言葉が欲しいよ

 すっかり冬だ。北風がぴゅうぴゅう吹いている。あたしとみこちゃんは帰宅途中とある駅で降りて駅ビルにいた。

「これ、どうかな」
「いいんじゃない」
「こっちとかもいいかな」
「うん、いいんじゃない」
「あっでも、この色も……」
「いいんじゃない」
「みこちゃんさっきからそればっかりだよ!」
「だって私全然関係ないんだもん。それよりおなかすいたし、どっか入らない?」
「そんな非協力的な態度だと、いつか訪れるみこちゃんの恋を応援してあげないよ!?」
「新に応援されたら実るものも実らないな」
「失礼だよ!?」

 フードコートのほうに歩き始めたみこちゃんを慌てて追いかけながら文句を言うと、みこちゃんはため息をついて振り返る。

「私は今んとこ彼氏はいいかなー」
「なんで?」
「ほら、イケメンは見てるだけで幸せっていうか」
「それ早坂先輩の時言ってたね」
「でしょ? で、現実の早坂先輩はどうよ、正直夢破れた感半端ないでしょ?」
「……」

 その通りなので何も言えない。

「理想壊すの嫌だから、好きな人できても見てるだけがいいのかもなあ」
「そんなの、つまんないよ!」
「じゃあ新今楽しいの?」
「楽しい! 人生バラ色!」
「……」

 みこちゃんが目を眇めた。なんだ、と思っているとまた歩き始める。それについて行きながらみこちゃんの様子をうかがっていると、またため息をつかれた。友達に対してその態度、いつかバチ当たっちゃうよ。
 フードコートでドーナツを食べながら学校の話とか吉川さんの話とかして、みこちゃんと駅で別れる。
 みこちゃんの言ってることはまったく分からない。あたしは好きな人ができたら後悔しないように全力で行動したいし、それに最初に好きになった時とその後の像が違っても、好きな人は変わらず好きな人だし。吉川さんだって、あたし最初はもっとイケイケなおじさんなのかと思ったし。
 実際のところ吉川さんはイケイケとは程遠く、ちょっと気弱な空気すらある。でも別に、吉川さんがイケイケだって想像して好きになったわけじゃないからなあ。
 電車に揺られながら買った物をかばいつつ、結局みこちゃんはきっと理想が高いんだ、という結論に達した。
 成績も、あたしと違って超優秀だし、それはつまりそうなるために並々ならぬ努力をしているっていうことだ。可愛いし、そうなるための努力は惜しまないし。
 ……そう考えると、あたしって何もしてない気がする。勉強だって授業についていくのが精一杯だし、可愛くなるために特別何かしてるってわけじゃないし。勉強はともかく、吉川さんに可愛いって思ってもらえるように何かしたほうがよいのでは……。

 ◆

 本日は、ちょっと早いクリスマスデートなのである。あんまり遅くなるのは駄目、とクリスマス当日に吉川さんの仕事が終わってからの夜デートは却下された。吉川さん、お堅いんだ。ちぇっ。
 そしてあたしは朝から鏡と格闘していた。みこちゃんに教えてもらった、お化粧をしているのだ。
 とは言っても、そんながちがちにしたりはしない。お母さんに借りた化粧道具で、薄くフェイスパウダーを伸ばして軽くマスカラをつけてカールさせた。あとは、自分で買ったピンク色のグロスをつけたら終了だ。正直あんまり変わってない気もする、けど変わるほどやったら今度はお前誰だ状態になりそうだから、これくらいが妥当か。
 お母さんに化粧道具を返すと、あたしの顔を凝視したお母さんはにこっと笑った。

「可愛くなったじゃない」
「ほ、ほんと?」
「うん。新くらいの年なら、まつげ上げるくらいでいいのよ」
「吉川さん、可愛いって言ってくれるかな……」
「……」

 しまった、様子見、のお母さんに吉川さんの話は禁句だった。
 一気に苦い顔になったお母さんだったけど、ふうと細いため息をついてやれやれと首を振った。

「お母さんの娘だもの。可愛くないはずないわ」
「……」

 たしかに、お母さんは美人っていうか可愛い寄りなんだけど。
 なんだか釈然としないまま、あたしは着替えてコートと鞄を手に取って玄関に向かう。
 あとからお母さんがついてきて、またため息をつく。

「あんまり遅くならないでね」
「大丈夫だよ」
「あと、ご迷惑をかけないように」
「大丈夫」
「それから、これ忘れてる」
「あー!」

 昨日作業したままリビングに置きっぱなしにしていたそれをお母さんが持っていて、あたしは慌ててそれを受け取った。
 コートを着てブーツを履いて、鞄とそれを持って玄関のドアノブに手をかける。

