波乱の文化祭
クラス全員分の名前が背中に入ったオレンジ色のパーカーと猫耳のカチューシャをつけて、みこちゃんと校内を回る。広い校内でいつもはわりと閑散としているけど、今日に限っては人でごった返している。今日は日曜日、文化祭二日目。じゃがバターを買って二人でほくほくしながら歩いていると、前方から生徒会の腕章をつけた早坂先輩がやってきた。上履きの色からして二年生であるらしい女の子とお一緒だ。おっ、という感じで、あたしとみこちゃんはそっと様子をうかがうことにした。
「文化祭に一人むなしく見回りとか」
「うるさいな、だったらついてくるなよ」
「別に……私はただ早坂が可哀相だと思って」
「大きなお世話だ」
「ねえうどん奢って」
「絶対やだ」
不機嫌そうな早坂先輩と、それをからかいながら追いかける女の子。
「ねえ後夜祭も生徒会?」
「そうだよ」
「自由時間一切ないの?」
「いや……キャンプファイヤーから自由」
「告白タイムも一人ぼっち?」
「うるさい」
「だったらさ……」
「馬鹿なこと言ってないでクラスの手伝い戻れよ」
「……はいはい」
早坂先輩は今、淡い恋心をばっきばきに踏みにじった。
告白タイムというのは、後夜祭のキャンプファイヤーの時間のことだ。おおやけにそう呼ばれているわけではないけど、その時間に告白すると成就する、ともっぱらの噂である。と、みこちゃんが言っていた。
ぱたぱたと去っていく女の子をじっと見ていると、早坂先輩がこちらに気付いた。
「あ、おい」
「……」
「なんだその目は」
憐れみを含んだ目で見つめると、先輩が眉を寄せた。あたしとみこちゃんはため息をついてかぶりを振る。
そのままじゃがバターが入っていた容器を近くのごみ箱に捨てて立ち去ろうとするあたしの肩を、先輩が慌てた様子で掴んだ。
「なんですか」
「お前、後夜祭暇だろ!」
「たとえ暇でも先輩には関係ないでしょ」
「ある! ちょっと、真剣な話があるから……」
「お断りしま……」
あたしはにべもなく断ろうとして気が付く。さっき去っていった女の子があたしのことを見ていることに。
怒りのようなものは感じないけど、ちょっとさみしそうだ。あたしがなんだか悪いことをしているみたいな気分になってしまうけど、こればっかりは仕方のないことだ。
「早坂先輩」
「あ?」
「ばか」
「はあ!?」
あたしの捨て台詞に激昂した先輩を放って、あたしとみこちゃんはさっさと逃走した。渡り廊下の人の波を縫い歩きながら、あたしはふんっとため息をつく。
「女心、全然分かってない!」
「……」
「どしたの?」
「いや……新が男心を分かってるかって言えば全然そんなことないよね……」
「えっ」
立ち止まる。がやがやとうるさい中であたしは、みこちゃんに言われたことを必死で考えた。
お、男心……?
そういえば、そんなことを考えて行動したことがない。つまり、こうされたら男はきっとこう思う、みたいなことだよね。したことない。
今まで吉川さんがどう思っているかとかあんまり考えて行動したこと、ないかもしれない。と言うよりかは、こうしたらうれしいかな、って思ったりすることはあるけど、男心とは無縁だ。
「やばい!?」
「え?」
「あたし自分のことばっか考えてる! やばい!」
「は?」
考えれば考えるほど、見事に自分のことしか考えていない自分がいる。これはまずい。
ぐるぐる考えているうちに、校内放送がかかった。早坂先輩の声だったので、生徒会による観覧終了のお知らせであることが分かる。人がはけていく。このあと、片づけをして後夜祭だ。
あたしたちも、急いで教室に戻る。ちなみにうちのクラスは、チュロスを売りつつ男子が女装してショーをするという謎の出し物になっている。
教室に戻ると、毛の生えた野太い足を惜しげもなくさらした男子たちが看板を撤去する作業に入っていた。
「それ、もう着替えたら?」
「けっこうこれ人気なんだよ」
みこちゃんのもっともなツッコミに、男子がにこにこ笑ってそう返す。末期だ。
