01


「それが君の正義ですか」
 ぴくりと立ち止まり、シディアンはのろのろと振り返った。感情のかけらも顔に乗せていないヴェルデが仁王立ちしている。どうやら、今のアージュとの会話を聞かれていたらしい。
「……俺の正義は、あなたを王座に座らせることです」
「そんなやり方で僕が喜ぶとでも?」
「……」
「セレネを見捨てるんですか?」
 この男にしては珍しく激昂しているな、とシディアンはぼんやりと思う。
 セレネが消えてから、すでに一週間以上が経過している。血が落ちていたということは、セレネの意思で消えたのではなく何かの事件に巻き込まれた、というのはすぐに分かったが、強盗なのか人さらいなのか分からない。そこからの突破口が出てこず悶々としていた折に、不意にアージュから持ちかけられた『取引』が、今破談となったのだ。
 あの猫娘を無事に返してほしければ、すぐさま自分の傘下に入れ。
 その言葉にシディアンは、セレネが消えた理由の選択肢のひとつを頭の中で無意識に潰していたことに気が付いた。心のどこかで、アージュはそんなまどろっこしいことはしないとはなから可能性を捨てていた。
 自分のうかつさに歯噛みするしかない。しかし、シディアンの決断は早かった。
 そんな脅しに屈してアージュの言うことを聞くくらいなら、とその取引を突っぱねたのだ。
 断られるとは思っていなかったのか、アージュは目を見開いてその場を去っていくシディアンに声をかけることもせず、呆然としていた。
 そこへ、ヴェルデがつかつかと歩み寄ってきたのだ。
「僕の王座が血塗られたものになっても、かまわないと?」
「……」
「その血が、大切な友人のものでも、僕はその王座に座ることを手放しで喜ぶとでも?」
「……セレネは」
 これだけは言える。
「セレネは、必ず俺が助け出します」
「……」
 ヴェルデの冷たい瞳がシディアンをじっと見る。値踏みするような視線に、シディアンは姿勢を正して目を閉じた。
 玄関先に血痕があった。もちろん彼女は無傷ではないだろう。ひどいことをされている可能性もある。それでも、どうしても譲れないものはある。セレネを優先したせいでヴェルデが王になれなければ、この国は、自分の愛するこの国はめちゃくちゃになってしまう、それを考えれば。
 犠牲、という言葉が頭をよぎる。いや、そんなことにはしない、させない。
 セレネが行方不明になってから今までの間に何が起きているかは知らないが、それは自分には防ぎようのないことだ。ただ、このあとは時間がものを言う。
 セレネの居場所を特定し、救い出さなければ。アージュの周りを洗うことから始めなければならないし、それに時間がかかればかかった分だけセレネの身は危険にさらされる。しかし、必ず助け出す。この言葉には、嘘も何も含まれていない。
 シディアンは、ヴェルデに一礼してその横を通り過ぎようとした。その時、ヴェルデがぼそりと呟いた。
「……町はずれの無人の塔」
「え?」
「おそらくセレネはそこに閉じ込められていると思います」
「……なぜそこだと……?」
「……僕の情報網では、アージュが足しげくそこに通っているらしい」
「あなた、まさか……」
 ヴェルデは、深々とため息をついて自嘲的な笑みを浮かべた。
「君からセレネがいなくなったと聞いた時、真っ先にその可能性を思い浮かべました。ただ、君が微塵もアージュを疑っていないようだったので、言うのがはばかられて」
「なぜ黙っていたのです!」
 もしもっとはやくに分かっていれば、セレネをもっとはやくに助け出せた。
「……君は、一応アージュを尊敬しているでしょう」
 虚をつかれた感覚だった。そして、ヴェルデのその言葉は事実であることを、自分は認めざるを得ない。
 人としてはどうかと思う。ただ、あの力強い剣の振り方や兵士たちに気さくなところを、たしかに自分は好きだったのだ。いつかあんなふうに強くなって、今度こそ大事な人ができた時にその人を守れるようになりたいと、思っていた。
 ただ、こうなってしまった以上、もうその尊敬は何の意味も成さない。
「ただ僕もみすみす友人が虐げられるのを傍観していたわけではない」
「……」
「君にこの情報を伝えるのに手間取ったのは、裏を取っていたからです」
「裏……?」
「アージュは、ヘーゼル子爵とつながっているらしい」
 ヘーゼル子爵というのは、貴族院の中でもわりと幅を利かせている、色白の男だったように記憶している。ただ、アージュが貴族院を味方につけたこととセレネが何の関係があるのか、分からない。
「子爵と? それが何か」
「子爵はかねがね、人身売買組織の元締めであるという噂があります」
「!」
「おそらく、君が取引を断ったからには、子爵の影響力を求めてセレネを売りとばすつもり……いや」
 ヴェルデが言葉を切り、シディアンをじっと見つめた。
「子爵としては、セレネを取り戻すつもりなのでしょうね」
「……」
 最近、王国内で身寄りのない女性や孤児等の人身売買組織の動きが裏で盛んになっているという噂は耳にしていた。あの夜、セレネを拾った夜も、シディアンはその噂のために見回りをしていたのだ。
 セレネの猫の耳は不老不死の妙薬の元で、髪の色は綺麗な銀色で瞳も左右で色が違う。そんな物珍しいセレネを欲しがる人間は山といるだろう。
 しかし、人身売買組織の末端をいくら捕まえてもいたちごっこできりがない。現場で人間を売買している男たちは、自分の上司を知らないのだ。
 シディアンももちろん、貴族の中にそういったことをしている人間がいるのを知っていた。基本的に金持ちの道楽なのだ。ただ彼らは客であり、組織の人間ではない。
「アージュが人身売買に手を染めたとなっては、僕にももう彼をかばう理由がない。残念ですが、彼を弾劾させてもらう。あなたがうまくやれば、子爵も摘発できる」
 じっとシディアンを見据えるその目に、迷いやためらいは一切感じられない。それどころか少しだけ微笑んでいるようにも見えた。
 再び一礼し、シディアンは今度こそヴェルデの横をすり抜けた。

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