もちを焼く

 信じられない、この鬼畜が。

「お前っ、まだ懲りてなかったのか!」
「うるさいですー!」
「いいからこっちこい!」
「やですー!」

 呆然としている吉川さんのとなりから引き剥がされ、早坂先輩はあたしをずるずると引きずっていく。やめろ離せを連発するも、不屈の早坂先輩はまるで意に介すことなくあたしを引きずっていく。
 中庭で、たくさんの生徒がお昼を食べているそのすみっこでねちねちねちねち説教される。

「こないだも言っただろ、ああいう風紀を乱す行動をとられると、鷹宮学園の品位が疑われる」
「なんですか、生徒会だからってえらぶって!」

 ぶすっとして怒鳴り返すと、早坂先輩は鬼の首を取ったかのような顔をした。

「えらぶってない、実際えらいんだし、俺たちには校内の風紀を取り締まる義務がある」
「だいたい、作業員さんとお昼ご飯食べてたら疑われる品位ってなんですか!?」
「お前、あの人いくつだと思ってんだよ、淫行だぞ、い、ん、こ、う!」
「お昼食べてるだけでそこまで想像できる妄想力がこわいですね!」
「この、減らず口……!」

 何が風紀だ品位だ!
 頬を膨らませていると、早坂先輩は同じようなことを手を変え品を変えぐだぐだと説教している。その姿に、みこちゃんの言う格好いい先輩の面影は一切ない。ひょっとして早坂先輩は日頃のストレスをあたしに怒鳴り散らすことで解消しているんじゃないかと勘繰った。
 そして、早坂先輩が説教を切り上げて完全に姿を消したところで、あたしは小走りで旧校舎に戻る。

「吉川さん!」
「え」

 戻ると、吉川さんはベンチから少し離れたところでしゃがみ込んでいた。その手元を覗き込むと猫がいる。

「猫」

 どうやら猫にお弁当のおかずをあげようとしていたらしい。なんだか微笑ましい、と思った次の瞬間、吉川さんが箸でつまんで地面に置こうとしていた玉子焼きを猫が俊敏な動作で奪い取り、ついでとばかりに吉川さんの顔にパンチをかまして逃げていく。

「いてっ」

 猫に嫌われた吉川さんの顔には、爪が引っ掻いたのか小さな切り傷ができている。彼はそこをシャツの袖で拭い立ち上がり、そして一部始終を見ていたあたしにごまかすように聞いた。

「お嬢ちゃん、なんで戻ってきたの?」

 なんでって、あたしのお弁当もこのベンチに置きっぱなしだったし、吉川さんのお弁当箱も回収していないし、何よりあんな奴に屈するなんてあたしのプライドが許さない。

「猫は、目を逸らすといいんですよ」
「はい?」
「じっと目を見つめたらいけないって聞いたことあります」
「そうなの?」

 てのひらで傷を擦っている吉川さんがベンチに座る。
 ちょこんと吉川さんのとなりに座ってお弁当の続きに手をつけると、彼はぼそりと呟いた。

「青春してるな」
「へ?」

 箸を止めて、吉川さんの顔を見る。
 吉川さんは、なんだか遠くのあらぬ方角を見つめながら、またも呟く。

「あの生徒会の子、けっこうイケメンだし」
「……」
「いいじゃん、お嬢ちゃん、ああいうの楽しいだろ?」
「…………」

 この人は何を言っているのだ。あたしが一ミリでも、一ミクロンでも楽しそうに見えたのなら眼科に検診に行った方がいい。

「先輩と仲良くしたりさ、そういうのをやっぱお嬢ちゃんくらいの年の子は……」
「やきもちですか?」

 吉川さんの、何とも言い難い複雑そうな表情を見ていて、自然にぽろりとその言葉が飛び出た。

「な! んなわけあるか、馬鹿!」
「……」

 吉川さんの顔が瞬時に赤く染まる。まるで説得力がない。
 じわじわくる。うれしい。吉川さんが早坂先輩に嫉妬してくれた。

「ただ俺は、こんなおっさんよりああいうイケメンの先輩と仲良くしてたほうが楽しいんじゃないかって……」
「吉川さんと一緒が一番楽しいって言ったじゃないですか!」
「いや、だから」
「早坂先輩がイケメンだから、嫉妬してるんですね? そうなんですね?」
「ちげーよ!」

