魚雷女 が 現れた!


 久しぶりに魚雷女が現れた。もともと怖くなかったけど、あたしはもうこの女に何のおびえもない。
 それより、会ったら言ってやりたいことがあったんだよな!

「ねえ」
「な、何よ」
「あたしこないだ松本行ってきたんすけど」
「……」
「あんた、嘘ついたでしょ」

 魚雷女の目がすうと細くなる。それから、嫌そうにむきゅっと顔をしかめた。

「だから何よ」
「何よじゃねーよ、嵐斗くんがどんだけ傷ついたか分かってんのかよ」
「……」
「教えられない、ってあんたに言われたあと、嵐斗くんがどんだけ……」

 間違ってるのか、とあたしに聞いた嵐斗くんの声が頭の中で響く。
 俺が真実を知りたいと思うことは間違っているのか。
 間違ってない。間違ってなんかない。嵐斗くんの過去は誰のものでもなく、嵐斗くんのものだ。

「私だって!」

 魚雷女が突然叫ぶ。コンビニを出たところの往来だったため、通り過ぎる人たちがじろりと見ていくのが分かった。

「私だって嵐斗に教えてあげられたらどれだけよかったか!」
「だったら素直にそう言やあいいだろうが! なんであんな騙すようなことしたんだよ!」
「だって私が嵐斗の過去を知らないって言ったら、嵐斗の居場所がどこにもなくなっちゃうじゃない!」
「あ!? 意味分かんねえこと言ってんじゃねえぞクソが!」

 はたから見たら完全に、おとなしい女を恐喝しているギャルである。ということに気づいたのは、魚雷女が泣き出しそうになっているのに気づいたのと同時だった。
 とりあえずちょっと落ち着こうと深呼吸する。

「……どういう意味すか」
「…………嵐斗が、長野が生まれ育った場所じゃないって知ったら、嵐斗はどこの子でもなくなっちゃうじゃない……」
「……?」

 落ち着いて聞いてみても意味分かんないな……?
 よっぽどあたしがはてなって顔をしてたのか、魚雷女が泣きそうな顔のまましゃがみ込み、顔を覆った。うげ、ここで泣かれたら困る! 完全にあたしが悪者になる!

「あの、ちょ、ここじゃなんだし、店そこだし、来る……?」

 来る? と聞きつつ腕を引っ張りめちゃめちゃ引きずって、魚雷女をスタッフ通用口からサロンに連れ込む。これはこれでアウトだな。
 休憩室にいた晶さんがぎょっとした顔をして聞いてくる。

「どしたの、それ」
「な、なんか道の真ん中で泣かれそうだったんで……ちょっと端っこ借ります」
「いいけど……泣かさないでね……」
「それは魚雷さん次第っすね……」

 すみっこの椅子に座らせて、ちょっと泣いている魚雷女が落ち着くのを待つ。そうこうしているうちに、晶さんは店のほうに戻って行った。そしてあたしはまたご飯を食べ損ねた気がしている。
 少しして、魚雷女がぐすぐすと鼻をすすり顔を上げた。

「ごめん……取り乱しちゃって……」
「いいけど」
「……嵐斗に知ってるふりをしちゃったのは、私が少しでも嵐斗の心に残っていたかったからだわ」
「……」
「でも、さっき言ったこともほんとなの。嵐斗がどこの出身かは知らない。でも、少なくともあの頃の嵐斗は、長野訛りじゃなかったから、違う場所から来たんだなって、最初はただの転校生だと思った。……記憶がないっていうことと、あの園で暮らしてるって聞いて、可哀想だって思って……」
「それ」

 聞いていられなくて遮った。

「なんで可哀想なんすか?」
「だって……親がいないのよ」
「だからなんすか? 嵐斗くんの親が何したか知らんけど、引き離されるようなことしたような親のとこにいるほうがずっと可哀想だっつの。それに、嵐斗くんはあそこでいっぱい愛されて育ってんだし、一個も可哀想じゃない。記憶がないのは、取り戻せばいいだけの話だ」

 魚雷女が、潤んだ目でじっとあたしを見ている。
 嵐斗くんは、別に可哀想と言われて同情されるような人生は送ってないはずだし、むしろあたしのほうがそういう意味では恥さらしで可哀想な人生を送っている。
 嵐斗くんはちゃんとこの街で立派に生きて、そして松本にもどうってことない顔で帰ることができるんだ。

「……どうやって記憶を取り戻すのよ……」
「調べる。何十年かかってもあたしが調べて、教える」
「……」
「あたしは気にしないけど、嵐斗くんは自分の記憶がないことを気にしてるから」

 片っぽに足りないものは、片っぽが足せばいい。

「…………あなた」
「つーか、あんた自分が魚雷って呼ばれたら怒るくせにあたしの名前は呼ばないんすね」
「……アテナちゃん、でしょ」

 歯ぎしりして、魚雷女があたしの名前を囁く。頷くと、何もかもを諦めたような、大きなため息をついた。

「知ってるわよ。嵐斗が、あれだけ大事そうに呼ぶ名前を、忘れるわけないじゃない」

 目を閉じて、長いこと黙った。それからふと目を開けて、その黒目がちな目であたしを見る。

「……協力する。私にできることなら何でもする。何でも言って」
「……別にあんたに手伝ってもらうことなんか」
「じゃあどうやって調べるつもりなの?」
「…………」

 それを突かれると……でも、それで言ったら魚雷女だってどうやって調べるつもりなんだよ。嵐斗くんの出身地も知らないって意味では、あたしのほうがちょっとリードしてんじゃないのか?
 半信半疑どころか疑いの気持ちマックスで魚雷女を見ると、ふと考えるように視線を落として言う。

「嵐斗が長野に来たのは小学校六年生の夏休み明けだから……、二〇〇四年よね。二〇〇四年に起こった全国の児童虐待事件をひとつずつ潰していくのが早いかも。小学六年生の男の子が保護対象になった案件となるとかなり絞られてくるはず。簡単には調べられないとは思うけど……ネットで調べれば、言い方は悪いけど程度がひどいものだったら拾えるはず」
「……」
「もしその線が違うなら、親が亡くなって孤児になった可能性を考えて、その年次の事故や事件を洗っていくのがいいと思う。そうなってくるとかなり骨が折れるけど……嵐斗が知らないってことは、施設の人たちは隠したかったに違いないから、きっとかなり当時大きな事件になったことなんだわ……」
「宮城」
「え?」

 気づけば、そう口走っていた。

「嵐斗くん、宮城で生まれたって愛子さん言ってた。だから、その頃の宮城で起こった事件だったら、当たる可能性ある?」
「……任せて。来週までには調べておく」

 魚雷女の細い指があたしの肩に触れた。それを手で握って下ろし、胸の下あたりでもう一度握手するように掴んだ。

「あたしも調べる。来週また、ここに来て」
「分かった」

 二〇〇四年の宮城県で起こった事件。魚雷女の話を聞いていてひとつ思ったのは、そうか虐待に限ったことではなく、嵐斗くんの父親と義理の母親が何らかの事件や事故に巻き込まれた可能性もあるのかと思う。
 事故ではないだろう、それならよっぽどのことがない限り記憶をなくすほどのショックは受けないだろうから。
 なんだ、魚雷女、ちょっといい奴だし意外と頭いいな……。

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