悲しきかな恋をする

「なんかなんかなんか! いい感じじゃないですか!?」
「新、声でかい」

 裏庭の掃除をしながら、あたしはみこちゃんに今日あった出来事をぶちまける。
 絶対これ、いい感じだ。吉川さんはあたしを、新手の詐欺師からかわいいその辺の女子高生に格上げしてくれたに違いない!

「……それ格上げ?」

 呆れたように疑問符を投げかけるみこちゃんが、校舎のほうをちらりと見やり、声を上げた。

「早坂先輩」
「げっ」
「げっとはなんだ、この問題児!」

 またも窓から身を乗り出して参上つかまつっている早坂先輩が、鬼の形相であたしを糾弾した。こんなときにまでお説教するのか、信じられない鬼悪魔だな。

「だいたいお前、俺のファンだろ、おかしいだろその態度!」

 うわあ、自意識過剰にもほどがある。

「ファンだったのはみこちゃんです、あたしはもともと早坂先輩には一ミリも、一ミクロンも興味ないんです!」
「なっ」

 眉を吊り上げ、あたしにぴしりと人差し指を突きつけた。人を指差してはいけませんよ、というのは小学生でも知っている常識だと思うのだが。

「俺だってお前なんか興味ねーよ!」
「じゃあいいじゃないですか、興味ないならほっといてくださいよ!」

 お互い興味がないどころかこうしていがみ合う仲に発展してしまったのだから、当たらず触らず関わらず、でウィンウィンではないのか。

「それがほっとけないから困ってんじゃねーか!」
「はあ? 意味分かんないんですけど?」
「俺だって分かんねえよ!」

 早坂先輩自身にすら分からない彼の事情をあたしが知ったことか。むっつりと睨みつけると、彼は一瞬ひるんだのちに果敢に説教を続ける。

「お前、だいたい、あんな年上の作業員さんと仲良くしやがって」
「またその話ですか」

 もういい加減うんざりだ。人は年齢じゃないってば。

「むかつくんだよ、俺のことは見向きもしねえくせに」
「はあ?」
「女子高生は女子高生らしく俺みたいな先輩にきゃあきゃあ言ってればいいんだよ!」
「うわあ……」

 なんだこの絵に描いたような傲慢っぷりは。自分がきゃあきゃあ言われる対象であることを微塵も疑わない純粋なゆるキャラのような自信はどこからくるのだ。
 ねえみこちゃん。と同意を得ようと横を見たら、みこちゃんどころかほかの掃除担当のクラスメイトも消えていた。
 あれ、みんなどこへ行ってしまったのだ。辺りをきょろきょろ見回すが、スカートの裾すら見当たらない。ゴミ捨てでも行ったのだろうか、面倒な早坂先輩の処理をあたしひとりに任せて。なんて友達がいのない子たちなのだ。ガッデム。
 しかしいないものは仕方がないので、早坂先輩をとっとと追い返そうとまた睨む。

「で、何を言いに来たんですか。あたしは絶対、旧校舎に通うのやめませんからね!」
「やめろよ!」
「なんでですか」
「俺が嫌なんだよ!」
「風紀とか品位とか、そういうのは聞き飽きました」
「そうじゃなくて!」

 ああもう、と悶絶しながら早坂先輩が両手で髪の毛をぐちゃぐちゃにして、強くあたしを睨みつけた。負けじと睨み返すと、一瞬何か詰まったような顔になって、だけど言い放つ。

「俺にすればいいだろ!」
「は?」
「ふつうに、女子高生っぽく、俺を好きになればいいだろ!」
「何言ってるんですか頭打った?」
「俺はお前が好きらしいんだよ!」

 目が点になる。

「…………はあ?」
「俺だって信じたくねえよ、こんないけすかない後輩! でもなんか、お前のことほっとけないし、あの作業員さんしか目に入んないお前見てたらちょっと傷つくし、……これって恋だろ、おい?」
「……」

 何を言っているんだろう、この人頭おかしいんじゃないのか。

「お前が恋愛感情云々いうからおかしくなっただろうが……」

 あ、おかしいっていう自覚はあるんですね。
 あたしのせいだって言いたいのか。じとりと見つめると、顔を真っ赤にして身を乗り出していた窓から少し離れて、怒鳴った。

「好きだこの野郎! ばーか!」
「はっ?」

 ちょっと待って捨て台詞がすさまじく小学生なんだけど。
 そのまま廊下を早歩きで去っていってしまった早坂先輩のことを呆然と見つめていると、わらわらとどこからともなく掃除要員たちが戻ってきた。

「新、モテ期だね」
「えっ、……え、今のそうなの?」
「早坂先輩って案外こどもっぽいんだね、冷めるわ……」

 みこちゃんのぶれないミーハーぶりにも驚くが、そんなことより今はもっと重要なことがある。

「えっ、今の何?」
「新、告白されたんだよ」
「早坂先輩に好きだって言われてたじゃん」
「え、えっ……?」

 頭の中がしっちゃかめっちゃかになってよく分からない。ええと、早坂先輩はあたしのことがむかつくけど、好きです。ということ?