 口を開けば開くほどにいそいそと墓穴を広げている吉川さんがいとおしすぎて困る。

「そんな、心配しなくても、あたしは吉川さん一筋ですから!」
「そんなことひとつも心配してねえからな!」
「……吉川さんはあたしの愛情を信じて疑わない!?」
「そうじゃねーよ!」

 吉川さんは、赤い顔のままぷいっとあたしから視線をそらし、がつがつと乱暴にお弁当を掻きこみはじめた。どう見ても、恥ずかしさとか照れ隠しのようなものが透けて見えるのだが。
 こんな吉川さんが見られるとは、早坂先輩、害虫のようで意外といい仕事をするな。

 ◆

 次の日も、やはりあたしはせっせとお弁当をつくって、それからタッパーにイチゴを忍ばせて旧校舎に乗り込んでいた。はずだった。

「やめてよ!」
「この、スーパー問題児が!」

 本校舎のピロティを出たところで、待ち構えていたように仁王立ちしていた害虫に捕まる。首根っこを掴まれて睨み合っていると、ふわっと声が降ってきた。

「まあまあ、早坂。そう躍起にならなくても」
「でも、風見先輩」

 風見先輩、と早坂先輩が呼んだこの人は、んん、見覚えがある、生徒会長だ。早坂先輩のことは覚えていなかったが、会長はさすがに総会で演説をしていたから覚えている。くっ、仲間を連れてくるとは小癪な。
 と思って早坂先輩を睨みつけると、風見先輩はあたしの首根っこを掴んでいた早坂先輩の手を掴み、あたしを解放した。

「別に、こういうのは先生の仕事だし、俺らが目くじら立てることじゃないだろ」
「でも、校内の風紀が乱れるのは……」
「乱れてんの?」
「……」

 穏やかな、けれど容赦なくやんわり責める言葉に、ぐう、と早坂先輩が黙り込む。グッジョブだ、生徒会長。さすが、人の上に立つ人は違う。

「じゃ、そういうことで!」
「ちょっと待って、そこの一年生」

 ぴゃっと飛んでいこうとしたら、今度は風見先輩に首根っこを掴まれた。予想外の展開だ。

「な、なんですか」
「俺たち生徒会は風紀を正すために存在してるわけじゃない、ってのが俺の主張だけど、あんたの行動次第であんたが風紀を乱すきっかけになり得ることは忘れないでね」
「……」
「そして、風紀が乱れてしまったときに一番迷惑を被るのはあんたじゃなく俺でも早坂でも学園でもなく、例の作業員さんだということも」
「…………はい」
「よろしい」

 しっかりどっすり五寸釘を刺され、あたしはすごすごと遠慮がちに旧校舎のほうへ向かう。背後で、ふたりが何やら口論をしている様子だが、無視だ。
 ただし、すごすごは所詮ポーズで、ふたりの姿が見えなくなった途端、あたしはいきいきと走り出した。

「吉川さん!」
「ああ、お嬢ちゃん」

 へらりと笑って、吉川さんがタオルで汗を拭きながら近づいてくる。今日も素敵だ。
 ほかの作業員さんたちにも忘れずに挨拶をする。

「こんにちは!」
「今日も威勢いいな、お嬢ちゃん」
「はいっ!」

 元気に返事をすると、その中でまあくんさんが鼻で笑う。

「威勢だけはな」
「時にまあくんさん」
「あんだよ」

 自分で呼べと言ったくせに、実際呼ばれると面倒くさそうな顔をするまあくんさんに、タッパーを差し出す。

「何」
「イチゴです」
「え、くれんの?」
「もちろんタダでとは言いませんが」
「何が目的だよ」

 にひひ、と笑うと、まあくんさんは気味悪そうに数歩後ずさる。

「まあ、それはのちのち」
「……」

 揉み手をしながらまあくんさんにタッパーを押しつけ、それから吉川さんに満面の笑みでお弁当を差し出した。
 ところが吉川さんはなんだか微妙な顔をしていた。

「吉川さん?」
「まあくんさんってなんだよ」
「予行練習です」
「何の?」
「内緒です!」

 さすがに吉川さんの愛称をお兄さんにつけているとは白状できまい。
 吉川さんの腕を取り、ベンチにぐいぐい誘導する。作業員さんたちは生ぬるい笑みを浮かべてそれを見守っている。吉川さんは、もうすっかり諦めたようで、あたしのなすがままになっている。
 なんだか迷惑そうな、困ったような顔をしているわりには、吉川さんはお弁当箱のふたを開けるといつもちらりと目を輝かせる。吉川さんに、お弁当だけでも好印象を持ってもらえているなら、それはとてもうれしいことだ。