「じゃあ、行ってきます」
「……気を付けてね」

 一歩外に出ると、冷たい空気があたしを包む。この空気は嫌いじゃない。
 吉川さんとの待ち合わせの駅まで行く電車がいつもよりのろのろに感じて、気がはやっているのを実感する。吉川さんと会う時は、いつもこう。
 駅前の広場みたいな待ち合わせ場所に着いて時間を確認すると、あんなに遅いと思っていた電車は時間通りに運行していたらしく、きっちり待ち合わせの三十分前だ。一応辺りを見回すけど吉川さんの姿はない。
 改札を見渡せる柱の前に立ってじっとしていると、何本目かの電車から吐き出された人の波の中に吉川さんの姿を見つけた。

「吉川さん!」

 大声を出すと、吉川さんがきょろきょろしてからあたしの姿を認めて笑った。それから、小走りでやってくる。

「こんにちは!」
「うん」

 お化粧しているの気付いてくれるかな、とそわそわしていると、吉川さんはあたしのそわそわをまったく感知しないで手をつないだ。ヒイィ。慌てて手に力を込めると、吉川さんが顔をしかめた。

「冷てえ」
「え?」
「手。冷えすぎじゃねえ?」
「そ、そうですか?」

 たしかに吉川さんの手は温かいけど……そんなに冷たいかな。自分の手を見る。

「どんくらい待ってた?」
「え、あ、えっと、そんなに待ってないですよ……」
「ごめんな。もうちょっと早く出る予定だったんだけど」
「いいんです! まだ待ち合わせの五分前です!」
「でも新ちゃんいつも早く来てるし……」

 なんだか申し訳なさそうな顔をしている吉川さんの手を、あたしはぎゅうっと握った。

「じゃあ、吉川さんがあっためてください」
「……」
「ね!」
「……おう」

 少し頬を赤くした吉川さんが、だったら、と言って手を離した。なんで、と思う間もなく、今度は指を絡めてつなぎ直されて。

「こっちのが、いいだろ」
「……」
「新ちゃん?」
「は、はい……」

 これは! 噂に聞く! 恋人つなぎ!
 デート中手のことばかり気になって、あたしは吉川さんの話にずっとしどろもどろで、恥ずかしかった。吉川さんの指は、節くれ立っていてあたしの指とは比べ物にならないくらい大きくて太くて、びっくりするくらい温かかった。
 そしてあっという間に、日が暮れてしまう。九月のデートは長く一緒にいられたのに、冬のデートはそうじゃないのがたまらなく不満だ。そして、腕時計で時間を確認した吉川さんが、そろそろ、と言う。

「そろそろ帰るか」
「も、もうですか……」
「夕飯までには帰さねえと」
「ご、ご飯、ご飯だったらお母さんにメールして食べて行ってもいいと思います!」
「駄目」
「せめてイルミネーション……」
「駄目」

 ぐう、こんな時だけ、しっかり大人だ……。
 電車に乗って、とぼとぼと家までの道を歩きながら、あたしはふと思い出す。

「あ、吉川さん」
「ん?」
「これ」
「んー?」

 手を離して、あたしが持っていた紙袋を差し出すと、吉川さんはきょとんとした顔でそれを凝視した。

「何?」
「く、くりすますぷれぜんと、です……」
「えっ」

 そう言うと、吉川さんはほんとうに驚いたような顔をして、今度はあたしがきょとんとする番だった。
 ん、と差し出すと、吉川さんは困った顔でそれをなかなか受け取ろうとしない。

「吉川さん?」
「……受け取れない」
「え!? なんで!?」
「……」

 あたしの悲痛な叫びに、吉川さんがますます困った顔をしてぼそぼそと話し出す。

「……実は、新ちゃんは何が欲しいのかもよく分からない上に仕事が忙しくて新ちゃんにプレゼントを選べてない……」
「……それが?」
「おかしいだろ、俺だけもらうなんて」
「……なんで?」
「新ちゃん……」

 信じられないものを見るような目つきで吉川さんがあたしを見る。あたしは、意味が分からなくて一歩後ずさる。

「新ちゃんは、自分をもうちょっと大事にしろ」
「え?」
「いや、ちょっと違うか……なんつーか、もっと欲を出せ」

 吉川さんの言いたいことはよく分からないままだったが、どっちにしろこれは吉川さんのためのものなのだから、吉川さんが受け取ってくれないと困る。

「あの、でもこれはあたしが持っていても仕方のないものなので」
「……」

 苦虫を相当数噛み潰した顔で吉川さんが紙袋を受け取って中身を少し引きずり出す。そして、ん、という顔をした。

「これ……」
「あの、あたし編み物初めてで……お母さんに教えてもらいながらやったんですけど、うまくできなくて」
「……」
「編み目とか、がたがたで……何回かやり直したんですけど、あの……や、やっぱり使わなくていいです! 返してください!」
「……」

