アテナちゃんの誕生日
「好きなだけいいよと確かに俺は言ったがそれでもアテナちゃんが加減をしてくれると信じたのは馬鹿だったのか?」
ベッドでうつぶせになりぶつぶつと呪いの言葉のように文句を息継ぎなしで吐き出している嵐斗くん。
そうだよ、その点においてあたしを信じるのは馬鹿なんだよ。だってあたし生身じゃないから加減分かんない。
「ごめんにゃ〜ご機嫌直してほしいにゃ〜」
「かわいこぶっても駄目!」
「かわいく見えた?」
「見えた! でも駄目!」
嵐斗くんはとことんチョロくてあたしに甘い。
寝室のカーテン、サイズを間違えたのか若干短いせいで朝になると電気をつけなくてもカーテンを開けなくても部屋はまあまあ明るくなる。
嵐斗くんの肩のトライバルタトゥーがてらりと光り、思わずさわった。
「ん、なに」
「ううん、嵐斗くんがタトゥー入れてんの、見た目的にはすごい分かるんだけど、性格知っちゃうと超意外だよね」
たぶんうつぶせの状態から起き上がれないのだろう、嵐斗くんが首だけこちらに向けた。
「これなあ、まあなんつーんだ、ほんと前も言ったけど若気の至りなんだよなあ……東京に出てきた頃入れたんだ。東京ってすげえとこだなって思って、いろいろ迷走したんだよ。もうちょっとで口ピ開くとこだったよ」
「口ピ!? すごいね!?」
「開けてる先輩が地味にモノ食べづらそうにしてるの見てやめたわ」
からからと笑って、嵐斗くんは自分のタトゥーを撫でて、当時を懐かしむように笑った。
「嵐斗くんがイモっぽかったの、想像できないなあ」
「いや、俺まあまあ垢抜けてなかったぜ?」
「それが今や渋谷でアパレルの副店長」
「雇われだけどね」
もっさりした前髪で、整えていない眉毛の、ダサい服を着ている、ピアスなんか一個も開いてない嵐斗くんを想像してみる。全然想像できないのだ。
出会ったときすでに嵐斗くんは副店長で、おしゃれでカンタさんの顧客で、髪の毛もいつもきちんとセットされていた。
「写真ないの?」
「んー? あー、あるかも。施設出るときに、アルバムもらったんだ。……どこにしまったかな……」
「それって、長野の施設?」
「そうだよ。今起き上がれないからあとでな」
今起き上がれない、のところを強調して言う嵐斗くんに笑って、懺悔のつもりで腰をなでなでしてあげると、マッサージを要求された。
「美容師なんだからマッサージは得意だろ〜」
「美容師は肩しかマッサージしないから〜」
言いながら、太ももに跨って腰のあたりに手を置いて体重をかけると、うう、と気持ちよさそうにうめいた。
あー、に濁点がつきそうな、熱い風呂に入ったときのおっさんみたいな声を出して、もっと右、とか言ってくる。まあ生まれてこの方女湯にしか入ったことがないので、熱い風呂に入ったときのおっさんは見たことないんだけど。
ぐっぐっと腰の筋肉を揉み解していると、嵐斗くんがすっかりご機嫌な調子で呟いた。
「そういえばさぁ」
「なぁにい」
「アテナちゃん、もうすぐ誕生日だよな」
あたしの誕生日は三月一日で、今は二月四日だ。うん、と相槌を打つ。
「なんか欲しいもんあるの?」
「それ聞いちゃう〜!?」
「だよな〜」
嵐斗くんには情緒がないのか? サプライズとかそういう考えがないのか? 別にあたしはあってもなくてもいいけど。
「んー、欲しいものかあ……」
「あんま高いもんはダメよ」
「なんだろ、あんま今物欲ないなあ」
腰をぐううっと押しながら考える。時計はしないし、ピアスもこの間欲しいの買っちゃったし、洋服なんて買ってもらうもんじゃないしなあ。
「なんでもいいはナシだからな。ちゃんと考えとけよ」
「う〜ん……じゃあさあ、あたしの誕生日、あたし死ぬ気でお休み取るから、嵐斗くんもお休み取って」
「うん?」
「そんでデート行こうよ、一日デート。朝から、いろいろ行って、夜はちょっと高いディナーしよう」
嵐斗くんが黙り込んだ。どうしたんだろう、と思っていると、ぼそりと言う。
「二連休とか取れない?」
「なんで?」
「旅行、行こうよ」
「どこ?」
うーん、と思案している嵐斗くんを横目にマッサージを続けながら、二連休かあ、と考える。
誕生日当日は無理でも、今のうちにお休みを希望しておけば三月にうまいこと二連休を取れるかもしれない。
それを嵐斗くんに伝えると、そっかあ、と相槌が打たれる。
「じゃあ、日にち決めてからふたりで希望出すのが一番理想か」
「うん。一泊二日なら……うーん、あたし北海道行きたいな! 富良野でラベンダー見てから、札幌でラーメン食べて、あ、あと知床だっけ、行って、函館の朝市みたいなの行きたい!」
