03
シディアンの言ったとおり、最初は分からなかった。何度も鍋の中身を焦がしたし、野菜の皮をむけば捨てる部分のほうが多くなってしまうし、手や指は包丁で切った傷だらけだ。
セレネは、終始おどおどしていた。こんなに役立たずだと、きっとすぐに追い出されてしまう。シディアンが、朝仕事に出ていって夜に帰ってくるまでの間、ひたすら台所にへばりついて鍋の様子を見たりしても、どうしても料理は失敗してしまう。
自分が食べ損ねる分には構わない。けれど、せっかく拾って世話をしてくれるシディアンまで食いあぶれるのはたまらない。
それでも、焦がしたものは焦がしてしまったし、それをどうにか皿に盛りつけてテーブルに乗せるしか方法はなかった。
初めて台所に立った日、焦げた料理をテーブルに出して、セレネは部屋のすみっこですっかりおびえてちんまりと縮こまっていた。
仕事から帰ってきて、シディアンはテーブルの上の失敗した料理と縮こまったセレネを目の当たりにし、思わずといったように吹き出した。
「失敗したのか」
「あの、あの、ごめんなさい」
「別に、食べられないことはないだろう」
椅子に座って、シディアンは焦げた野菜を口に放り込む。じゃり、と、小さな砂を噛んだような音がして、セレネは真っ青になる。あわあわと震えるセレネに、シディアンはなんてことなさそうに告げる。
「大丈夫。昔の俺よりずっと上手だ」
「……」
シディアンがにっこり笑うので、セレネは少しだけ安心すると同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「そんなことより、手を見せなさい」
「えっ」
「怪我をしているんだろう」
セレネはおずおずと両手を差し出した。切り傷だらけのその手をそっと握ると、シディアンはその傷口をつつ、と撫でた。ぴりっとした痛みとくすぐったさが襲う。
「食事が終わったら、手当てをしよう」
「う、うん」
食事のあと、シディアンは慣れた手つきでセレネの指を消毒して包帯を巻いてくれた。
「せっかく白くてきれいな手なのに、もったいないな」
「……」
手を握ったままシディアンがそう言って微笑むので、セレネはなんだかどぎまぎしてしまう。そして、明日はもっと慎重に包丁を使おう、と決意する。
きっと、もっと上手に作れるようにならなければ、今は笑っているシディアンの堪忍袋の緒も切れる。
しかし結局、毎晩、セレネがどんなに失敗しようともシディアンは皿に盛られた分を残さず食べて、その日の怪我の手当てをしてくれた。
そのうち、セレネもおびえることはなくなって、だんだんと料理の体を成してきた食材を一緒に食べるようになった。
シディアンは、セレネの細い体にも合う、フード付きの深い青色のコートをくれた。それを着て、猫の耳を隠して城下町の市場へ食材の買い物に出かけることを提案された。
「今度休みが取れそうだから、町を案内してやる」
「え、でも……」
騎士の仕事があまり休みを取れないことはなんとなく察しているので、せっかく休める貴重な休日をそんなことに使っていいのか、とセレネは迷う。
「ひ、一人で行けるよ」
「だが……」
「地図、書いてくれたら……」
「……そうか?」
セレネは、こくこくと頷いてぐっと拳を握る。シディアンの手をわずらわせることなどない。
「じゃあ……頼むことにしよう。コートを着ていくことを忘れないように」
「どうして?」
猫の耳をした人間は、あまり城下町にはいないそうで、珍しいと言う。
「別に、君が隠したくないと言うならそれでいいが、好奇の目で見られるのはいやだろう」
シディアンの気遣いをありがたく受け取ったセレネは、台所に山積みになっていた野菜や貯蔵してあるパンが底を尽きたある日、意を決してコートを着込んで市場に出かけることに決めた。
外から見ると、シディアンの家はほんとうに城のすぐ近くにあった。背の高い象牙色の城を首が痛くなるほど見上げ、セレネは感動した。きっと今シディアンはあの中で働いているんだと思うと、途端にシディアンがとても偉い人のように感じる。ただ、騎士団というものが城で何をしているかまではセレネの知るところではなかったのだが。
迷子になってしまわないよう、セレネはシディアンが書いてくれた地図を舐めるように見て、家から大通りの市場までの道のりを注意深く確認しながら歩いた。石畳の町は、まるで迷路のようで少しだけ不安になった。
吹きすさぶ冬の冷たい風に、コートのフードをぎゅっと顔周りに寄せ集め、買い物用にとシディアンがこれまた用意してくれた籠を抱き込む。
自分のことは何一つ分からないが、寒さにはどうやら慣れているらしいことは分かる。この凍てつく風が大して苦痛に感じないのはそういうことなのだろう。
外見から見るに、おそらくまだ十代の半ばくらいだ。シディアンもおそらくそうだろうと言っていた。親はいるのだろうか、いるとしたら今頃心配しているのではないだろうか、それともいないのだろうか。
考えることはいろいろあるが、答えが出ないのだから思いつめても仕方がない、とシディアンは笑った。自然といつか思い出す、と言ってくれた。
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