運命って信じますか

 人を好きになる気持ちは、過ごした時間で徐々に育まれるものだと思ってたし、一目惚れとかそういうのは漫画の中だけの都合のいい話だと思ってた。
 とえらそうにつらつら分かったように言ってみても、所詮恋はトルネードでそしてハリケーンだ。あたしは実際、あの日森から救い出してくれた吉川さんに恋をしてしまったし、そうして心奪われてしまったらもうそこには相手への熱意しかない。

「吉川さん!」
「……」

 あくる日の昼休み、早速旧校舎に突撃すると、ほかの作業員さんたちとお昼ご飯を食べていた吉川さんがすごく微妙な面持ちで迎えてくれた。そこに近づいていくと、作業員さんたちは気を利かせてくれているのか面倒事に巻き込まれたくないのか、そそくさと自分の荷物を持って立ち去って行ってしまう。吉川さんがそれに気付いて自分もついていこうと立ち上がろうとするのを、腕を引っ張ってとどめさせる。

「えっ」
「吉川さん、それもしかしてコンビニ弁当ですか?」
「……ほっとけ」

 あぐらをかいて食べていた出来合いのお弁当を、あたしの非難めいた声色に分が悪そうに隠す吉川さんに、あたしはぐいっと近づいた。

「ご自分で作らないんですか?」
「朝時間ないんだよ」

 開き直ったようだ。吉川さんはため息をついて止めていた箸でおかずをつまんだ。

「駄目です! 栄養偏っちゃいますよ!」
「お嬢ちゃん……」

 彼が何か言いかけたところをかぶせるように言い募る。

「あ、そうだ。あたし、今度お弁当つくってきます!」
「え? 弁当?」
「料理は、得意なんですよ!」

 がしがしと頭を掻いて顔をしかめた吉川さんが、思い切ったように口を開いた。

「お嬢ちゃん、気持ちは嬉しいけど……」
「ほんとうですか! 好きなおかずとか、ありますか?」
「……」
「ありますか?」
「……玉子焼きとからあげ」
「意外と子供舌ですね。分かりました、だし巻き玉子とからあげですね」
「こっ……」

 脳内メモに、だし巻き玉子とからあげがインプットされる。
 ほんとうは、迷惑だって言おうとしていることくらい分かってる。でも、こっちが押さなきゃ一生縁のないだろう相手であることも分かってる。奥さんも彼女もいないなら、遠慮する必要なんてどこにもない。ほんの少しでもあたしが入る余地があるなら、絶対やらずに後悔なんて、したくない。迷惑をかけるのはそりゃあ少しは良心が痛むけれども、そんな痛みは迫りくる恋心にぼろぼろに負けた。

「お昼、まだ途中ですか?」
「あ? うん」
「じゃあ、ご一緒してもいいですか?」
「いや……」
「失礼しまーす!」

 吉川さんの隣に座り込みお弁当を広げると、吉川さんは諦めたようにつまんでいたおかずを口に運ぶ。あたしもお弁当をもぐもぐと食べていると、吉川さんが空を仰いでぽつりと呟いた。

「お嬢ちゃんはさ」
「宮本新です」
「俺の何が楽しいの?」
「楽しいって?」

 首と肩との付け根辺りを引っ掻いて、吉川さんが首をひねる。どうにも解せない、という顔をしているので、あたしは首をかしげた。楽しい、とはどういう意味なのだろう。

「だって、お嬢ちゃんくらいの年齢の子っていうのはさ、もっとほかに楽しいことたくさんあるだろ」
「……たとえば?」
「た、たとえば?」

 まったく想像できなくて聞けば、具体例を用意していなかったらしい吉川さんが少し戸惑ってから考え始めた。

「そうだな……友達と遊んだり、部活の先輩が格好いいとか騒いだり、勉強会とかしたり」

 吉川さんの言葉の意図がよく分からない。そういうことも、ちゃんとやってるつもりだ。もちろん、吉川さんにお熱なので、二個目の項目に関しては頷けないのだが。
 少しだけ吉川さんの言ったことを頭の中で反芻して考えて、それから口を開いた。

「……吉川さんといるのが、一番楽しいですよ」
「……」

 困ったな、と顔に書いてある。そんな吉川さんににっこり笑いかけると、吉川さんは黙っておかずを頬張った。

 ◆

「ええと、吉川雅信さん、七月二十日に四十三歳になる、身長が百七十五センチ、体重は不明、現在彼女なし、離婚歴もなし……」
「うふふ」
「よくまあ、四十三のオジサンを恋愛対象にできるよね」
「うふふふふ」
「しかも、肉体労働は汗臭いじゃん」
「うふふ」

 みこちゃんが、変な笑い方するなよ、と頭を小突いてきた。彼女が今述べたのは、あたしが数日かけて調べた(吉川さんから聞き出した)個人情報だ。大したものはないが、名前と年齢と誕生日は大きな成果である。何せ吉川さんはあたしのことを何か新手の詐欺かというくらい疑っているからだ。
 ところで汗臭いとはあまりにもマイナスな表現方法だ。香水のにおいをぷんぷんさせてるそこらへんのちゃらちゃらしたお兄さんより、よっぽど素敵だと思うのだけど。はたらいている、という感じがしてあたしは嫌いじゃない。
 洗剤のにおいと汗のにおいが混じった、吉川さん独特のにおいがけっこう好きだって言うとたぶん変態認定されるので黙っておくけど、でもそういうのって、誰にでも多かれ少なかれあると思う。

