そこはお口チャック


 朝ごはんを抜いて、少し遅い時間にお昼を多めに食べて、松本城の上まで登り、美味しいおやきを食べた。

「え、めっちゃおいしー」
「アテナちゃん何味にしたんだっけ」
「野沢菜」
「あーね。王道で間違いない美味さのやつ」

 薄い肉まんの皮みたいなのの中にたっぷり詰まった野沢菜が美味しい。
 あんまり普段野菜食べないから、こういうときに食べておかないとね!

「いや毎日野菜食えよ」
「毎日肉ばっか食べてる嵐斗くんに言われたくない」
「付け合わせでポテト食ってるから」
「ポテトは野菜じゃなくない!?」

 嵐斗くん、メタボになっちゃうよ!

「冗談だよ。ちゃんとサラダ食ってるって」
「ほんとに!? おなかぽこって出てる嵐斗くん、悲しい!」
「出ねーように努力するわ」

 口の端におやきの具のソース的なものをつけた嵐斗くんが、あたしの髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
 朝起きられなかった嵐斗くんの回復を待っていたら、ホテルのチェックアウトの時間を過ぎそうになったので、とりあえず身だしなみだけ整えさせて、ラウンジみたいなロビーみたいなところでぼんやりしていたら、お昼をとっくに過ぎてしまった。
 なので、町のレストランはお昼休憩に入っているところが多く、あたしたちはようやく見つけたカフェで一服した。
 カフェの硬い木の椅子の上で、嵐斗くんが豪快なしかめっ面で居心地が悪そうにお尻をもじもじさせていたのはご愛敬だ。

「美味いそば食わしてやりたかった……」
「松本っておそば有名なの?」
「松本が、っつーか長野がな。信州そばって聞いたことない?」
「ない」
「あ、そお」

 信州ってなに? 長野と関係あんの?

「昔の地名で長野県あたりを信州って言ったんだよ」
「へえ〜。埼玉は?」
「え、なんだっけ。武蔵?」
「武蔵? って武蔵小山の武蔵?」
「たしか、埼玉と東京が武蔵っつう地名だから、その名残じゃねーの?」

 武蔵かあ。なんかかっこいいな。

「てか、嵐斗くん詳しいね?」
「これくらい常識だろ?」
「…………ウス」
「あ、すまん別にアテナちゃんが非常識だっつったわけじゃ」

 嵐斗くん、言い訳すればするほど墓穴掘ってるんだよなあ〜。別にいいけど。
 夕方の松本駅であずさに乗って、遠ざかっていく駅を振り返る。

「ねえ嵐斗くん」
「ん〜?」

 買ったビールのプルタブをぷしっと起こしている嵐斗くんに、喋りかける。

「また来ようね」
「……アテナちゃん、つまんなかったろ。城しか見てないし」
「ううん。嵐斗くんが育った場所だってだけで、おもしろいよ」
「ほんとか?」

 うん、と頷いて、視線を窓の外から嵐斗くんに向ける。

「たまには、愛子さんに顔見せてあげないと駄目だよ」
「……アテナちゃん、愛子さんになんか言われたな、さては」
「え、違うし。あ! でも、嵐斗くんの中学校の卒アルは見せてもらった!」
「うっわ……」

 結局嵐斗くんは、施設を出るときにもらったアルバムとやらを見せてくれなくて、あたしは垢抜けてない嵐斗くんを見れずじまいだったので、嵐斗くんが職員さんに挨拶に行っているあのとき、愛子さんに見せてもらったのだ。
 たぶん、嵐斗くんがもらったアルバムとは違うんだろうけど、施設のこどもたちのアルバムがあって、ああ、ここにいる子たちは変な親に育てられるよりよっぽど愛されてんな、って。嵐斗くんもそうだったんだな、って。すごくうれしくなった。

「かわいかったからついつい写真撮っちゃったの」
「消せよ……」
「ヤだよ〜。これとかめちゃかわいくない?」
「ううわ、ゲロブス」

 たしかに垢抜けてないけどそれはたしかに嵐斗くんで、あまりにかわいくってスマホのカメラで撮ってしまった。
 嵐斗くん、写真撮られるときにちょっと顎をくいと上げて上から目線になるの、昔からの癖なんだなって思った。
 いっぱい撮った写真を次へ次へとスワイプしていると、そのうち終わって松本城の上からの景色に変わる。

「……そういえばさあ」
「んあ?」
「カンタさんにねえ」
「うん」
「嵐斗くんの地元に旅行するって言ったら、結婚の挨拶? って聞かれちゃった」

 嵐斗くんがビールを気管に詰まらせた。
 派手な咳をする嵐斗くんの背中をさすりながら、そんな変なこと言ったかなあ、と首を傾げていると、嵐斗くんは涙目であたしを睨んできた。

「……アテナちゃんはそれになんて答えたの」
「え? えーと、嵐斗くんはそんなつもりじゃないと思う〜って」
「ばっ……か!」

 めちゃめちゃ溜めて馬鹿と言われ、何、と思う。

「カンタさんに俺がアホみたいに思われたじゃねーかよ!」
「そ、そうなん?」
「そうだよ! 学生じゃねーんだから、カノジョ家に連れてくってなったらそれなりの覚悟あんだろ!」
「そうなん……?」
「そうなん!」

 え、だって嵐斗くん全然そんな感じじゃなかったじゃん?
 嵐斗くんがあたしを施設に、愛子さんのところに連れて行くことに何か思うところがあったのなら、それをあたしだってカンタさんに言うから、早く言ってほしかった。
 唇を尖らせると、嵐斗くんも同じ顔をした。

「俺は……まだアテナちゃんと付き合って半年とかそんなもんだけどさ、けっこう真剣に、これからも一緒にいたいって思ってるよ。だからアテナちゃんが長野行こうって言うの断らなかったし、愛子さんにも会わせた。意味分かるよな?」
「……え、うん……」
「だ、だからつまり、その……」

 嵐斗くんは、そこで言葉を切り、ちょっともごもごと口の中で何か言ったあと、じっとあたしの目を見つめた。

「今度、アテナちゃんの家にも、俺を連れて行ってよ……」

 あたしの人生は、小学校のときから柔道をやらされて、中学校で黒帯を取って、高校で一気にはっちゃけて、美容師の専門学校に行って今に至っているのだけど。まあ、省いたいろいろがあるけど思ってもみないことの連続で楽しくはあった。
 でもまさかこんなところでプロポーズをされるとは、今までにない「思ってもみないこと」だなあ。

「一応確認するけど、それプロポーズ?」
「……こんな電車の中で色気もクソもねえプロポーズする予定なかったのに……」

 がっくりとうなだれる嵐斗くんの頭を撫でて、あたしはゆるゆると口端が上がるのを自覚していた。
 結婚とか全然考えたことないし、遠い未来にいつかするのかなあそれともしないかなあ、くらいにしか思ってなかったけど。

「いいよ、いつ行く?」
「……心の準備ができたら……」
「それいつ?」
「……」

 顔を手で覆って、嵐斗くんが耳まで赤くしてため息をつく。

「まあ、近いうちに……またふたりの休みが合ったら……」
「ふーん……でも、うち実家近いからね? けっこう楽勝で行けるよ? 渋谷から湘南新宿か埼京線で直」
「待って追い詰めないで!」
「ダイジョブだよ、うちのママちゃらんぽらんでテキトーだし、そんな身構えることないって」
「……お父さんは?」
「……」
「おい」

 そこについてはお口チャックするしかないよねえ。

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