心臓が毛深い


 その日の夜、嵐斗くんとご飯を食べて嵐斗くんの家にお泊りの予定だったので、早速報告したくてうずうずしていた。

「嵐斗くん!」
「おー。もう夜もだいぶあったかいね」

 ハチ公前で落ち合って、何食べる、なんて言ってスマホを見た嵐斗くんの腕にコアラみたいにしがみついて跳ねる。

「なに、今日ご機嫌?」
「あたしね! 初指名もらった!」
「え! すげえじゃん! いつ!?」
「来週の日曜日! 魚雷さん!」
「…………え?」

 嵐斗くんの顔が引きつった。

「あのね、魚雷さんに、もっとかわいくなれるよ! って言ったら予約してくれた!」
「……あの一応確認するけど魚雷さんってマナミだよな?」
「うん」
「え? 俺のモトカノのヘアメイクするの? アテナちゃんが?」
「うん」
「地獄じゃん……」

 そんなに言うほど地獄ではない気がする。
 だって、嵐斗くんは魚雷女のことを好きだって思おうとしてたけど結局そういう好きじゃなかったし、そりゃ付き合った事実は消えないけど引きずってるの魚雷女のほうだけだし、それに魚雷女は今よりきれいになりたくてあたしを指名してくれたんだから、そこに嵐斗くんの感情が入ってくる隙はない。

「魚雷さんはきれいになりたいだけだから、モトカノとかイマカノとか関係ないっしょ」
「たまに思うけどアテナちゃんって心臓に毛生えてそうだよな」
「え!? そんな毛深い!?」
「え、だって俺にはモトカノと会うなとか言っといて自分はそのモトカノの髪の毛とか化粧とかいじるの意味分かんなくない!?」

 待って毛深いかっていう質問に対してのアンサーおかしくない?

「嵐斗くんにとってはモトカノだけど、あたしにとってはただの魚雷だから……」
「アテナちゃんの感覚全ッ然分かんね〜!」
「てかあたし毛深いか?」
「心臓に毛が生えてるってそういう意味じゃねーんだよな……」

 嵐斗くんに、心臓に毛が生えている、という慣用句の説明を受けながら、文化村通りを歩きフレッシュネスバーガーを目指す。

「てかアテナちゃん、指名取ってたっけ?」
「ううん。なんかカンタさんに確認したら、あたしまだメンズカットしか受けてなかった」
「え、それ大丈夫なの?」
「魚雷さんの出来次第だって」
「マナミ責任重大じゃん」

 フレッシュネスバーガーに着いて、嵐斗くんが何かに気づいたようにあっと声を上げた。

「駄目じゃん、ここフレバルやってないよ」
「ふればる?」
「酒飲めない」
「飲みたいの?」
「だって俺明日休みだし……」

 唇を尖らせている嵐斗くんが、少し悩んで言う。

「まいっか。完全にハンバーガーの口になってたし、ビール買って帰る」
「あたしもハンバーガーの口だったからそうしよ! ほろ酔いも買って!」
「オッケー。……アテナちゃん明日休みじゃないよな?」
「うん、早番」

 若いってすげえな、とかなんとか言いながら店に入っていく嵐斗くん。いや、嵐斗くん、おじさん扱いしたらキレるくせにそういうおじさんみたいなこと言うのやめてよ、反応しづらいじゃん。
 ハンバーガーを食べながら、あたしはずうっとタイミングをうかがっていた。
 魚雷女が指名を取ってくれたことよりも、ほんとうは言いたいことがある。

「ねえ嵐斗くん」
「んん?」
「……あ、えと……その〜……」
「ぁに?」

 口の中にめっちゃ肉が入っている嵐斗くんが、もごもごしながらあたしの言葉を待つ。
 なんかこれを自分で言うのは恥ずかしいし、嵐斗くんが避けてる話題だったらちょっと申し訳ないけど……。

「…………うち、いつ行く?」

 嵐斗くんが、もごもごしていた口の動きを止めた。それから、少しもごもごして飲み込んで、アイスコーヒーをストローですすり、あたしをじっと見つめた。

「アテナちゃん、そのことなんだけど」
「うん」
「……俺、アテナちゃんのことはほんとに大事に思ってるし、将来のこともまじめに考えてる」
「待ってそれここでしていい話?」

 なんか前もこんなことあったな……。嵐斗くんってこういう重大な話を軽いノリで始めちゃうとこあるよな……。
 あたしにそう止められて、嵐斗くんはちょっと考えたあと、それもそうかと頷いた。

「じゃあ、食ってさっさと家行こう」
「うん……」

 ゆっくり嵐斗くんとご飯したかったけど、これはこの話題を出してしまったあたしが悪いな……。
 気持ち急いで残りを食べて(しかしあたしは食べるのが遅い)、そそくさと席を立った。
 電車の中で、嵐斗くんはぽつりと言った。

「アテナちゃん、初指名おめでと」
「ありがと!」
「なんか、俺がちんたらしてるうちに、アテナちゃんはぐいぐい先行っちゃうよなあ」
「嵐斗くん、別にちんたらしてなくない?」

 その男前な太い眉をきゅっと寄せて下げて優しく笑って、嵐斗くんは、やー、と相槌を打った。

「なんか、この先どうなってくのか全然分かんねえわ」
「って言うと?」
「アテナちゃんはこれから、指名も取るようになって技術も磨いてどんどん美容師として一人前になってくじゃん。もしかしたら将来独立して自分の店持つかもしんねえし。でも俺ってどうなんだろうな〜って思って」
「……?」

 嵐斗くん、話が飛躍しすぎでは……?
 たしかにあたしはこの先めっちゃ頑張って一人前の美容師になるつもりだけど、嵐斗くんだって今副店長なんだから次は店長目指すとか、もっとハイブランドの店の店員になるとか、いろいろあるんじゃないのか?

「いや、うん、そだよな、諦めたら駄目だよなあ」
「うん、うん……?」
「ごめん気にしないで」

 にかっと笑った嵐斗くんがあたしの髪をぐしゃぐしゃ撫でる。
 なんか、よく分かんないけど、嵐斗くんも悩んでるんだなあ……。そりゃそうか、大人だもんな。
 家に着くと、嵐斗くんはまずキッチンに立つ。いつもなんかあたしに飲み物出してくれる。今日は、……なんかお洒落なハーブティー……。

「なにこれ?」
「なんだっけ、職場の人にもらった……ローズヒップティーだったかな」
「あっ、あのすっぱうまいやつ!」
「知らんけどさ」

 マグカップに沈んだティーバッグをふらふら揺らすと、じわっとお湯が赤くなった。

「で」
「で?」
「さっきの話な」

 なんだっけ。……あ、いつうちに遊びに来るの、って話か。

「……アテナちゃんとのことは、すごく真剣に考えてる。真剣に考えて、考えた結果なんだけど」
「うん」
「別れてほしい」
「うん?」

 なんて?

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