「そんなことより、二年の早坂先輩、かっこよくない?」

 みこちゃんが、吉川さんのことをそんなことの一言で片づけたことにいささかむっとしながらも話に乗る。実情として、これ以上吉川さんの話題を盛り上げるための情報がない。

「早坂先輩?」
「うん。生徒会の副会長なんだけど、昨日総会で檀上に上がってたじゃん」
「……」

 記憶を総動員して、吉川さんのことを考えていた昨日の総会のことを思い出す。ああ、いや待て。きりっとした顔をした生徒会長のことは覚えているけど、副会長まではちょっと覚えていない。何せ、生徒会長は何か話していたが、副会長は紹介だけじゃなかったっけ。

「なんかさ、文武両道らしいし、今彼女いないんだって!」
「……早坂先輩」
「というわけで、放課後バスケ部の見学行かない?」
「早坂先輩とやらは、バスケ部なの?」
「だから言ってんの」

 そんなことよりあたしは家に帰って、明日のお弁当のおかずを考えたいな。なぜなら、ようやく吉川さんのためのお弁当箱を入手したあたしは今日、吉川さんに「明日お弁当を作ってきますね」と宣言してしまったからだ。吉川さんが好きだって言ったから、だし巻き玉子とからあげは必須でしょ、あと彩りを考えると、何か緑色の野菜のサラダをつくろうかな、そういえば吉川さんって嫌いなものとかあるんだろうか。

「あたし、パス」
「駄目。一人で行くの恥ずかしいから。付き合ってよ」
「えー」

 興味ないのに。
 でもまあ、ほかでもないみこちゃんの頼みだし、仕方あるまい。あたしの話も面倒くさそうにしつつちゃんと聞いてくれる数少ない友達だし、早坂先輩の顔を認識したらとっとと帰ろう。

「ほら、あれ!」
「ん?」

 放課後体育館に向かうと、バスケ部の人たちがすでにアップをはじめていた。みこちゃんが指差したほうを見ると、バスケ部のウエアを着て数人で談笑している男子の姿が目に入る。

「どの人?」
「右から二番目の」
「あー」

 たしかに女の子が騒ぎそうな、人好きのする感じの顔というか、人当たりがよさそうっていうか、男前とかじゃないけど、いわゆるよくいるイケメンって感じの人だった。くるりと丸い目がかわいいけれど、全体的にクールな雰囲気が漂っているおかげかそのかわいさは短所になっていない風だ。笑うと、八重歯が覗く。
 あの瞳、誰かに似てるなあ、誰だろう。あっ。

「ねえ、みこちゃん」
「ん?」
「あの人、アレに似てるよね、アレ」
「どれよ」
「……なんか、えっと、ゆるキャラの」
「はあ?」

 みこちゃんが怪訝そうな顔をする。

「ほら、猫の、お城のイメージキャラクター」
「似てないからね」

 みこちゃんがものすごく怖い顔で否定した。きっと、あたしの少ないキャラクター情報で否定ができるということは、みこちゃんも想像ができたのだろうけどそこは突っ込まないでおく。
 むむっと唇を尖らせて、早坂先輩が柔軟体操をしているその姿をじっと見ていたが、まったく好みじゃないし立っていると言うのに眠気すら感じてくる。

「あの、あたしもう帰っていいかな……」
「もうちょっと付き合ってよ、せめてバスケしてるところ見たいじゃん」
「んん……」

 そのまま、アップが終わってバスケ部の人たちはボールを手にしてパス練習をはじめた。せめて早坂先輩とやらのほかにあたしの興味を引く人やものがないか探したが、体育館広しと言えどなかなかない。

「あの、みこちゃん」
「今度は何?」
「ちょっとトイレ」
「あ、うん」

 覗いていたドアを離れてトイレのある棟に向かおうとしたところで、吉川さんを見つけた。あくびをしながらとぼとぼとこちらに歩いてくる。

「吉川さん!」
「ん? ああ、お嬢ちゃんか」
「一日に二度も会えるなんて運命ですね!」

 吉川さんが目に見えて狼狽し言葉に詰まった。

「……。……何してんの、部活?」
「あ、いえ。友達の付き添いで、バスケ部の見学を」
「こんにちは……」

 みこちゃんが、吉川さんに挨拶する。吉川さんが軽く頭を下げて返すと、みこちゃんはさらっと視線を外して早坂先輩に夢中である。

「吉川さん、本校舎に何か用事ですか?」
「いや、便所に……」
「奇遇ですね! あたしもトイレ行こうとしてたところなんです、ご一緒しましょう!」
「は? いや、俺は男子トイレだし」
「ある場所は同じです!」