「意味分かんないんですけど」
「うわっ、早坂先輩、可哀相」

 まったくもって意味が分からない。早坂先輩があたしのことを好きだなんて、信じられない。あんなに目の仇にして散々説教の餌食にしておいて、今更好きだなんてちゃんちゃらおかしな話である。
 ほうきの柄を握りしめて、あたしはじっと地面を見つめる。
 なんだかんだで人生で初めて面と向かって告白を受けたはずなのにまったく気分がよくないのはなぜなのだろう。ぼんやりと、誰かに告白されるなら、と思い描いていた理想像とはずいぶんとかけ離れてしまっているせいだろうか。

「新って告白されたことなかったの? かわいいのに」
「電話とかでなんとなく〜、ならあるけど、こうやって顔を合わせて言われたのは初めて」

 好きだ、と直球で言ったまではいいが、そのあとに馬鹿をつける必要性があったのか、はなはだ疑問である。なんだかその、馬鹿、のせいですべてが台無しになっている気がする。

「なんて言うか、でもなんかちょっと悔しいな」
「え?」

 みこちゃんがぽそりと呟いた。

「早坂先輩を先に見つけたの私なのに、なんで新が告白されてるんだろう」
「えっ」

 いつになく真剣な声色に、あたしは本能的にまずいと感じた。これは、友情崩壊の危機では?
 慌てていると、みこちゃんはぶっと吹き出した。

「告白されたかったわけじゃないんだけどさ」
「う、うん」

 たらりたらりと冷や汗がわき出てくる。もしこれでみこちゃんとの友情がおしゃかになったら、誰に損害賠償を要求すればいいのだ。早坂先輩か?

「なんだろう、早坂先輩はもう完全に冷めたんだけど、なんか悔しい〜」
「う、うん」
「あ、別に新に気にしろとか言ってないからね」

 いや……言ってるでしょ? ちょっとは気を使え、みたいな感じになってるでしょ……?
 おののいているあたしを見て、みこちゃんはげらげら笑う。

「ごめん、ごめんって! でも悔しい女心は分かってよ!」
「わ、分かるよ……」

 強張った笑みを浮かべていると、今度は先生がひょいと窓から身を乗り出した。

「きみたち、さっきからおしゃべりしてるけど、掃除終わったのかい?」
「あ、すみませ〜ん」

 そそくさと裏庭をやっつけで片づけて、掃除器具をロッカーにしまっておのおの部活に行ったり帰宅の途についたりする。あたしとみこちゃんは、駅までの道を歩きながら、こんな話をする。

「吉川さんってほんとに彼女いないの?」

 みこちゃんの疑問に、あたしが疑問を覚える。

「え、なんで?」
「いや……だって、まったくもって新に同調するわけじゃないけど、いい感じのおじさんだし、力仕事で汗かくわりには清潔感もあるし、顔だって見ようによってはまあイケメンでも男前でもかわいくもないんだけどどこか愛嬌があるというか」
「でしょお! みこちゃんもついに分かったんだねあの魅力!」
「同調はしてないんだよ。客観的事実を述べたまでで、あくまで私はイケメンが好き」

 うんざりした様子でさらりと否定して、だから、と続ける。

「だから、彼女くらい実はいるんじゃないのかなあって」
「…………」

 一理ある。いや、百理くらいある。
 吉川さんはすごく優しいし、あたしが吉川さんの友達だったら絶対恋愛対象にしてるし、笑うと豪快な感じがにゅっと緩んでかわいいし、え、待って。

「……いや、ないよ」

 そこではたと我に返って冷静になる。

「なんで?」
「吉川さん、嘘つけなさそうだもん。それに、作業員さんたちみんなに、彼女いないってからかわれてた」
「ふうん、そうなんだ」
「吉川さんは優しいから、彼女がいたらきちんとあたしのことをお断りする気がするの」
「ああ、なるほ……、ん?」

 言葉を途中で切ったみこちゃんが、ふと呟く。

「新、自分がお断りされてないと思ってるの?」
「え、違うの?」
「違わない? 確実に迷惑がられてない?」
「…………いや! いい感じだった! 今日のお昼はめちゃくちゃいい感じだった!」
「必死すぎ」