06
歩くシディアンの数歩前を、セレネがぱたぱたと小走りで駆けていく。その後ろ姿を見ながら、そろそろ真冬も過ぎるので、あの分厚いコートの代わりになる薄手のものを買ってやらなければ、と思う。
「セレネ。転ぶぞ」
「えっ? うわあっ」
言わんこっちゃない。
シディアンの声に振り返った瞬間、セレネが石畳に足を取られた。つんのめったその小さい体を慌てて支えると、セレネはふにゃりと気まずさを隠すように笑って頬を染めた。
「シディアンとお出かけするの、初めてだから、うれしくなっちゃって」
「……石畳は、転ぶと怪我をするから危ない」
ずれたフードからのぞく猫の耳を撫でて、フードを元に戻す。すると、気持ちよさそうに目を細めたセレネが手を差し出した。
「なんだ?」
「危ないから、つなぐの」
「……」
差し出された小さな真っ白い手をつなぐのが、急に怖くなった。まるで、風や空の色に溶けてしまいそうな繊細さで、そんな手を自分が握ってもいいのかと思ってしまう。先日のヴェルデの言葉が――君の正義がセレネを貫くことがあれば――頭の中でこだまする。
手を見つめたまま黙ってしまったシディアンを不思議そうに見る瞳と目が合う。
「シディアン?」
ころっと首をかしげたセレネに、シディアンはそっと手を伸ばす。透き通るような白さのそれと、褐色の自分の肌との対比がまぶしかった。
そっと手をつなぐ。細い手は柔らかく、たぶんシディアンが少し力を入れれば折れる、というくらいの危うさだった。だからシディアンは、細心の注意を払ってその手を握る羽目になった。
市場を目指す。セレネは、いつも通り買ったものを入れる籠を片手に提げて、シディアンが適当に見繕った服を着ている。その姿に、あることを思いついたシディアンが口を開こうとすると、それより早く声がかかった。
「おや、仲いいんだね」
「あっ、おばさん」
思わず、ぱっと手を離してしまう。八百屋のおばさんがにこにこと話しかけてくるので、シディアンはなぜか、セレネと手をつないでいた自分が恥ずかしくなった。つないでいた手でがしがしと頭を掻いて、おばさんに向き直る。
「別に。セレネがいつもお世話になっています」
「あらあ、いいのよ。可愛いからいつもオマケしちまうねえ」
「ありがとうございます」
そのまま、おばさんの店でついでに何か野菜を買い足そうと物色を始めると、少し遠くで怒声が響いた。
「前見ろよ、テメェ!」
「ぶつかったとこ痛いんだけど」
シディアンはそれを背中で聞きながら、最近の若い奴はすぐに頭に血が上るな、と年寄りめいたことを思った。しかしそんな余裕をかました次の瞬間、持っていたくだものを取り落とすことになる。
「ご、ごめんなさい」
市場の盛り上がりの合間を縫って聞こえてきた蚊の鳴くようなその声は、セレネのものだったからだ。
「なんだ、よく見たら可愛いじゃん」
「一人でしょ? 遊ぼうよ」
「あの、あの」
落としたくだものを拾っておばさんに手渡し、ゆっくりと振り返る。人ごみの中で、セレネがあまり素行のよくなさそうな男二人に腕を掴まれて今まさに連れ去られそうになっている。
困ったような顔をしているセレネの細い腕が引っ張られる。目が泳いでシディアンを探しているのが分かった。
おばさんの心配そうな視線を背後にちくちく感じながら、シディアンは一歩踏み出す。
「あんま見かけないよね、どこの子?」
「うちの子だ」
調子のいいことを言う男の腕を掴んで、セレネをぐっと自分のほうへ引き寄せた。
「シ、シディアン!」
「げっ。騎士団の隊長だ」
「別に俺たちが何しようと、騎士様には関係ないだろ!」
シディアンは、往生際の悪い二人の男をぎろりと睨みつけ、掴んでいた腕をぎりぎりと握力を込めて締めつけた。男が、情けない悲鳴を上げてシディアンの手を払いのける。
「聞こえなかったのか。この子はうちの子だ」
「……なんだよ、隊長の女かよ」
その言葉には少々、いやかなり突っ込みどころがある。
とは思いつつ、ここは否定しないほうがいいのだろうな、と思って黙っていると、二人の男はぶつぶつと何かぼやきながら、名残惜しそうにセレネを舐めるように見つめて、去って行った。
ため息をついて、シディアンがセレネを振り返ると、セレネは目をきらきら輝かせていた。
「シディアン、とっても格好いい!」
「……」
この少女は今まさに自分が危ない目に遭うところだったことを自覚しているのだろうか、いやしていない。のんきに笑っているセレネを見ていると、ふつふつと怒りがわいてくる。
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