 吉川さんの腕を引っ張ると、吉川さんがではなく、なぜかあたしがつんのめった。

「きゃっ」
「あぶなっ」

 つるりと勢いよく転びそうになったところを、間一髪で吉川さんが支えて助けてくれる。

「大丈夫?」
「だ、大丈夫です……」

 支えてくれたたくましい腕に意識が向かってしまう。硬くて、あたしと同じ人間のはずなのに全然違う感触に、心臓がばくばくする。

「足元、ちゃんと見なよ」
「ありがとうございます……」
「そこはいいよね」
「え?」

 吉川さんが感心するように、顎を撫でた。ひげははえていないのでまったく格好はつかないけど、それでもそういう動作はあたしたちくらいの年齢の男の子がやってもまったく様にならないので、いいと思う。

「いや、お嬢ちゃんはさ、ちゃんとお礼を言うよね」
「ん?」
「こっちの話」
「えー」

 ふふ、と吉川さんが、笑う。あたしは、ふらりと吉川さんから離れて数歩後ずさる。

「お嬢ちゃん?」
「あの、お先に失礼します!」
「え、あ」

 こんな真っ赤な顔、見せられない!
 あたしは、急いでその場を走り去り、トイレのある棟に入って深呼吸して頬を押さえた。
 吉川さんは、あたしのことを迷惑がるくせに、突き放さないからずるいと思う。それで時々ああやって、優しい顔をするからずるい。
 出会ってほんの少ししか経っていないのにこんなに心奪われるなんて、嘘だ。ありえない。でも、ありえてしまった。
 信じられないくらいに吉川さんが好きで、心臓が苦しい。名前を覚えてもらえなくてお嬢ちゃん呼びでも、迷惑そうな困った顔をされても、大好きだ。
 明日は、吉川さんにいい印象を持ってもらえるように、お弁当頑張って作らないと。あたしはひそかに四時起きの覚悟を決める。今日は早く寝よう。
 よしっと意気込んだところで、みこちゃんを体育館に置き去りにしていたことを思い出した。トイレをちゃちゃっと済ませて戻ると、みこちゃんはまだそこにいて、体育館の観音開きの開け放たれたドアから早坂先輩を見ていた。

「お待たせ」
「お帰り」
「もう帰っていい?」
「駄目」
「えー」

 ちらっと館内を見ると、練習試合のようなことをしていた。ゼッケンで色を分けて、体育館の半分ずつを使い四チームが動いている。
 きゅきゅっ、だむだむ、とバスケ部っぽい音が響いていて、あたしはそこでふと昼間のみこちゃんの言動を思い出す。

「早坂先輩だってきっと今、汗臭いよ」

 ささやかな抵抗のつもりで言うと、みこちゃんは鼻で笑った。

「制汗剤使うの、部活後に。さわやかシトラスの香りがするんだから、絶対」
「よ、吉川さんだって、お仕事がんばったにおいするもん!」
「それ、汗臭いを言い換えただけだよね?」

 ぐう。
 もう一度、試合をしている早坂先輩に目を戻す。ボールを追うその姿は、一生懸命で、いいと思う。でもそれだけだ。全然気持ちには響かない。
 きっと、吉川さんより早坂先輩のほうが格好いいほうだと思うし年齢的にもあたしと同い年の女の子が十人いれば十人ともが早坂先輩を選ぶと思うけど、全然響かない。それはあたしが、もう恋しちゃってるからだ。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「うん」

 ようやくみこちゃんが離れてくれて、あたしたちは帰路につく。帰り道でもみこちゃんは早坂先輩のことばっかりだった。あたしが苦労して集めた吉川さんの情報よりはるかにたくさんの早坂先輩を知っていて、無性に悔しくなる。

「どこからそんなにいっぱい情報を仕入れてくるの?」
「委員会の先輩に聞いたの。早坂先輩と同じクラスなんだって」
「へえ」

 そんな太いパイプがあるのか、うらやましい。というか、昨日の今日でみこちゃんけっこう行動力あるよな。

「好きなの?」

 からかうつもりでそう聞くと、みこちゃんは意外にもあっさり首を横に振った。

「そういうのじゃなくて、イケメンは見てるだけでじゅうぶんっていうか」
「好きになってほしいとか、思わないの?」
「うーん。どうだろ。ならないって分かってるから、楽しいのかな」
「みこちゃんかわいいから、きっと好きになってもらえるよ」
「そういう問題じゃないの」

 全然分からない。あたしは、吉川さんに好かれたいもん。と自分に置き換えて考えていると、みこちゃんが信じられないことを言い出した。

「明日も付き合ってよ」
「ええ!」

 嫌だよ、と言いかけたところにみこちゃんは攻撃の手を緩めない。

「いいじゃん。どうせ暇でしょ?」

 痛いところを突かれる。ええ、ええ、暇ですとも。明日は特売日じゃありませんとも。
 こうして、毎日のルーティンワークに、吉川さんとお昼ご飯、のほかにもう一つ追加されてしまった。
 放課後早坂先輩ウォッチング。まったく面白くない企画だし、あたしの時間を無駄遣いしている感じが半端じゃないけど、けっこう強引なみこちゃんに押し切られ、あたしはしぶしぶ頷くことになったのだった。