ばすだけでいいっす。特に輪郭部分なんか、しゅっと撫でるだけ」
「そうなの?」
「うん」

 リキッドファンデも出して、顔にタップするように塗る。

「普段ファンデってリキッドですか?」
「ううん、パウダー」
「あー。パウダーだと、保湿できるタイプにしたほうがいいですよ、乾燥するんで。リキッドは肌に優しいからオススメ。でも、クリームタイプが一番油分含んでるから乾燥にはいいかな……。で、今リキッドですけど、ファンデもベースと一緒で、顔の中心に乗せたら外に向かって薄くなるように伸ばす。気になるとこは二度づけしてください」

 ファンデを肌になじませたら、アイブロウペンシルを出す。これについて、あたしは普段一番明るい色のを使って、眉マスカラも塗っているので、晶さんに借りた。

「あたし、色うっすいの使ってるんで、これはうちのスタッフの私物です。ブラウン」
「え、髪が黒なのにブラウンを使うの?」
「髪よりワントーン上の色使うと垢抜けます。で、眉で顔の印象決まっちゃうんで、気をつけて。優しい印象にしたいからちょっと太めゆるめにラインとりましょうね。あと、眉毛整えるとき、絶対すっぴんでやらないでください」

 なんやかんや言いながらメイクを進めていく。魚雷さんは、へえ、とかそうなの、とか言いながらメモする勢いで真剣に聞いてくれている。
 そして、チーク、ハイライト、シェード、とどんどん進み、アイメイクに入った頃、魚雷さんは目を閉じながら呟いた。

「なんか……今日一日で、常識だと思ってたことが全部ひっくり返ったわ……」
「そうですか?」
「うん……」
「じゃあ、最後マスカラして終わりね」

 とは言えあたしは普段まつエクをしているので、これも晶さんの私物……。

「はい、できた!」

 最後に、手鏡を手渡す。自分の顔をまじまじと見て、髪の毛を揺らすように顔の角度を何度か変えて、魚雷さんはため息をついた。

「すごい……別人みたい……」
「ほんと我ながらめちゃくちゃかわいいわ」
「正直なところ、こんなに変わると思ってなかった」

 ちょっと恥ずかしそうにはにかんだ魚雷さんは、どこにでもいるけど、どこにもいないような、そんな特別な女の人になっていた。
 あたしが、そのお手伝いをしたのだと思うと、うれしくって涙が出そうになった。

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maetsugi
modoru