「そうだ、吉川さん」
「ん?」

 おかずを食べながら吉川さんが気のない返事をした。

「あたし、一度はやってみたかったことがあるんですけど」
「何?」

 自分のお弁当のおかずを箸で挟み、持ち上げる。それを吉川さんの口元に持っていくと、目に見えて動揺した。

「あーん、してください!」
「いや、あのちょっと待って」
「あーん!」
「さすがにそれは……」
「それは?」

 じっと見つめると、ぐっと黙る。そのまま、しばらく無言の攻防が続く。あたしが吉川さんに箸を近づけると吉川さんはその分下がって、を繰り返し、そのうちベンチの肘掛けに当たって逃げ場がなくなった。
 そして、長い長い沈黙に押し負けた吉川さんが、諦めたように口を小さく開いた。そこに、おかずを放り込む。箸を口から引き抜くと、吉川さんはおかずを噛み砕き始めた。
 もぐもぐしながら、吉川さんがうなだれた。

「どうなさいましたか?」
「どうしたもこうしたも……」

 がっくりとこうべを垂れて両手で顔を覆っている彼の、ちょっとだけ見える横顔が赤く染まっているのを発見する。これは、照れているよね、きっとそうだよね。少なくとも、あたしにあーんをされて照れているということは、異性としては自覚してもらえているよね。
 うきうきしながら自分のお弁当の続きを食べようとして気がつく。このまま食べたら、吉川さんと間接キスになるのでは?
 それに気づいた瞬間、ぼっと吉川さんに負けないくらいに顔が赤くなって、手が止まった。

「……お嬢ちゃん?」
「……」
「おーい」
「…………」

 恥ずかしさと照れと興奮でがちがちに固まってしまったあたしを、吉川さんは不思議そうに見て、それから動かないあたしの肩を揺さぶった。はっとする。
 吉川さんの手が触れていることに気づいてますます顔が赤くなってしまい、あたしはもうどうしていいのか分からなくなって、勢いをつけて立ち上がる。

「お嬢ちゃん?」
「あの、きょ、今日は帰ります」
「え、なんで?」

 ぽかんとしている吉川さんに名残惜しくも背を向けて、あたしはその場を急いで立ち去った。ばたばたと旧校舎のピロティを通過しようとすると、そこに作業員さんたちが固まっている。

「あれ? もう帰んの?」
「出直してきます!」
「は? あ、イチゴ美味かったよ」
「お粗末さまでした!」

 まあくんさんの脈絡のない言葉に我ながらわけの分からない応答をして、そこをたたっと走り抜ける。
 本校舎に戻ってきたところで気づく。吉川さんのお弁当箱を回収していない。
 放課後取りに行くことになるのだろうことを考えて、放課後までに平常心を取り戻せるのか少しだけ心配になるも、しなくちゃいけないのは分かっていてうなだれる。
 とりあえず顔の熱を取ろうと手であおぎながら教室に戻る。

「あれ、新早くない?」
「諸事情ありまして……」

 迎えてくれた友達がきょとんとしている。あたしは、お弁当箱を机の上に置き、それを睨む。どうしたものか。箸を洗うべきか、覚悟を決めてそのまま食べるべきか。
 そのまま食べるにはあたしの気持ちが爆発してぱあんと破裂してしまいそうだが、洗うのはそれはそれで吉川さんに失礼だ。
 悩んだ末に、あたしは覚悟を決めた。
 一口目は手が震えたが、二口目からは案外平気であることに安堵しながら、ぱくぱくお弁当を食べ進める。この分なら、放課後何事もなかった顔でお弁当箱を回収に行ける。
 しかし結局放課後旧校舎に行くも、吉川さんはおらず、ピロティにお弁当箱が置いてあり。持って帰ってよいものか悩んでいると、ほかの作業員さんが通りかかって、吉川さんからの「ありがとう」の言伝を伝えてくれた。
 気合いが完全に空回ったあたしは、旧校舎のどこかで作業をしているだろう吉川さんに、ぶつぶつと恨み言を吐いた。