そのまま片づけをしているうちに校庭にはやぐらが組まれキャンプファイヤーの準備がされている。実行委員と生徒会の人は大変だな、と思いながらあたしたちはホームルームで人数確認をして、校庭に飛び出した。女装していた男子はまだそのままの子たちもけっこういて、みこちゃんはげんなりしていた。
有志の人たちによる出し物も終わって、日が暮れてきてキャンプファイヤーに火がつけられる。皆がそわそわし始めた。あ、そうか、告白タイムだ。
ここに吉川さんがいたらな。そしたらあたし……。
なんだかすごくさみしくなって、キャンプファイヤーの火を見つめる。ゆらゆらと揺れる炎がよけいにさみしさを煽る。しかも辺りはいい感じの男女であふれかえっている。オーゴッド。
「……」
パーカーのポケットからスマホを取り出して、発信履歴を開く。ここをタップしたら、吉川さんにつながる。
考えるより先に指が動いていた。
「……」
コール音がして、ぷつっとそれが途切れる。
『もしもし』
「あっ、吉川さん」
『ん?』
「あの、あの」
両手でスマホをぎゅっと握りしめて、乾く喉をごまかしながら口を開く。
「ほんとうは、直接言いたかったんですけど」
『うん』
「あのっ」
「いた!」
「えっ」
鋭い声に振り返ると、早坂先輩がこっちに走ってくるのが見えた。くそ、こんな時に邪魔をされてたまるか。
あたしは走り出す。待てお前! と背後から絶叫が聞こえるが無視だ。
『どしたの?』
「追われています! ちょっと待ってください!」
『は?』
全校生徒が校庭にいるこの状態で早坂先輩をまくのはけっこう簡単だった。人ごみ目指して突っ切って、旧校舎のほうに逃げ込む。旧校舎、と言っても吉川さんたち作業員さんがきれいにしたので、新校舎という扱いになってはいるのだが。
森の中に逃げ込み、例の東屋に腰を落ち着ける。早坂先輩は追ってきていない。
『新ちゃん? 何してんの?』
「に、逃げていました……」
『逃げ?』
「あの、吉川さん」
『うん……』
「今、文化祭の後夜祭をやっているんですけど」
『ああ』
校庭のほうはわいわいにぎわっているのだろうけど、ここまで来てしまったらその喧騒も気にならない。
「キャンプファイヤーの時に、好きな人に告白すると成就するっていうジンクスがあって」
『……』
「吉川さん、……大好きです」
『……』
寒いのに、ぽかぽかと体の内側から熱が発せられて温かくなる。
吉川さんが無言になるけど、無音ではなくてしっかりとそこにいることが分かって、一気に会いたい気持ちが強くなる。
ややあって、吉川さんがふと息を吐いた。
『成就、しそう?』
「えっそ、それは、吉川さん次第で……」
『ははっ、だよな』
「しますか……?」
『……そうだなあ』
低い声で唸った吉川さんは、またこもった笑い声を漏らした。
『……まあ、なんだ』
「……」
『ありがとな』
穏やかに笑っている。でも、あたしと同じ言葉を返してはくれない。それが吉川さんだって分かっているけど、少しだけ不安になる。
やっぱり吉川さんはあたしのことを好きじゃないんじゃないかなとか。そういう気持ちがじわじわと襲ってくる。そんなこと、吉川さんには言えないけど。
「吉川さん」
「おい!」
「げっ」
もう逃げ場がない。これ以上森に深入りするのは暗いし怖い。近づいてくる早坂先輩をぎろっと睨むと、ちょっとひるんだようだけど近づいてくる足を止めはしない。
「お前、逃げんなよ!」
「邪魔しないでください!」
「あ? あっ、まさかお前あの作業員さんに告白……」
「そうですけど何か?」
「俺だって、俺だってお前のことがなあ……!」
「名前すら呼ばないでお前呼ばわりの人に割く時間なんかありませんっ」
「うっ」
その時、耳元で声がした。
『新ちゃん』
「あっ、はい! なんですか?」
『……来週、どっか行こうか』
「ほんとですか!? あたし、あの、吉川さんと一緒ならどこでもいいです!」
「お前俺を無視するなよ!」
こうして文化祭は、吉川さんは来てくれなかったし告白の返事もくれなかったけど、ちゃんと次があることを確認できて、終わった。
ぎゃんぎゃんわめいている早坂先輩を押しのけて校庭に戻る道で、あたしはぎゅっとスマホを抱きしめた。