08
「あの」
「なんでしょう」
「ヴェルデさんは、シディアンのお友達なんですよね」
「ええ。そういうことになっていますね」
いちいち言い回しが引っかかるが、今はそれより気になることがある。
「シディアンは、怒ったりしますか?」
「え?」
「わたしが、お料理失敗しても、おつかいできなくても、シディアンは怒ったりしないけど、もしかしてほんとうは怒ってるのかなって」
「……」
ヴェルデは、何かを考えるように顎に手を当てて目を閉じたあと、そのままふふっと吹き出した。
「シディアンが、怒らないかって?」
「は、はい」
「怒りますよ。彼はとても怒りんぼだ」
「……」
「しょっちゅう声を荒らげていますね」
聞かなければよかった。きっと、自分の手前怒ったり怒鳴り散らしたりはしないけど、絶対いらいらしたりしているんだ。そう思うと顔から色が引いていく気分になる。黙ってしまったセレネを見て、ヴェルデはますますおかしそうに声を出して笑って続ける。
「でも、彼は我慢したりしないので、あなたには怒っていないと思いますよ」
「……」
「ほんとうに腹が立ったら、シディアンは誰が相手だろうとちゃんと怒ります。だから、心配しなくとも、あなたの些細な失敗に怒ったりはしていないんですよ。そう、料理の失敗やおつかいの失敗は、シディアンにとって些細なことなんです」
ほんとうだろうか。じとっとヴェルデを見れば、困ったように微笑む。
「どうやら僕の言葉は信じてもらえないようだ」
「そ、そんなこと」
少しさみしそうな顔に、ぎくっと、急に申し訳なくなって慌てて弁解する。セレネがあたふたしているのを見て取ると、ヴェルデは今度はいたずらっ子のように笑った。表情がくるくると変わるのをセレネは少しだけおもしろいと思った。
それからヴェルデは、ごそごそとポケットをあさって何かを取り出すと、手をセレネに差し出した。
「?」
「手のひらを出して」
セレネが右手の手のひらを突き出すと、ヴェルデの手がそこにかざされた。
「お近づきのしるしに」
「……これは、なんですか?」
セレネの手のひらの上に、白くて薄い紙に包まれた小さな何かが二つ乗せられる。セレネが不思議そうにそれを見ると、ヴェルデはしたり顔で言った。
「シディアンは、こういうものをくれたりしませんか?」
「……はい」
「いけない男だ。女性は甘いものが好きだというのに」
「これは、甘いものなんですか?」
興味深く、じろじろと手の中のそれを見つめる。丸みを帯びた小さな物体を指でつつけば、ヴェルデがにっこり笑って言った。
「それは、飴と言って、甘くてとても美味しいものですよ」
「あめ」
「そう。僕もこれが大好きです」
「ふうん……」
「さて。僕はそろそろおいとましましょう」
「えっ」
ヴェルデがおもむろに立ち上がった。セレネは、思わず呼び止めた。あまりに短い滞在だ。
「も、もう帰っちゃうんですか?」
「仕事がありますので。ちゃんとこなさないと、お友達のシディアンに怒られます」
きょとんとしたセレネの顔を見て、ヴェルデはいっそう笑みを深めてフード越しに頭を撫でた。シディアンの手より少し細い、優しい手だった。
「また、暇を見て遊びに来てもよろしいかな?」
「は、はい」
「では、また」
扉が閉まり、ヴェルデを見送ったセレネは、握りしめたままの飴をまじまじと見つめた。食べてもいいのかな、と少し考えてから、でも、と思う。二つあるから、シディアンと一緒に食べよう。
優しいけど変な人だった、と思う。結局、シディアンの友達なのかそうでないのかは分からなかったし。名前以外は何も分からなかったし。でもきっと、シディアンの知り合いなら悪い人ではないのだと思う。
そのまま、セレネは飴をテーブルに置いて、夕食の準備に取りかかることにした。
もうすぐ出来上がるというころになって、シディアンが帰宅した。
「ただいま」
「おかえりなさい!」
荷物を置いて、シディアンは暖炉の火の具合を確認してから着替えを始めた。セレネは、シディアンが裸になるのが慣れないので、慌ててそっぽを向く。野菜をいためていると、ふとシディアンが呟いた。
「……誰か、来たのか?」
「え?」
「なぜこんなものを君が持っているんだ?」
「何を?」
振り返ると、服を着替えたシディアンが不審げな顔で飴を指でつまんでいた。セレネの頭に、途端にシディアンにされた忠告がよみがえる。居留守を使いなさい、と言われていたのにヴェルデを家に通してしまったことが、今更ながらに悪いことのように思え始めた。
「あの、それは」
「人が来ても扉を開けることはないと言ったはずだ」
「……」
怒っている、とまではいかないが、不機嫌そうなのは見て分かる。
セレネは真っ青になって、口をぱくぱくさせた。
「セレネ。怒らないから、誰が来たのか言いなさい」
シディアンが嘘をつくとは到底思えないが、言いつけを破ったのだから怒鳴られても仕方ない。セレネはそう思い、観念して白状した。
「……シディアンの、お友達」
「友達?」
シディアンがますます眉間のしわを濃くする。
「ヴェ、ヴェルデさんという人」
「……家に上げたのか?」
「だ、だって、扉壊すって言ったから」
「……」
シディアンが、額を押さえて深々とため息をついた。セレネは、いつシディアンが怒るかとびくびくしている。セレネの背後で放置された野菜が焦げかけているのを見たシディアンが、つかつかと近寄ってきて、セレネは思わず身を縮めた。
「野菜が焦げるぞ」
「……あ」
「せっかく失敗の回数が減ってきたんだから、こんなことで失敗したくないだろう」
シディアンは鍋を揺すってセレネに持ち手を握らせる。それから、呟いた。
「どんな男だった」
「え?」
「ヴェルデは、どんな人だった?」
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