「……ツッコミどころ多すぎるんだけど」
「え? なんで?」
嵐斗くんはあたしに、北海道はとても広いので、一泊二日で富良野から札幌と知床を経由して函館の旅程はかなり無理があること、今の時期ラベンダーは咲いていないことを伝え、でも北海道はいいね、と言った。
「あ、でも北海道って今めちゃめちゃ雪積もってんじゃね?」
「えー、そうなの?」
「積もってなくてもたぶんクッソ寒いぞ。アテナちゃん寒いの駄目だろ」
「そっかあ……」
あたしがワンルームにこたつを導入しないのは、それをやってしまうと家から出られなくなってしまうからだ、比喩でもなんでもなく。実家にいた頃、こたつが好きすぎて用事がない日は一日中そこで過ごして、何度も風邪を引いた。
それくらいあたしはあったかいのが好きだ。
「じゃあ、沖縄」
「……一泊で沖縄はちょっともったいなくない?」
「そうなの?」
「そんな気がする」
よく分からないけど、たしかに沖縄って行くだけで時間かかるし、どうせならいっぱいお休み取って、いろんな島に行きたいし海もいっぱい行きたい。
「言うて、俺もそんな旅行ってしたことないけど……」
「今までどこ行った?」
「金沢と、大阪くらいだなあ……」
「金沢ってどこだっけ」
「んーと、北陸新幹線の終点」
「ほへ〜」
北陸新幹線ってどこ通ってるんだっけ。
「俺、高校卒業決まって、施設出る前に、初めてひとり旅したのが金沢だったんだよな。二月だったからすげえ寒かったけど、いい街だった」
「長野から金沢って近いの?」
「えーと、新幹線で一時間くらい」
「え、近い」
ひとり旅かあ。あたしもしてみたいけど、地図読めないしグーグルマップもあんまり使いこなせないんだよね。そんなんで慣れない土地とか、絶対全然楽しめないうちに一日終わっちゃいそう。
そしてふとあたしは思いついた。
「ね、嵐斗くん」
「うん?」
「あたしさ、長野行ってみたい」
「長野?」
「うん、おやき、だっけ? 食べたい」
嵐斗くんはしばらく黙っていた。やっぱ駄目だったかな、と思っていると、首をひねって振り向いて、にかっと笑った。
「いいね、アテナちゃんと、十年ぶりくらいに里帰りすっか」
「え? は? 嵐斗くんこっち来てから一回も里帰りしてないの?」
「してないよ」
「え〜! マジか〜!?」
親がいないとそんなもんか? でもでも、施設でお世話になった人とか、お友達とかも皆長野にいるんでしょ? たまには帰って遊んだりしないのか?
「嵐斗くん、こないだこっちにあんま友達いないとか言ったじゃん!」
「言ったねえ」
「長野にはいるってことでしょ!? なんで帰らないの!?」
「なんだかんだ、皆就職して地元出てるからさ、けっこう西に行った奴多くて。それで、俺大阪旅行は何回か行ってんの」
あ、そゆこと。
「いやでも」
「まあ、施設に里帰りってか顔見せに行くのも考えたけどさ……、うん」
これは突っ込んでいいとこなのか? それとも深く追及しないほうがいいポイントなのか?
ちょっと悩んでいると嵐斗くんが、はははぁと力が抜けたように笑った。
「今アテナちゃん、これ以上聞いていいのかな〜とか考えてるでしょ」
「う」
「うーん、なんて言うか、施設の園長が俺の母親だから、帰ってもなあと」
「ん、は?」
親元を離れて施設に来たのでは?
「園長の養子なんだよ、俺。基本的に、施設のこどもたちはいろんな事情があるから、元の親の戸籍に入ってる子が多いけど、俺はそうじゃなくて、引き取られた」
「うーん、よく分かんないけど……それって、嵐斗くんの元の親って分かんないもんなの? 戸籍? の? なんかそういうの書く欄とかあるんじゃないの?」
「…………」
なんかよく分かんないけど、戸籍って見る人が見ればそういうの分かるって言うじゃん。と考えていると、黙り込んだ嵐斗くんが、ぽつりと言った。
「そういえば……俺の戸籍、養子って書いてあるけどお前はちゃんと私たちのこどもだからね、って言われたことがあるような……」
「ふーん……。でも、よかったね」
「え?」
「嵐斗くんの親がどんなか知らんけどさ、今の親は優しい人たちなんでしょ? ……となるとやっぱ里帰りしてない嵐斗くんって……」
「よし、アテナちゃん、旅行は長野に行こうな、里帰りも兼ねて!」
で、出たな、嵐斗くん必殺ごまかしながらのてのひら返し!
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