 言いながら泣きたくなってきて、あまりにひどい出来のそのマフラーを奪還しようと手を伸ばすと、吉川さんがひらりと袋を持ち上げた。
 見上げると、吉川さんはへらりと笑った。

「ありがとな」
「……」
「大事にする」
「……!」

 胸が詰まる。うれしいはずなのに、ぎゅっと苦しくなって痛い。
 いろんな気持ちがあふれ出しそうで、それを必死で我慢していると、吉川さんが気まずそうに言った。

「あの、さ。今更だけど、欲しいもん言ってみ?」
「あたし何も……」
「じゃあ、なんかわがままでもいいから、言ってみ」
「……」

 吉川さんともっと一緒にいたい。でも、それはきっと吉川さんを困らせてしまうだけだ。
 吉川さんに嫌われたくないから、わがままは言えない。でも、せっかく言ってみ、と言ってくれているなら。
 必死で考えて、これくらいならきっと許される、と思って恥ずかしいけど口に出してみる。

「あの」
「うん」
「……ぎゅって、してください」
「……」
「それから、キスしてください」
「……」
「あと、あと、そのあと、あの、あの、……あいしてるって、言ってください」
「……」

 住宅街の道路にしみ渡る無言。
 やっぱり駄目だったのかな、と思って顔を上げようとすると、それより早く腕を引かれて体が傾いた。

「わっ」

 ぽすっとたくましい胸に受け止められて、心臓が全速力で稼働し始める。そのまま吉川さんの腕が背中に回り、ぎゅうっと強く抱きすくめられる。どきどきしながら、あたしも腕をそうっと吉川さんの背中に這わせると、ぴくっとその背中が跳ねてますます腕に力が込められた。
 ぎゅっと目を閉じて、しがみつく。こんなに胸が痛いの、初めてだ。
 首筋に額を擦りつけると、吉川さんの匂いがした。
 涙が出そうだ。おかしいな、こんなにうれしいのに。幸せなのに。涙なんて、おかしいな。

「……」

 そのまま、ゆっくり体が離れて冷たい風が通り抜けた。暗くて吉川さんの顔はよく見えないけど、これだったらきっとあたしの真っ赤な顔も見えてないと思った。ゆっくり目を閉じる。
 羽毛が触れるような柔らかくてふにゃっとしたキス。何回かついばまれて、ぽやんとした頭がこれ以上は恥ずかしくて死んじゃう、って言ってるけど、死んじゃってもやめたくない。
 恥ずかしいのにうれしくて、吉川さんの唇が離れていったのが少しさみしくて、あたしはもう一度吉川さんに抱きついた。
 吉川さんはしばらくなだめるようにあたしの髪や首筋を撫でていた。その指がためらうように耳に触れて、そっと耳元でため息が吐き出される。

「吉川さん……?」
「……駄目だ」
「え?」
「俺の柄じゃねえんだよ、そういうの……」

 何のこと、言っているんだろう。ふわふわと考えるけど頭がよく回らない。

「……あのさ、どうしても言わなきゃ駄目か?」
「え……?」

 はっと意識がクリアになる。
 吉川さんは、言ってくれないんだ。それは、あたしのことを好きじゃないから?
 抱きつく腕に力を込める。しがみついてないと、涙が出そうだった。吉川さんがちゃんとここにいてくれて、それであたしのことをちゃんと抱きしめてくれているのを実感しないと、立っていられないくらいだった。

「別に、言わないから好きじゃないとか、そういうわけじゃねえんだけどさ」
「……」
「なんつーかその……あれだ。人には向き不向きってのがあって」

 言ってくれないけど、あたしのことをちゃんと好きでいてくれるって信じたい。不安に胸が押し潰されそうだけど、信じないと。
 あたしはそうっと吉川さんから離れて、ぎゅっと拳を握りしめた。

「……ごめん」
「……いい、です。大丈夫です」
「送ってく」
「……」

 握りしめた手を取って、さっきより少しだけスローな歩幅で吉川さんは歩き出す。それでもあっという間にアパートについてしまって、あたしは部屋のドアを背に、吉川さんをじっと見た。

「あの」
「ん?」
「また、会えますか……?」
「……会えるよ、何急に」
「……」

 どうしても、怖い。好きなのはあたしばっかりで、吉川さんはあたしのことを全然なんとも思ってないんじゃないのって。
 あたしがうつむくと、吉川さんはぽつんと言った。

「新ちゃん」
「……」
「俺は、うまいこと言ってやれないけどな」
「……」
「ちゃんと、その……好きだよ」
「……!」

 はっとして顔を上げると、大きな手が伸びてきてあたしの目を覆った。

「見んな」
「吉川さん」
「マフラー、ありがとな。大事にする」
「……はい!」

 そっと手が離れていって、吉川さんをちらりと見ると、その精悍な顔は真っ赤に染まっていた。
 ちょっとだけ、切なくて苦しくてうれしい、少し早いクリスマス。