02


「セレネ」
 家に近づいたとき、ちょうど城からの帰りだったらしいシディアンと出くわした。彼は、セレネの様子がおかしいことにすぐに気がついた。
「どうした? 町で何かあったか?」
 シディアンも、この時期は異国や遠方からの行商人で城下町がにぎわうことは知っていたので、セレネが見知らぬ誰かに何かされたのでは、と危惧して肩を抱く。
「……お肉屋のおじさんが」
「またあのおやじか。今度は何をされた」
 セレネは、物事を最初から話すとどうやら誤解されるようだと気づき、慌てて首を振る。
「おじさんは何も悪くないの。あの、おじさんが、広場にいるのが大道芸人さんだって教えてくれて」
「大道芸?」
「芸を見せる代わりに、みんなからお金をもらうお仕事の人たちだって」
「……まあ、そうだな」
 それから、セレネは人混みに呑まれて満足に芸を見ることができなかったことを喋る。
「それで、芸が終わってしまってから、広場でお金を拾い集めている人に声をかけたの」
「……」
「そうしたら、その大道芸人さんは、わたしを見て……」
「もういい」
 目に大粒の涙を浮かべたセレネに、シディアンは、大道芸人という特殊な職業の性質上、すべてを悟る。
 セレネの外見が特異であることは、もちろんシディアンもそう思っている。しかし、それを売り物にしようだとかあげつらおうだとか、そういった気持ちは抱いていない。だが、大道芸人という目線から見ればやはり、セレネの外見は金になるだろう、ということも理解できる。
 その感情の結果が、人身売買という犯罪をつくり上げたのだから。
 大道芸人で、人とは少し違う外見を売り物にしている人間たちは、ある種それを誇りに思っている。だから商売道具にできる。それについては肯定も否定もしない。ただ、セレネにとって自分の外見は、絶対的に劣等感を煽るものなのだ。自分の外見にいい気持ちのしていない人間に、芸なんて大それたものが提供できるはずがない。
「セレネ。きみが気にすることは何もない」
 家の扉を開けながら、シディアンは息巻いた。
「その大道芸人がどう思ったか、俺には分からないが、少なくともきみのその耳や瞳がどんなものであろうと、俺にとってセレネはセレネだし」
「……」
「きみは、俺がこの姿でなかったら、俺じゃないと言うか?」
「っ」
 はじかれるように俯かせていた顔を上げたセレネが、わずか迷った末に頷いた。想像通りの反応が返ってきたことに、シディアンは眉を上げた。
「だって、シディアンはシディアンだよ」
「……」
「シディアンが、全然違う顔や身体をしていても、きっとわたしはシディアンを好きになったけど、それはシディアンじゃないもん……だから……」
「それなら」
 ほ、と息をつく。
「きみがその耳や瞳を持っていることも、誇っていいのではないか?」
「……え?」
「俺は、きみがきっとどんな見目をしていても好きになったと思うが、それでも」
 部屋に入り、荷物を下ろす。それから、セレネを椅子に座らせて、シディアンは跪いてその細い手をやわく握りしめた。
「俺が好きになったのは、その耳と瞳の、セレネなんだから」
「…………」
 セレネが息を飲んだ。自分をまっすぐに見つめてくる黒い瞳は絶対に嘘をつかないことを知っている。それでも、セレネは確認してしまう。
「ほんとうに? わたし、変じゃない?」
「……変か、変でないかと問われると、きみはたしかに、変わってはいる」
「……」
 そこを突かれると痛い、と思いながらも、シディアンはごまかせずにはっきりと言うしかない。ぺたんと耳を寝かせてまた泣き出しそうになったセレネにわずか焦燥を募らせつつも、シディアンは言葉を探した。
「でも、それは実は俺もそうだ」
「……」
「この北国で、俺のような肌の色は珍しいし……、町を歩いていて気がつかないか、大抵の人間は肌がきみのように白いと」
「……」
 頷く。たしかに、町の人々でシディアンのように浅黒い肌色の人間はあまりいない。
「……うまく言えないが、みんなどこかしら変わっている。肉屋のおやじも、ほかの人に比べて太っているし」
「……」
 皮肉に唇を持ち上げたシディアンの言い草に、セレネは少し笑う。その拍子に涙が一粒零れ、シディアンはそれを親指の先で拭った。
「それに、さっきのセレネの言葉を借りるなら、セレネの耳が猫のものじゃなく、瞳の色が左右で違わないなら、それはもうセレネじゃないから、そうしたら俺が好きになったセレネはどこにもいなくなってしまうな」
 本気でそのことについて思案しているような顔つきに、セレネはようやく安心して肩の力を抜いた。
 それから、そっとシディアンの頬に指を滑らせる。自分の真っ白な指と少し荒れた浅黒い彼の肌。
「……ねえ、あのね」
「なんだ?」
「…………ちょっとだけ、さわっていてもいい?」
 目を瞠る。セレネはずっとシディアンの頬を撫でている。首を傾げて、どうぞ、のつもりで顔を差し出すと、両手が伸びてきた。
「あったかい」
「そうだな」
 泣き笑いの表情を見せたセレネが、なんだか無性にいとおしいと思う。だから、シディアンも、手を伸ばしてセレネの耳に触れた。


20181124

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